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保留の理想と現実_B面/230611


スーパーで、街中で、部屋着やすっぴんの、たわいないありふれたカップルや家族が羨ましい話

A面


とは言いつつも私も長きに渡り、その生活をしていた。

朝起きてお弁当を作って夫を送り出し、朝ごはんを食べて、洗濯を干して掃除機をかけて、肩に猫を抱きながらクイックルワイパーをかけて。

手垢のつきすぎた情報番組を見て、お昼を過ぎた頃から「今日はなんの夕飯を作ろうかな」と思い始める。
冷蔵庫を漁って、煮物だったら早めに作って、今のような時期だと腐らないように気をかける。

最低3品は作っていた。

夫は寄り道をしないのでほぼきっかり同じ時間に帰宅する。
16:00くらいになると「あーそろそろやるか」と思ってMacBookをキッチンに置いて大音量でラジオを聴きながら作る。

お金がかかるから安いキャベツを買って毎日スライスして、ドレッシングも飽きないようにあれこれ工夫して。
〜の素はもったいないから調味料をたくさん揃えてそれっぽいものを作って。

体調が悪くて寝込んだ日、友達とお茶をする日、一応バイトしていた日以外はおそらく一度しか夕飯は休んだことがない。

夕飯を食べる前に写真を撮って「今日も許された」と思いながら、結局いつもちゃんと食べられずに食べ終わるとそのまま食器を洗ってキッチンを使う前の状態に戻す。

夕飯を食べながら寝るまで、録画した深夜番組などを観て、時々夫はスプラトゥーンをしていた。
先に夫が寝ると、3時くらいまで一人で何かしていた。

横浜に引っ越して離婚するまでの約3年間はそんな毎日だった。
「どうしたらもっと良くなるか」は、当時から考えていた。
だけど、結局今も自分は「条件つき」ではないとどこか愛されないと思っている。

愛着障害やアダルトチルドレンはそう思ってしまうらしい。

だけどそんな部分は大なり小なり誰でもあって、むしろ今はそれが無いとすごく嫌でもある。



ここまでくると性格

私は能力のある男性が好きだ。
それは私が一番乏しい社会的能力を持つということで、つまりお金を稼いでいるか社会的地位を持っている人。

わかりやすい評価を持っている人が好きなのだ。

なぜなら人の話を0から10まで、産まれた時から今まで全部聞く時間は無いからわかりやすい客観的評価を求める。
だから相手も私にそれを求めていもいいし、それが最初の引っかかりであることは全く構わない。

だけど私はまだ何も持たない。
それなのに彼らは私を好きでいてくれた。

「でも結局保留もまだなんも持ってねーし、
 だから保留の男たちってのはふつーにそのままの保留が好きなんだろ。
 すげーよな、周りにはもっといっぱい若くて良い女がいるだろうに笑
 保留なんもねーのに笑」

親友は言っていた。
つまり、そういう評価で人を見ているのは私だけなのだ。
一方で、単純に彼らと話が合う、もとても大きくて、彼らも同じくそう言うから、まぁそういう相性なのだろうとも思う。

B面の私は、長く続けた「たわいもないありふれた生活」を、本当は求めていないということだ。

働けるようになって家庭を持って、子供がいて。
安心する存在がいて、寝食を共にして、なんと温かい家庭か。
実際、私も当時しあわせだった。

だけどどこかで、二度とごめんだと思っている。

退屈で死んでしまう。
首輪をつけられる。
逃げられない。

家族を羨ましく思う反面、これがすごく強い。

以前その話を恋人にした。
お互いいい歳だし子供のことを話していて「…でも、家族がいたら苦しいかもしれない。もしかしてあなたと子供を置いて逃げるかもしれない」と真剣に懺悔のように言うと、彼はすごく笑っていて「面白いことを言うなぁ」と言っていた。

親友にその話をすると

「彼氏なら本当にそのまま育てるよ。
 で、すげー良い顔の子供生まれるんだろな」

と言っていた。

だけどその恋人とは少し前から音信不通になってしまった。
覚悟が無いのはやはり私で、すごく寂しいし彼が恋しい。

夢は夢のままが良いのかもしれないとも思うし、やはりどこか、逃げたくなるのも私で、それがこの結果をもたらしたのだろうともどこかで思っている。

A面もB面も人は持っている。
私はたまたまそれを両方しっかり自覚して言葉にしているだけで、おそらくほとんどの人がその中で生きているのだろう。

昔の自分とは別人のようだけど、生き方は変えられないと思う今日この頃。

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