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パニック障害あるある「髪の毛洗うのこわい」/230612



地味に困るのよね、これ…

髪の毛を洗いながら発作


パニックばりばりだった2年前まで髪の毛を洗うことがとにかく大変だった。
抑うつ状態というだけでもお風呂はハードルが高いのに、パニック持ちだともーちょいハードルが上がる。
15センチくらい。

その日のコンディションのせいなのだろうけど既に湯船で動悸がしたり「あれ?」と思ったりもするんだけど、そもそもお風呂自体のハードルも高いので勢いで片付けてしまいたい。

その勢いで挑むんだけど、結局シャンプーし始めたくらいで「やべ」となる。
あの時間が永遠に感じるほど怖いのは、わかってくれる人がいたら嬉しい飴ちゃんあげる。

「逃げられない」のMAX


今思えば途中だろうと流して終わればいいのに、誰にも頼まれていない責任感のような、妙な勝負のような、やり切らなければならない強迫観念のような、そんな気持ちがあった。

理想が高いのね〜わたし

「パニックに負けたくない」という気持ちは必要だけど、実は「負けるが勝ち」が世の中には溢れている。

自分の場合は、それを認められなかった私の愚かさや弱さだった。

そーゆー時はとりあえず深呼吸しよ、まじで。
息が上がって深く深呼吸できなくても「深呼吸しよう自分!」と強く意識してみると割と悪くない。
ただ、そういう時にそれを強く意識するまでが難しかったけど。

自分のような人を一人も増やしたくない


私こそ【そのまま】【素直に】認められなかったのだ。

今でこそえらそーに講釈垂れているけど、それは自分自身の戒めや後悔、過去の自分への慰めや複雑な気持ちが入り混じっている。

ただそのクライシス/危機を切り抜けた今となると「あーゆーとこがあかんかったな」と色々なシチュエーションで思い出される。
これを書いているのも今日、髪の毛を洗いながら「あれそーいや昔はお風呂も一大勝負だったよな」と思い出したからだ。

命を削るくらい辛かったはずなのに、人間とは現金だともよく思う。
だから「なんで怖かったんだ?」という分析をしてみたのでまとめた所存。

精神/肉体問わず世の中には色々な病気があって、それぞれすごく困ることがある。
パニック障害は「地味に生活において困ること」に溢れているので厄介だ。

移動ができないこと、歯医者や洗髪など「地味だけど致命的」な側面もあったりする。
だからこそ芸能人のような職業の人がパニック障害だと聞くと「それでその仕事できるの?」と本気で思う。

移動めっちゃあるやん、と。

結論「洗いたくなったら洗え」ばいいさ


仕事をしていないとか翌日に支障がないのだとしたら洗わなくて良いじゃん。
洗わなきゃという義務感より、洗いたいという能動的な気持ちの方が人間は達成できるから。

翌日に支障がある場合は「無理そ」となったら一旦お風呂を出て、お茶飲んだり深呼吸したり頓服飲んで、「気が向いたらやればいいや」に切り替えられたらいいなと思う。

間違っても「髪の毛すら洗えない自分は終わってる」と思わないで欲しい。

終わってないし、ふつーに。

私も洗えない時が沢山あったし、その時はそう責めたけど、いくら責めたところで「洗えなかった事実」は変わらん。

それに今思い返しても当時の自分は終わってないし、よく頑張っていた。

自分こそ自分を一番貶めていたのだけど、それは責任感の強さから来るものでもあるし、責任感があるって良いことだから、ちょっと責任感の使い方を間違っただけだ。

「今は洗えないんだから仕方ねーや」と【そのまま】【素直に】認めてほしいし「むしろよくお風呂入ったな」と褒めてほしいくらい。
私はよくそれをやって感情のバランスを取っている。

私だけでも何度でも言いたい。

あなたは大丈夫だと。

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