敬老の日に読みたい10の聖句
敬老の日・・高齢の方はこれまでの人生を祝い、若い人は高齢者を感謝し敬うのに良い機会ですね。
そこで今回は、聖書から高齢についての聖句を幾つか紹介したいと思います。
高齢者への尊敬
これまで培ってきた知識や知恵、経験は、本人にとってばかりか、社会にとっても大切な宝です。
それに、たくさんの苦労を乗り越えて生きてきたということだけでもすごいことなので、高齢者への感謝と尊敬を忘れないようにしたいですね。
白髪は冠
白髪と聞くとあまりいいイメージがないかもしれませんが、聖書にはこんなポジティブな言葉があるのです。
特に、凛とした生き方をする人の白髪は素敵だなと私は思います。
孫は冠
孫もまた、高齢者の人生を飾る冠なのですね。
多くの孫や子どもに取り囲まれた、幸せな祖父母の姿が目に浮かびます。
神が背負ってくださる
倒れ、動けなくなった子どもを親が抱えて運ぶように、私たちが一生の間に何度挫折して倒れても、神は私たちを優しく運んでくださいます。
若さと成長
体は年齢とともに衰えていきますが、私たちの魂は永遠の若さを保つことができ、成長し続けることができます。
神は使ってくださる
偉人の多くは、70歳を過ぎてから人生の最大の仕事を成し遂げた、と聞いたことがあります。
モーセは、80歳の時に何百万人もの奴隷を解放し、その後40年間彼らを導きました。(使徒行伝7:23-36)
モーセほどの体力がなくても、違った形で花を咲かせ、実を実らせることはできます。
ダビデ王は、神のわざを次の世代に伝えることが自分の役割であると考えました。
預言者サムエルは、年老いてなお、民の指導を続けました。(サムエル上12:1-2)
84歳のアナは、神殿で日々祈りを捧げており、幼な子イエスに会ってからは、救い主の到来を人々に告げ知らせました。(ルカ2:36-38)
たとえ、祈ることしかできないとしても、それは神と人々のための立派な働きとなります。
天で栄冠を受け取る
人生の戦いを終え、走るべき道のりを走り終えた時、また別の冠が私たちを待っています。
競技会とは違い、この栄冠は一人だけが受け取るのではなく、信仰を守った人全員に与えられるものです。
その時が来るまで
早く戦いを終えて、その栄冠がほしいという人もいるかも知れませんが、いつその「時」が来るのかを知っているのは、神だけです。
天に召されるその時まで、皆さんが神に信頼して戦いを戦い抜き、実を実らせ、みずみずしく生い茂り、充実した人生を送れますように。
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