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保留の理想と現実_A面/230611



手に入れられないとわかっているからこそ、欲しいと思うことがある。

仕事用と他の所用用の服を買いにしまむらに行った。
結局2時間近く悩みつつも大した収穫はなかったのだけど、それはまたべつの話で。

40kg痩せて、普通サイズのMやL、LLが入るようになったけれど、大きいサイズの方がいい時もあって、本当に服を探すのが大変だ。

普通サイズゾーンと大きいサイズゾーンを行ったり来たりしていて、大きいサイズゾーンで近くにカップルがいた。
田舎のしまむらなので人も多くはなくて元々地獄耳なので勝手に会話が耳に入る。

しまむらが展開している企業Tシャツを彼女が着たいらしいのだけど、昔の私かそれ以上太っている。
いや、同じくらいか、自分は違うと思いたいけど多分同じ。

他の人は知らないけれど海外通販も使うので定期的にバストウエストヒップを測っていて、レディースのしまむらTシャツの3L、4Lだとせいぜいバストは大きくとっても120cm程度だと思う。

オーバーサイズで着たい私はいつもメンズの3L、4Lを買うのでバストは130-140程度だから、「そっち見た方がいいんでないか」と思っていた。

チュッパチャプスのTシャツが欲しいらしく、だけど彼氏があれこれと「それは無理じゃない?こっちは?」とずっと真剣に彼女の服を見てくれていた。

通った時に見えたのだけど、その場で上から試着していて、彼女よりもTシャツが苦しそうだった。
だけど二人とも真剣に見て何度も試着して一枚を買い上げたようだった。

羨ましかった。

40kgダイエットしたのも、仕事を頑張っているのも色々とやるのも「モテたい」がある。
モテるってチヤホヤされることだったりそういう意味だけど、別に一人にモテたらそれで完璧だ。
私はあんな彼氏には出会えていない。

「あの子はあの子のままで受け入れてくれる人がいるんだな」

それが心底羨ましかった。

痩せてるとか可愛いとか能力があるとか、そんなのはどこまでいっても「条件つき」にしかならない。
逆に言うと相手もそうで、なので私はいつもどんなに立派な人でも「この人が無職になっても支えられるか」と思いながら付き合うかどうかを決める。

だから私も、何もなくなっても愛してもらえるのだろうか、と考えることがある。
今も特に何かを持っているわけではないけれど。

スーパーや街中にいる、家族連れとかカップルとか、たわいのないありふれた姿を見ると心底羨ましい。
もう、羨ましいしかないくらい羨ましい。

生活を共にするパートナーや子供がいるって、どんなに幸せなんだろうかといつも思う。

部屋着だったりすっぴんだったり、そういう飾らない姿を愛してもらえるってすごく特別だ。
だからすごく羨ましい。

外に出るたびにいつもそう思う。

それが私のA面なのだろう。

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