自分を愛してない奴は他人も愛せないと思ったきっかけ/230608
それは、映画「メリーに首ったけ」だ。
巷では「精子をヘアジェルにする映画」または「ナッツをジッパーに挟む男全員玉ヒュン映画」として知られているけれど(今勝手に命名)私はけっこーあの映画に強くて深い怖い衝撃を受けた。
メリーはすっごい美人ですっごい人気があってモテる。
対して主人公は冴えないgeekやnerdの代表格みたいな陰キャ。
そんな主人公がどーやったのか忘れたけどメリーとデートすることになる、みたいなストーリーだったと思う。
正直あんま覚えてないすまん。
ポップだけどアメリカ特有のブラックユーモアも散りばめられていて、当時高校生だった私はすごく心惹かれた。
そして、本筋とは関係ないところで心に深く刺さる映画となったのだ。
メリーには障害者の弟がいる。
メリーはみんなに対して弟の肩を抱いて笑顔でこう言うのだ。
「私の弟とみんな仲良くしてね!」
これに衝撃を受けてしまった。
私ならそれができるだろうか、と思ったからだ。
どこか後ろめたく思ったり恥ずかしく思うだろう、そして、そんな自分自身をまた後ろめたく、恥ずかしく思うだろう、と。
その違和感を数年間は蓋をして生きていた。
開けたくないし、感覚レベルの違和感を言語化して理解してしまいたくない。
私はそんなひどい人間じゃないと思いたかった。
数年後、とうとうその蓋を開けて、違和感を言語化したのだ。
メリーがモテる理由がわかる。
当時の私は今より分け隔てなく接することができなかったし、両親を恥ずかしいとも思っていた。
だけどメリーのその行動原理を理解して、とにかくもっと分け隔てなく人と接したいと思った。
話してみないとわからない。
いくら噂されていたとしても自分で確認したい。
強くそう思うようになった。
メリーが本当に素敵な女の子だったからだ。
少し頭が軽いところも含めて、私に無いものを持ったメリーが忘れられない。
愛する人を、胸を張って「愛してる」と言えないのってカッコ悪いなと思ったのだ。
「メリーに首ったけ」の原題は
「There's something about Mary」
すごく詩的で良い表現、良い意味があったりするから昔から原題を訳すのが好きなのだ。
だけど当時はあんまり理解できなかったこの原題。
だから覚えて何度も考えて意味を求めた。
原題「メリーには(魅力的な)何かがある」
その通りだと思う。
言語化できない「魅力的な何か」に溢れたメリーはこれからも私のロールモデルの一人だと思う。
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