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忍耐についての聖書の言葉

忍耐には様々な形があり、たとえば、他の人の過ちなどについて寛容であること(コロサイ3:13)もそうだし、困難な状況において諦めずに生き続けることもそうです。今回は、後者について、私の好きな聖書の言葉を紹介します。

忍耐は必ずしも一番大切なものではなく、我慢せずに声を上げたり、物事を変えようとしたりすべき時もありますが、ここでお話するのは「粘り強さ」「諦めずにがんばる」「最後までやりとおす」といったポジティブな忍耐についてです。


苦しみを通して忍耐を学ぶ

わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。

(ヤコブ1:2-3)

忍耐で有名なヨブでさえ、初めからそれほど忍耐があったわけではなく、様々な苦難を通して忍耐力を身に着けていきました。

忍耐によって生み出されるもの

それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。

(ローマ5:3-4 新改訳2017)

あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。

(ヘブル12:7)

神は私たちの最高のコーチであり、能力を引き出す方法をよくご存じなので、私たちにちょうどいい苦難が起こるのを許し、それを私たちの訓練に役立ててくださいます。

信仰にもとづく希望と忍耐

目に見える望みは望みではありません。目で見ているものを、だれが望むでしょうか。私たちはまだ見ていないものを望んでいるのですから、忍耐して待ち望みます。

(ローマ8:24-25 新改訳2017)

神は通常、日程表をくださらないので、試練がいつ終わるのか、あるいは神の約束がいつ実現するのかを知ることはできませんが、それは私たちの信仰を強めるチャンスです。

私たちが「遅い」と思っても、それが神の計画よりも「遅れる」ことはありません。神が最善のタイミングで事を行ってくださるという信仰があれば、希望が生まれ、忍耐力が湧いてきます。

たとえ、遅くなっても待ち望め。それは必ず来る。遅れることはない。

(ハバクク2:3 聖書協会共同訳)

互いに助け合う

私たちが苦しみにあうとすれば、それはあなたがたの慰めと救いのためです。私たちが慰めを受けるとすれば、それもあなたがたの慰めのためです。その慰めは、私たちが受けているのと同じ苦難に耐え抜く力を、あなたがたに与えてくれます。

(2コリント1:6 新改訳2017)

神は、私たちが自分の経験から、互いの苦難に共感し、忍耐を持ち続けられるよう励まし合うことを願っておられます。

聖書の登場人物から忍耐を学ぶ

かつて書かれた事柄は、すべてわたしたちを教え導くためのものです。それでわたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。

(ローマ15:4 新共同訳)

兄弟たちよ。苦しみを耐え忍ぶことについては、主の御名によって語った預言者たちを模範にするがよい。忍び抜いた人たちはさいわいであると、わたしたちは思う。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いている。また、主が彼になさったことの結末を見て、主がいかに慈愛とあわれみとに富んだかたであるかが、わかるはずである。

(ヤコブ5:10-11)

私たちは、ヨブだけではなく、アブラハム(ヘブル6:15)やモーセ(ヘブル11:27)、その他多くの人の経験から、忍耐を学び、忍耐のもたらす素晴らしい実を知ることができます。

キリストの忍耐

信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。 あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを、思いみるべきである。

(ヘブル12:2-3)

神は私たち人間だけに忍耐を求めておられるのではありません。ご自身が忍耐の神であり(2ペテロ3:9)、御子イエス・キリストも、地上での人生において多くの忍耐を示されました。

私たちが希望をいだいてキリストを仰ぎ見、その忍耐を学びながら、この人生を走り抜くことができますように。

どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせてくださいますように。

(2テサロニケ3:5 新改訳第3版)





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