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結局、何を目指してるの? という話

非常勤講師に加えて、ジェラート屋さんの定休日を利用した「水曜日の軒先」という活動をしている。フリーコーヒー、赤ちゃん連れの方とのおしゃべり会、駄菓子屋さん、おさがり交換会、アートワークショップや、放課後子供教室との連携。最近ではお寺を会場にして、小学生たちと哲学対話にも挑戦させてもらえることになった。ジェラート屋さんを含めた近隣5軒の仲間たちとは、年に2回大人も子どもも楽しめるイベントを開催するようになって2年が経った。

Edcamp TAITOという対話の場を作り、不登校の子たちを対象のメインとした放課後等デイサービスにも顔を出している。お世話になっているご近所さんちの小学生に算数も教えるようになった。

School Voice Projectのファシリテーションチームに所属していて、オンラインで定期的に「フキダシカフェ」という先生たち向けの対話の場を作り、リアルで顔を合わす会も開催を予定している。

そうそう、ジェラート屋さんがある町会の青年部にも所属していて、サンデークリーンという町会清掃活動の企画・運営にも関わらせてもらっている。最近は、ラグビーコミュニティを運営する社団法人の理事さんたちのワークショップ作りを伴走させてもらった。

ほぼ自転車圏内だけで、我ながらいろいろやってるなぁと思う。

そんな中、先日こんなことを耳にした。(私に対してじゃないけど)

「みんな、〇〇やりました!」って報告ばっかりで、
手当たり次第に手を出して、気飾ることに一生懸命になっちゃってて、
「どんな社会を目指したいの?」
「なんのためにやってるの?」
というのが伝わってこないんですよ。
自分の夢とか目指すものを言葉にする方が先だと思うんですよね。
目指すものがあれば、そこを目指して進めばいいだけで。
もっともっとシンプルなはずなのになぁ。
何を目指せばいいのか分からないーって言いながら、着飾ってばかりいるように見えるんです。

おぉおぉぉぉ・・・
あらら?私も随分着飾ってしまってるのだろうか。
どんな社会を目指すのか、明確に言葉になっているだろうか。

”社会”と言っても、その広さはきっと全く関係なくて。
私の存在意義は何なのか。
私は、私と関わる人にどんな価値を提供し、どうなって欲しいのか。

「〇〇をやってみたいなぁ」
「一緒に〇〇やろう!」
「今、〇〇が必要だ!」

って具体的な行動ばかりを発信していて、”なんのために”をじっくり言葉にすることを疎かになってしまっているかも。

という気づきのメモでした。