見出し画像

敬老の日に読みたい10の聖句

敬老の日・・高齢の方はこれまでの人生を祝い、若い人は高齢者を感謝し敬うのに良い機会ですね。

そこで今回は、聖書から高齢についての聖句を幾つか紹介したいと思います。

高齢者への尊敬

白髪の人の前では起立し、年配者を重んじなさい。あなたの神を畏れなさい。私は主である。

(レビ19:32 聖書協会共同訳)

これまで培ってきた知識や知恵、経験は、本人にとってばかりか、社会にとっても大切な宝です。

それに、たくさんの苦労を乗り越えて生きてきたということだけでもすごいことなので、高齢者への感謝と尊敬を忘れないようにしたいですね。

白髪は冠

しらがは栄えの冠である、正しく生きることによってそれが得られる。

(箴言16:31 口語訳)

白髪と聞くとあまりいいイメージがないかもしれませんが、聖書にはこんなポジティブな言葉があるのです。

特に、凛とした生き方をする人の白髪は素敵だなと私は思います。

孫は冠

孫たちは老人の冠。父祖たちは子らの栄え。

(箴言17:6 新改訳2017)

孫もまた、高齢者の人生を飾る冠なのですね。

多くの孫や子どもに取り囲まれた、幸せな祖父母の姿が目に浮かびます。

神が背負ってくださる

あなたがたが年老いるまで、私は神。あなたがたが白髪になるまで、私は背負う。私が造った。私が担おう。私が背負って、救い出そう。

(イザヤ46:4 聖書協会共同訳)

倒れ、動けなくなった子どもを親が抱えて運ぶように、私たちが一生の間に何度挫折して倒れても、神は私たちを優しく運んでくださいます。

若さと成長

[神は]あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。

(詩篇103:5 新改訳第3版)

だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。

(2コリント4:16 口語訳)

体は年齢とともに衰えていきますが、私たちの魂は永遠の若さを保つことができ、成長し続けることができます。

神は使ってくださる

正しい者は、なつめやしの木のように栄え、レバノンの杉のように育ちます。彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。

(詩篇92:12-14 新改訳第3版)

偉人の多くは、70歳を過ぎてから人生の最大の仕事を成し遂げた、と聞いたことがあります。

モーセは、80歳の時に何百万人もの奴隷を解放し、その後40年間彼らを導きました。(使徒行伝7:23-36

モーセほどの体力がなくても、違った形で花を咲かせ、実を実らせることはできます。

ダビデ王は、神のわざを次の世代に伝えることが自分の役割であると考えました。

私は今もなお、あなたの奇しいわざを告げ知らせています。年老いて、しらがになっていても、神よ、私を捨てないでください。私はなおも、あなたの力を次の世代に、あなたの大能のわざを、後に来るすべての者に告げ知らせます。

(詩篇71:17-18 新改訳第3版)

預言者サムエルは、年老いてなお、民の指導を続けました。(サムエル上12:1-2

84歳のアナは、神殿で日々祈りを捧げており、幼な子イエスに会ってからは、救い主の到来を人々に告げ知らせました。(ルカ2:36-38

たとえ、祈ることしかできないとしても、それは神と人々のための立派な働きとなります。

天で栄冠を受け取る

わたしが世を去るべき時はきた。わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。

(2テモテ4:6-8 口語訳)

人生の戦いを終え、走るべき道のりを走り終えた時、また別の冠が私たちを待っています。

競技会とは違い、この栄冠は一人だけが受け取るのではなく、信仰を守った人全員に与えられるものです。

その時が来るまで

私の時は、御手の中にあります。

(詩篇31:15 新改訳第3版)

早く戦いを終えて、その栄冠がほしいという人もいるかも知れませんが、いつその「時」が来るのかを知っているのは、神だけです。

天に召されるその時まで、皆さんが神に信頼して戦いを戦い抜き、実を実らせ、みずみずしく生い茂り、充実した人生を送れますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?