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自尊心/自尊感情/230814



己を尊く思えるこころとは

少し前に「もしかして自尊心無いのかなぁ?」と心配になったのでYouTubeで「自尊感情とは」と検索し一番上に来ていたものを視聴。

そして安心安堵。

今回はこちらの動画を参考にしました。
たかのさんありがとう。
慶應大学だから、すっごいお勉強できたんだろうなぁ…

自尊心とは


自尊心と自尊感情はほぼ同じらしい
動画内容を少しまとめます

自分の自己概念がどれくらい肯定的に考えられているか
自分の思う自分の能力を総合的に「自分はこういう人間だ」という自分像があり、自分が認識している自分像をどれだけ肯定的に知覚しているか

精神心理学辞典より

自己に対する肯定的な態度の程度

ローゼンバーグ

ローゼンバーグ、勉強したなぁ…
忘れたなぁ…

自分の存在や人生を基本的に価値のあるものと思えて満足できる
物事を経験することに積極的になれる
自己や他者に対して受容的である
他者から嫌われてしまったかもしれないと思う時の不安が比較的小さい

ローゼンバーグ



ということで、自尊心は精神的健康においてきわめて重要ということだそう


逃れられない比較


自尊心が傷ついた時、傷つけられそうになった時は自分の自尊心を守ろうとする

→1、下方比較
→2、上方比較
→3、セルフハンディキャッピング

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1、下方比較


「あいつよりはマシだ」自分より下の人と比較して安心する

▶︎やりすぎると「ああなってしまう」と思ってしまう

2、上方比較

「あの人みたいになりたい」自分より上の人と比較して自己研鑽する

▶︎やりすぎると「あの人みたいにはなれない」と思ってしまう


3、セルフハンディキャッピング

自分に保険をかけること

ex)〜をしていたから◯◯はうまくいかなかった



真ん中でいることの大切さ


我が20年病んできてたどり着いた結論というのは、中庸の感覚でいることを一番大切にしたいということ。
飛び抜けた感覚は何も必要なく、ただただそこにあるものをできるだけ見つめるという感覚。
何も意識しないくらいが一番良いのだ、と。

なので盲目的に「自分は最高最強」と思わないようにしているし、「自分は最低最悪」とも思わないようにしている。
何事に対してもそう。
良いことがあったらその分反省点を探して、悪いことがあったら褒める部分や学んだ部分を探す。

なので動画にもある通り「この自分良い」ではなくて「この自分良い」となれるのが安定的な自己評価に繋がりやすいと思う。
後者は自分が定めた基準が元になっていて、つまりよく言われる自分軸のことだろう。

自分を許す、にも通じる。
つながってるね、IDO

▼自分を許す具体策▼


▼自分軸▼



自分軸があると良いこと


自分で定めた基準=自分軸があればちょっとのことを言われても「あーはいそっすね」で終わる。
何も思わなくなる。
だって私の基準ではなく相手の基準でそれを図っているわけで、私はその基準では生きていない。

そもそものその前提を理解していない人「あいつは人の言うことを聞かない!」となる。
だけどそれは君の定めた基準であって、その基準は私の基準ではないことをそもそも理解してないからそう思うのだよ、と思うのでそういう人とは話しても無駄となる。

あと明後日の話をされても腹立つ。
腹立つというか「あー何度目だこれは」が積み重なりすぎて相手は違えどこちらとしては同じことを何百回も言わなければならないのがもうめんどくさい。



めんどくさい、腹立つ理由


おそらくこの憤りは「きみこそ相手を思いやることをわかってないよね、なのに偉そうに来るじゃん」という「おまいう」状態だからだ。

多分そういう人は私が相手の自尊感情を守っていることも気づいていない。
「あ、保留は俺/私を尊重してくれてる」と気づかないから尊重しない。

いやしてんのよ。気づいてないだけで。

と思うので「じゃあこっちもしねぇよ」=手のひら返し、となる。
報われないものに与え続けるほど人間ができていないのだすまぬな。

尊重し合わないと人間関係は成立しない。
こちらが尊重しても相手がしないのならする必要はないしこれからもそれは変わらない。
もちろん相手も私を尊重していると思うけど、私がそれを感じないと価値観の相違が露呈する。

価値観の違う人と一緒にいるのは何度も説明しないといけないからめんどくさいのだ。

毎回「いやそうでなくて…」が続くと誰でもめんどくさいだろう。
そして相手にも自尊心があるので「多分ここを刺激したらダメなんだろうな」と思うので手を引くのだ。
私が何も言わないのは優しさなのだけど、それすら伝わらない。

相手が無自覚に自尊心を守っている状態になっていることも多いので平和的解決はそれしかない。
(ex とにかく否定しまくるとか、根本の答えを避けるとか、ここを刺激したら可哀想だからしない優しさ)

本気で怒ったらそこ突くけど、それは恋人にしかしない。
好きで時間をかけた分、こちらの刃も鋭利になる。
物事の真理。


比較は仕方ない


人間は比較する生き物で、それは仕方ない。
それも程度の問題で、それが良い方向に進むと努力する源となり、悪い方向に進むと妬みや自己嫌悪となる。
上方比較も下方比較もこれに当てはまるだろう。

ex)みんな私より体力あるよなぁいいなぁ〜

と上方比較して「ああなんでダメなんだ」と落ち込まずに「よしそれでも与えられたカードで頑張ろう」と思えたら最高。
でも時々落ち込む。
でも落ち込んでいる時も「偏ってるなぁ我〜何したらポジティブになれるんだい?」と問いかけてなるべくそこから離れられるようにしている。

ただ、落ち込まない自分も嫌だ。
どちらかの感覚に突き抜けるのが怖いのは双極性障害を一応患って勉強したから。
鬱もしっかり経験したから上がりまくっても下がりまくっても最後は破滅が待っていることを知っている。

だから、中庸、中庸

その分、人を好きになるのが難しい副作用があるけど今の自分の方が遥かに好きだ。
そして比較対象=人々がいる分、自分が一般的な感覚からどれだけ離れているかの相対的な指標もできる。

昔のように「みんなにわかって欲しい」と感情的に思わずに「まぁ多分1割くらいの人がわかってくれるだろうからそれでええ」体感的数値ベースになれている。

その分、わからない人に対しての見切りも早い。
人はそれで良いのでは無いだろうか。
特に私はそこで無理して具合が悪くなるので。
だから私に対してもそれでいいと思う。

分かり合える一握りの人とちょうどよく適度に付き合えるのが一番良いと結論づけた。
その分、居場所探しが大変になるけど、もう病むよりはいいんだ…


というわけで、自尊心は大切で、自分軸を作ると楽だよ、という話であった。

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