見出し画像

自分軸は自分の法律/230814



めちゃくちゃよく言われる自分軸を、自分軸が無かった保留が頑張ってわかりやすく解説するやで。

かつての私のように自分軸って?とか、自分軸はわかってるんだけどそれを実行する方法って?という、前向きに己と戦っている貴方に捧げる


自分軸を定めることは怖いこと


いつも私のnoteを読んでいるわけではなく、検索などで来た方はおそらく自分軸について悩んでいる方々だろう。
それだけ沢山の視点を持っていたり、人に合わせられたり、人との調和を保ちたいという心優しい人なんだと思う。
悪く言えば日和見。すまぬ。

結論から言うと自分軸を定めることは、今の自分の優しさをある意味失くすこととなる。

もしかしてそれは貴方がなりたくない自分でもあるかもしれない。
調和を保たない、貴方を腹立たせる存在に、もしかしてなるかもしれないから。

私はそうだった。
かつての私は今の私を嫌いだと思う。

だけど今の私はかつての私より遥かに生きやすいから今の私は私を好きだ。
それは自分軸を設定したから。



優しさをある意味失くす理由


例えばかつての私は相手が求めることに応えたかった。
応えている自分に安堵したし、相手が喜んでいることも嬉しかった。
そして何より嫌われることを恐れた。

なので人の愚痴を聞くことも全然構わなかった、と思っていたし、思いたかった。
仲良くできるのならよくわからんつまらん会話にも参加したかった、と思いたかった。

なのにどんどん体調を崩してしまうし自分を責めてしまうし自分を嫌いになる。
なんとも言えないモヤモヤした嫌悪感が自分を包む。

まさか人の愚痴を聞きたくないなんて思いたくなかったし、参加している会話をつまらないとも思いたくなかった。

だって愚痴を聞きたくない、会話つまんないと認めたらその人たちを失くしてしまうし、そんな自分がひどいと思ってしまう。
自分を傷つける存在でさえ、いなくなってしまうのは寂しかった。

そんな勝手な人間にはなりたくないとどこか思っていたのだ。



自分軸=本当は嫌なことを認める


認めることはとても怖い。
だけど認めない限り何も始められない。
病気も短所も認めてから改善に取り組める、言わば0→1のステージで、物事はここの地点が一番大変で大切なのだ。

1から伸ばすことはそこまで難しくない。
0→1、つまり認めることが本当に一番難しい。

かつての私のように「嫌われたくないから是としているけど確実に自分のためにならない」という部分を洗い出す作業が必要となる。

この時すぐに思いつくことはそこまで重要ではないと思っていて、ここが大きな地点でもあると思っている。

こういう自己改善で一番潜んでいる重要なものは「なんとなく頭をかすめるけど向き合いたくないモヤっとした感情」または「それは認めたくない」みたいな無自覚な潜在意識にあることもある。
簡単に言うと人から指摘されて「そうじゃない!そんなわけない!」と一番反射的に否定したい感情というか、むしろそこを疑ってみてほしいと思う。
個人的にはここに9割があるけど、人によるのかもしれない。

この時、漠然と「なんか嫌だ」でもいいけれど、その先に同じことを繰り返さないためにも「この人のここがもう誰がなんと言っても無理」「この仕事のここが誰がなんと言っても本気でやだ」という具体的な理由があったらいいなと思う。
ただこれは言語化の作業になるので苦手な人も多いし、そこまでマストでもないかもしれない。

ここがハッキリしているとそれからそういう人、場に敏感になれるから理解していると楽という話。



他人の許しはいらない


洗い出しが終わり、貴方が「この人のここほんと無理」となった時に誰かに許しを得ないことが重要で、貴方が決めた感情は貴方の答えなので他の答えは必要ないことを伝えたい。

例え誰かが「それはおかしいよ」と言ったところで貴方の感情は既に答えを出している。

自分軸を洗い出してそれを実行することはここが怖いところで、私も未だに怖い時が沢山ある。
「いやーそれはそうなって当たり前だよ」と言われたいけど、そうではないことも沢山あるのでブレやすいのだ。
否定されても嫌なので言わないでいる。
この場合は「わかってねぇな」の嫌。
それにやっと洗い出した結論に、自分軸が無い時点だと他人の答えにブレやすいから。

