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天国にある傷跡

私の顔には傷跡があります。はっきりと認識できるものですが、普段はまったく気に留めていません。でも、先日鏡を見ていた時にふと目に入り、少しの間、その事を考えていました。

それは、中学校の放課後、教室で友だちと遊んでいた時にできたものです。走り回っているうちに、友だちが思わず私の背中を押したので、バランスを失った私は倒れてしまいました。その際、机の角に眉毛のあたりを思いっきりぶつけ、二針ほど縫ったのですが、目に当たらなかったことが幸いです。

私は鏡を見ながら、「イエス・キリストにも傷跡があるんだよなあ」と考えました。イエスは十字架にかかる前に、動物の骨や金属片がつけられた鞭によって、また、イバラの冠によって、体中に無数の深い傷をつけられました。死んで新しい体に復活した時、それらの傷は消えていたようです。ただ、十字架上で負った傷の跡(手と足の釘の跡と、脇腹にやりが突き刺された跡)は残っていました。

そのように傷跡があったことは、弟子たちがイエスの復活を信じる助けになりましたが(ルカ24:36-40ヨハネ20:19-2020:24-29)、神がイエスの復活後の体に傷跡を残された理由は他にもいくつかあるようです。

まず、私たちの救いのために、イエスが人間として生まれ、人間の体で苦しみを受けてくださったことのしるしとして。

彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。

(イザヤ53:5 新共同訳)

そして、その傷跡は、イエスがそのように人間として苦しみを受けたのだから、私たちの苦しみを理解してくださるのだというしるしでもあります。

この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。

(ヘブル4:15)

また、傷跡は傷が「治った」跡だと覚えておくことも大切です。その傷はイエスの死のしるしでしたが、イエスは死をも克服して復活されたので、傷は傷跡に変わり、勝利のしるしとなりました。

キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不死とを明らかに示されたのである。

(2テモテ1:10)

そのようにイエスの傷跡を思い出すことは、今この時の慰めと、将来への希望を与えてくれます。

聖書に書かれた多くのことから、この世で私たちが持っている身体的・精神的な傷も障害も病気も、天国へ行けば消えてなくなると考えられます。しかし、私たちとは違って、イエスは傷跡のある体で復活し、その体のままで天国へ行かれたので、それを「天国にある唯一の傷跡」と呼ぶ人もいます。

キャスティング・クラウンズというクリスチャンバンドのリードボーカルを務めるマーク・ホールも、その一人です。彼は、祖父母が亡くなった時の経験を元に、「天国にある傷跡(Scars in Heaven)」という曲を書きました。

病気になって苦しむ家族を見るのは辛いことだし、亡くなったあとも、「もっとああしていれば、こうしていれば」という後悔が残り、もう話をすることはできないのだという寂しさや悲しさもあります。

そんな時に、マークは、イエスが復活後に、傷跡のある手を弟子たちに見せられた話を思い出し、それがきっかけとなって、この曲が生まれました。

大切な人が生きている間に有意義な時間を共に過ごすことの大切さや、天国へ行った人は人生のレースを終えて、痛みも傷もすでに癒やされていることが歌われています。

そして、コーラス部分で繰り返されるのは、彼らを抱きしめている手(イエスの手)にある傷跡が「天国にある唯一の傷跡」だと知ることで、私たちは涙を流しながらも微笑みを浮かべることができるということです。

この曲は、愛する誰かと死別した多くの人を励ましてきました。もしあなたも同じような状況にいるなら、これがあなたにとっても励ましとなり、慰めとなりますように。

歌詞を日本語に訳しているサイトがありますので、そちらを参考にしてください。)

『Casting Crowns - Scars in Heaven』


『Scars in Heaven / Casting Crowns 歌詞和訳と意味』



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