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精神疾患が良くなったきっかけ/230604



2018年頃か、支援センターで参加した認知行動療法プログラムのひとつにwrapというものがあった。

私が利用していた支援センターは色々なプログラムをやっていて、水彩画もあればパソコン教室、家庭菜園とか、興味深いものをやっていたり、水彩画も毎回先生が来てくれてモチーフを持参して、鉛筆で描いて着彩。
私なんかよりもっと上手い人もいて、毎回勉強になったりもした。

今思い出してみたらプログラムをほぼ忘れていてびっくりした。
忘却の彼方。

その中で認知行動療法的なプログラムもあって、その中のひとつにwrapがあった。
他にも毎週朝から集まって本気で取り組むIMRというものもあって、これは5.6人で通年でやるので参加資格も必要だった。
大学の教授とその秘書みたいな人も毎週来ていて、職員も全員参加。

ガチのやつ。

私は2年目が3年目に参加資格が与えられたのだけど、体調が安定せず何回も発作を出してしまったので中退となっている。

IMRのメンバーから察するに参加資格はおそらく、

◼︎まともであること
◼︎真面目であること
◼︎とにかく良くなろうとしていること

だった気がする。

まともであること、は皆さんが思う「まとも」かどうかはわからないけど、とりあえず自分で生活ができていること。
寝起きができるとか、食べられてるとか、トイレに行けるとか、お風呂に入るとか、そういうラインの話。

薬をちゃんと飲むとか、病院にちゃんと行くとか。

とにかく逸脱していないこと。
金銭的にも人格的にも性的にも、逸脱していない人。
当時の私は大丈夫だったので参加できたらしい。

真面目すぎて自分を追い詰める系の人が多くて、当時の私もそうだった。
そう思うと今の私は無責任さが目立つ。
真面目な私が懐かしい。
だけど二度とそうなりたくはない。

一方wrapはもう少し緩く参加できて、2週間に一度とかそんなペースだったと思う。
参加したい人が参加して、途中で抜けてもいい。
そして最初に「人の言うことに難癖をつけないこと」みたいな約束事項を毎回言われる。

私たちは利用者であって友達ではないので徹底的に管理されている。
それは必要なことで、ただでさえ秩序を守ることが難しかったり、守りすぎたりしてしまう人たちなので仕事を増やしてはいけないのだ。
だから連絡先の交換も禁止されている。

そういう特殊な環境を与えられ、所属する限りは守らなくてはいけないことがあった。
どこでもそうだけど。

詳しい説明はリンクを見ていただくとして、wrapは簡単に言うと「元気の出る道具箱」を作る作業。



たとえば自分の不調のトリガーになる事項、不調になった時にどうすることがベストで、回復した時にしておく作業など、全てを可視化する作業。

前半一時間は資料を配られて説明を聞いて、残りの一時間はみんなで模造紙に付箋を貼る。
その付箋に自分がどうしたら大丈夫なのか、みたいなことをテーマごとに書いて貼って、その後みんなで「これってどういうこと?」という話をする。

後半だけ参加したかったけど前半も出ていて、ずーーーーっと落書きしていた。
そして休憩時間にいつも「今日のアレ(落書き)もすごいね」とよく言われた。
こうして昔から輪を乱さないようにしているのに、できないのが私だった。
そして指摘されてから「ダメだったのか」と一人で落ち込む。

最近は落ち込まない。
強くなった。
その分、好かれない。
差し引きゼロ。

一年くらい参加してみてなんとなく「これはちゃんとやってみた方がいい」と思って支援センターで本を借りて、全部読んでその道具箱を完成させ、そして実践した。
そして本はまだ返していない。
そういうところだ、わかっている。

簡単な話である。

どんなシチュエーションで自分が不調になるのか、おそらくみんななんとなく理解はしている。
だけどそれを文字で書くというのはけっこうしんどい。
だから調子が悪い人は参加してはいけなかったし、これは調子がいい時にやっておく作業。

◼︎トリガーになるシチュエーション
◼︎ストレス発散方法
◼︎クライシス/危機に陥った時の解消法
◼︎周りへの自分への接し方の共有

そんなことをとりあえず埋める。
これはロジカルシンキングの人にはかなり向いていて、その後知り合ったロジカルな人たちは自然とこれを書き出して実行していたりして「すごいなほんとに」と思ったものだ。

自分の感情をできるだけ抜いて、それでも「これはしんどいな」を素直に書き出す。
これが本当に難しい。

その後知り合った精神疾患の人にすすめても誰一人ちゃんとやれなかった。
人間はプライドの生き物だし、何よりめんどくさい。
大人になって字を書き慣れていない人には特に難しいし、ロジカルでないと更に難しい。

あと、個人的に「とりあえずやってみてダメならやめる」タイプだからか余計に「いやそんなにカロリー使わないじゃんやってみりゃいいのに言い訳多いな」ともよく思った。

自分の弱さや驕りに正面から向き合う作業が認知行動療法なんだと今は思う。

その3年後あたり、痩せて生活保護を脱して、働くことになるまで、その道具箱をよく使用していた。
よくメンテナンスもしていたし、割と機能していた。

だけど最近ふと「あれ、多分だいぶ変わってるだろうからやんなきゃな」みたいな思考に、ふと包まれる。
認めたくなくても「この行動傾向はあんまり良くない」も薄々気づいている。
だけど、結果的にまだ向き合いたくないんだと思う。
そして今は「まだ向き合いたくない年頃なのね、じゃあ今度やろか」みたいに思ったりもする。

何より昔よりトリガーがかなり減っていて、クライシス自体もマイナスから0にするのではなく、基本0から更に豊かになれる方法、みたいな方向にもシフトしている。
感情処理の方法を見つけたのでそれが大きく機能しているとも思う。
平たく言うと正当化がうまくなった。

そしてどうしてもどうにもならない問題と、今すぐどうにかできる問題、長期的に取り組んだ方がいい問題と分けるようにしているのもある。

ロジカルシンキングの賜物とは言え、これは本気でおすすめしたい。
何よりすぐできてお金もかからない認知行動療法だと思っている。
有益な人との対話、そして自分の説明書、道具箱を作ることが大切だったんだなと思う。

有益というのは身も蓋もない言い方をすると「傷の舐め合いの割合が高い集団に属さないこと」で、その割合の加減だとも思っている。

今もまだクライシスがある。
だけど、「まぁ生きてるしとりあえず働けてるし、いっか」と思うことも多い。
課題や問題が消えることはないけれど、メンタルでの生死に関わる問題は対処したいところ。

とは言っても腹が立って恋人に暴言を吐いてしまったり(今日)まだまだ問題がある保留であった。
ちっともダメだ。






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