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汚れた血、月に向かって撃て。

今週は、うでパスタが書く。

「汚れた血」をタイトルに入れるのはブログを含めればこれで二回目だ。
私とおなじ年代にはふだん柔和な人柄のくせをして飲んでるときに「もしかしてサブカルなんですか?」と訊くと突然、「だったらなに?」などと豹変するひとも多いため、いまさら説明は不要と思うが、つまり「汚れた血」とは「完璧な色彩を持つ」と評されたレオス・カラックスの長編映画だ。愛のないセックスで感染する恐るべき病が流行する日々の話なのだ。
レオス・カラックスはデビューから重用した主演男優が自分と同じ誕生日で身長も同じ、相手方のヒロインを自身が交際中だったジュリエット・ビノシュが務めるなど猟奇的なエピソードには事欠かないアンファン・テリブルだが、「あなたにとっていい映画とは?」というインタビュアーの質問に、「終わってからもまだ続いているように思われる、それ」と答えたエピソードが好きだ。

『映画』眠れぬ夜のために」(大森さわこ/フィルムアート社)

いまの私はもう映画を観ないため、あとは生涯このへんの時代の話をしながら死んでいくことになるが、今日はそういう話がしたいのではない。

二〇〇三年に米シリコンバレーのスタンフォード大学を中退(ドロップアウト)した十九歳の女性がベンチャー企業を設立した。
会社の名前はReal-Time Curesといって、患者がICチップ内蔵のパッチを貼ると血液成分がリアルタイムに分析され、適切な投薬量が医師に伝わるというメディカル・テクノロジーを開発することになっていた。

この会社はまもなくセラノス(Theranos)と名前を変え、たった一滴の血液で数百種類の血液検査ができる家庭用小型検査機器を開発するという触れ込みで続々と出資を受けいれるようになる。
創業者のエリザベス・ホームズは注射が苦手な先端恐怖症で、ガンの発見が遅れて急逝した叔父の死を振り返りながら、血液検査を簡単により多くのひとに提供するためにセラノスを起ち上げたと語っていた。

「もっと早く検査ができれば、ひとびとはそんなにも早くさよならをする必要はないのです……そんなにも早く」(エリザベス・ホームズ/“The Dropout”)

すでにみなさまにはご案内の通り、セラノスにはこうした技術は存在しなかった。
それにもかかわらず大手ドラッグストアのウォルグリーンと業務提携を交わしたセラノスは検査に応じなければならなくなり、秘密のベールに包まれた本社のラボではシーメンスなどから購入した既存の検査機器を使用していた。
ところがこの間に「検査医療の業界をdisruptする(破壊的革新をもたらす)」と世を騒がせたホームズはメディアの寵児となり、その名声がさらに資本を呼び込むことになる。
ついに非上場のまま二〇一八年に解散が決まったセラノスの時価総額は一時、九十億ドルと日本円にして一兆円に迫り、ホームズを「史上最年少のビリオネア」に押し上げた。だがこの間、セラノスの製品はいちども完成していない。
史上最大の詐欺と報じられると、これがそのまま最初からそのつもりで始まったシノギであったようにも受け止められるが、どうやらそうではないらしいという話を今日はしたい。

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