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地域の真ん中にある学校で、定期的な「対話の場」を作りたい。

先生・保護者・地域の方が、テーブルを囲んで真剣に対話する。


皆さんにとって、普通の景色ですか??
公立小学校で勤めてきた私は、まだ見たことがない景色であり、いつか見たいと思ってきた景色です。

「対話が大事」「地域との連携が大事」「開かれた学校」って、もはやあちこちで見かける言葉です。もちろん、PTA活動や授業連携、地域の方との交流は各学校で毎年実施されていると思います。でも「対話の場」についてはどうでしょうか。PTA役員の方や町会長さんだけが参加するような、一部の限られた方たちによる場がほとんどなのではないでしょうか。

そうじゃなくって。

もっと、普通の人たちも参加できるような、開かれていて、真剣で、楽しくって、繋がりが自然とできる、そんな対話の場が地域の真ん中にある学校で行われたらいいのに。と思うのです。
下の図でいう、従来の地縁団体だけでない、新しいつながりによる地域の教育力の再生・充実を目指すのであれば特に。

文部科学省「学校と地域でつくる学びの未来」より

それは、学校単位で行われるEdcampのようなものです。(名前はEdcampじゃなくっても全然良いのだけど)

地域、保護者、教職員がフラットに語り合い、学校の在り方や子どもたちのことを真剣に話す場。

定期的に行われるその機会は、言葉だけではない「開かれた学校」を表す場そのもの。ルールや制度を変えることを目的にしているのでも、お互いを批判するものでもなく、普段は話すことができないような「問い」について、大人自身がじっくりと対話し、価値観を見つめ直すような場。

場合によっては小さなプロジェクトが生まれるかもしれません。
もしかしたら制度の見直しも必要になるかもしれません。

でも、まずはそんな分かりやすい《変化》の前の、対話の文化作りが必要だと思うのです。

具体的なイメージ

ちなみに文部科学省からは、「地域みんなで 子供たちの未来を考える ワークショップのすすめ」というパンフレットが7年前に出されていました。このパンフレットで必要なこととされている1番の「熟議」の入り口に該当するのではないかと考えています。

文部科学省「学校と地域でつくる学びの未来」より

小学校の体育館に、100人近い人が集まっています。
この会の主旨に賛同し、自主的に参加している方々ばかり。
4.5人ずつがサークルになり、楽しそうに、真剣に話し込んでいます。
真ん中の模造紙には、カラフルなペンでそれぞれがキーワードを書き込んだり、線で繋いでいます。

話しているテーマは、
「学校でなければ学べないことって何だろう?」とか、
「学校のルール、どう変えたい?」とか、
「地域みんなで育てるってどういうこと?」とか。

参加している人は、〇〇小学校の先生方と有志の保護者や地域の方々(学童の先生や、民間で教育に関わる人も)、時には高学年の子どもたち自身。
それぞれの立場がバランスよくグループに入っています。

対話が始まる前には、グラウンドルールが共有されます。
・互いの意見をまずは受け止める。
・特定される個人についての話題は控える。
・答えを1つにしようとしない。
などなど。

だから、みんな安心して話をしています。

先生方は、自分が大事にしている価値観や教育への想いを語り、学校にいるからこそ分かる難しさも正直に伝えます。「模範的な先生」としてではなく、1人の人間として語ります。

保護者の方は、これまで聞けなかったモヤモヤを口にしたり、家庭で子どもを見ているからこそ感じていることを正直に話します。

地域の方も、学校に関わるなかで感じていること、街中で見る子どもたちの姿、なぜ学校教育に関心があるのかなどを語ります。

今月の予定や今年度の予算、役員の発表、学校経営理念の棒読みとか。
そういう形式的なものではなない、熱のこもった、普段は話さないような、根っこの部分を語り合う時間。

「先生って、こんな願いをもっていたのか。」
「先生と言っても一人一人、専門も考え方もこんなに違うんだ。」
「保護者も地域も、こんなに学校を応援してくれているのか。」
「当たり前だと思っていたこのルール、もしかしたら違うのかもしれない。」

熱気あふれる会場をあとに、こんな気づきをそれぞれが持ち帰る。

そして、
「〇〇小学校、よくなっていきそうだな。」「私にもできることがあるかも。」いうほんの少しのワクワクを得られる。
(きっとモヤモヤも持ち帰ることになりますが、考えを深めるためには必要なこと)

そんな時間を、体育館で過ごしたいのです。

入学したばかりの1年生の保護者も、初任の先生も、年齢も立場も越えて、それぞれが見る景色からの教育への想いを語り合える場があるということ自体に意味があると思うのです。

もちろん、どんな問いも答えは1つになるはずはありません。

制度の見直しに関して言えば、「標準服」1つとったって、メリットもあれば、デメリットもあります。でも、何も疑わずに「こういうものだから」と継続してしまうことは危険だと思うのです。時代も、価値観も変わっている。

教員の間では2割の人しか感じていないような違和感も、保護者も地域も集まってみんなで話したら、全体では6割以上の人が違和感を持っていたりするかもしれません。

そうしたら、学校としても見直すことになるかもしれません。

変わること・変えることが目的になってはいけないけれど、「まずはフラットに話してみよう!」という土壌を作ることから始めないと、溝はいつまでたってもなくならないし、変化も起きないような気がします。

実現するにあたっての問題

この景色を実現しようとしたら、考えなくてはならない問題は山ほどあるのは重々承知しています。

・参加者100人ってどうやって決めるのか?
・テーマごとに回を分けて希望者を募る?
・そもそも忙しすぎる先生は、参加したいと思ってくれるのか?
・変化を起こす必要があった場合のフローは?
(おそらくこの回に決定権はないので、、、)
・主催者は学校?地域?PTA?

大変なのは間違いありません。
でも、コーディネーターとして、学校における対話の文化作りをしていきたいという願いを持っています。

顔の見える関係を増やすために


オンラインなど、直接の関わりがない関係だからこそできる対話もあるけれど、同じ地域の住民同士だからこそ対話が必要なこともあると思うのです。特に、下にあるような"顔が見える関係”になることの意味があると。

対話の機会を積み重ねていった結果、このような変化がきっと生まれるのではないかと考えています。

これからの学校と地域より
これからの学校と地域より

コーディネーターとして、こんな対話の場作りをしたいと考えています。

「うちの学校でやってみたい!」という方がいらっしゃいましたら、ぜひご相談ください。

一緒にチャレンジさせていただきます。