自分と価値観が合う人ばかりではない。
今の自分になってからすぐに知り合った親友にでさえ「全然わかってない!」と言うことも全然あるし、誤解されて伝わっているとわかることも多い。

今は「結果を見せた方が早い」と理解しているし、私も誤解していることもあるし、お互い「わかってなかったわ」と素直に言えるのが何より良い。
それでも腹立つことあるけどもそれはお互い様。 

話を戻して

答え=許しがあることは楽だけど、それは自分で決めなければならない。
これは怖い。
もしかしてその自分の答えが、結果、大きな損失になることもあり得るから。

なんせ調和を大切にし、「普通でいたい」と堅く誓っていた自分が、他人の許しを求めずに自分の感情を決めることは何より怖かった。

この時に自分の感情に責任を取るというのはこういうことなんだとわかったのだ。
そりゃ陰で言ってる方が楽だよな、と。
でも私はそれも嫌だった。


怒ることができなかった保留


かつての、2年前までの私は怒ることさえできなかった。
怒ることさえ自分で決められず誰かの許しを必要としていたのだ。

「これって怒っていいことだよね?」といった確認が必要で、それでも怒れずにそう思ってしまう自分を責め、落ち込み、そして体調を激しく壊した。

結局、2年前まで怒ることができなかった。

今わかるのは、思ったより自分はめちゃくちゃ怒りっぽかったこと、少し論理的で感覚も思考も少し変わっていたこと。
だとしたらそもそも伝わる母数が少ないのに、それに気づけなかった。最大の失敗。

なので今の自分=本来の自分を出したら嫌われるから無意識に蓋をしたらしいとわかったのだ。

ペルソナ/仮面を無意識に主人格にしようとして身体も心も不調和が生まれ続けた。

結果、離れていった人は多かった。
だけど人に嫌われるよりも、自分のしあわせ=健康を取った結果が今の私だ。

この選択を迫られる。


失うものもあれば得るものもある


自分軸を設定し実行することは簡単ではない。

今まで自分が守ってきたものをある意味壊すことにもなるし、自分が何より恐れた自分への嫌悪や敵意の感情を引き出すことにもなるかもしれない。
そして、自分の感情や決断に責任も持たなければならない。

でもそうなってもいなくならない人がいるのだ。
そしてそれから知り合う偽りの無い、無いとは言わないけれどかつてよりはすごく少ない自分と関わる人とは疲れがとても少なくて済む。

むしろ好かれたい、仲良くしたい、不和を呼びたくないという理由で付き合っていたかつての人たちには本当に本当に申し訳なく思っている。
ある意味偽りの自分で付き合っていた人たちは、自分のせいで彼らも偽りの存在、偽りの関係としてしまったのだと反省したから。

だけどやはり昔より孤独になった。
孤立しているのでは、自分は正しかったのか、と不安になることもある。

それでも「じゃあまた昔のようになりたいか?」と自分に問うと、120%今の自分が良いと思う。

なのでその孤独や孤立感は自分と向き合う必要な時間でもあると思うようになった。
自分の目標のために時間を割けるようになり、ストレスがかなり減ったからだ。

だけど時々、孤独がストレスになることもある。
そんなことを繰り返して生きていくのだろうと受け入れて、ストレスを受けないように居場所を変えて、必要なら作っていくのだと思う。

認めて実行し自分軸を作る、それは自分の法律となる。
貴方の法律は他の国家からすると違法にもなるだろう。
万人に受け入れられる法律が無いことも多いし、所変われば、人が存在する人数分、法律が変わる。

だけどそれをすることで自己肯定感を得る大きな助けとなる。
そして、簡単に認められない感情の感覚そのものを掴めば、更に自己肯定感を得やすい。

自分に素直に、正直になることは難しいけれど、意識ひとつで誰でもできることでもある。

私は貴方を応援しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?