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寒空のmilk tea

ロイヤルミルクティーを淹れることになったのは「milk tea」という曲を彼にプレゼントしたからだ。

とてもとてもアナログな環境にいる人で、パソコンはもちろんのこと携帯電話もガラケーで、福山雅治の「milk tea」を聴いて欲しいと言ってもどこにもアクセスしようがなかったのだ。だから手持ちのCDの中からセレクトして何曲かコピーしプレゼントした。

まだ付き合う前のことで、わたしはこの恋は完全な片想いで完結するのだと思い込んでいた。思い込みにはいくつかの事情があるのだが、とにかく彼は人付き合いが良くて、誰にでも満遍なく優しくて、驚くほどこまめで、サークル活動にも熱心に取り組む好青年だから。(マイナスの面と言えば、清潔ではあるがボロボロになるまで衣服を使い続けたり、いつも財布が寂しくて学生か?と思うほどだったり、自分のプライベートに関することはほとんど話してくれない秘密主義だったり)

誰にでも優しい人、そういう人の優しさはけしてわたし個人に向けられたものではない、と思うくらいには痛い思いを経験してきている。

だからむしろ気楽に好意をぶつけていた。晴れた寒い日に雪玉をポンポンと投げつけるみたいに。

わたしの恋はわたしのもの。

成就しないならいっそ楽しい思い出に。

そんな心持ちで彼と長電話したり、待ち合わせて美術館に行ったりした。そんなふうにしている女の子は彼の周りにはたくさん居そうな気がしていた。

自分の好きな恋の曲をセレクトしてプレゼントしたのは告白のつもりだったけど、はたしてCDを聴いてもらえるのか、曲順や歌詞について思いを馳せてくれるのかなんて、期待はあんまりしていなかった。


しばらくして、いつものように取り留めのない話で長電話している時に、彼は唐突に「あの「milk tea」はいい曲だね。気に入ったよ」と言う。

……………………

「ごめんね」
どうして素直に言えないんだろう

「ありがとう」
本当はね いつでも思ってる

口べたなとこ 背が高いとこ
嫌いじゃないかな
好きになってくれるかな

愛したい あなたに逢いたい
いまこの胸の奥で叫んでるよ

愛される明日を夢見る
もうこの心 ぜんぶあなたのもの
あなただけのもの

福山雅治の「milk tea」 https://youtu.be/Dm17FZQx1hE

……………………

それでね、と彼は続けた。

「実は本当のミルクティーって飲んだことないんだ」

植物油脂のポーションのミルクもどきを入れたことはあるけれど、牛乳で煮出したミルクティーは飲んだことが無いという。

お茶やコーヒーを美味しく飲むことにこだわりを持っているわたしは即座に「本物をご馳走するから」と口走っていた。それはありがたい、楽しみだ、いつにしようか、と彼は珍しく畳み掛けるように話す。冬の最中だったから、暖かくなる頃にでも?と言いかけたわたしを遮るように「こういうことは早い方がいい」という。次に2人で会う日はすぐに決まった。


それから2人で会うまでに、わたしは何回もロイヤルミルクティーを練習した。専門の器具を買う余裕は無いので、ネットで複数のレシピを見て、これまでの経験を加味して、自分にできる最善を尽くした。慣れた舌にもこれなら美味しい、と思えるまで何回も。


さて、約束の当日、熱々のロイヤルミルクティーが入った魔法瓶を冷めないように等さらにバスタオルでくるんで出かけた。指定された待ち合わせ場所は大きな図書館でわたしは初めてだったけれどすぐにわかった。しかし到着と同時に頭の中は疑問符でいっぱいに。

彼に会える嬉しさで忘れていたのだが、このお茶をどこで飲むのだろう?

図書館はお茶会をするのに相応しく無い。彼は「公園に行こう」と誘った。図書館からお堀を挟んで公園へ。日差しはあったけれどかなり冷え込んで北風の冷たい日だったから手足はすぐに冷えてしまった。

それでも小さな四阿を見つけて座り、お茶会を始めた。この日のために地元ではちょっと知られた菓子店のクッキーも用意していた。それは口に入れるとホロリと砕ける、軽い上品な焼き菓子で、ロイヤルミルクティーの濃厚さと組み合わせると口福と言って良い味がした。彼の評価は上々で、お茶もお菓子も美味しい美味しいと喜んでくれた。苦労も労ってくれた。好きな人と食べていると思うと焼き菓子はいつもより甘い気がした。


恙無くお茶会は進み、用意したものはすべて2人のお腹に収まった。わたしはお茶が終わったらお開きになるか、待ち合わせた図書館にでも戻ると思っていたのだが、彼のお喋りが止まらない。しかも珍しく自分の話をしていた。

それを遮ることができずにいたが、次第に話が頭に入ってこなくなった。トイレに行きたくなったのだ。寒い日に利尿作用のある紅茶を飲んだから当たり前のことなのだが。広い公園にはトイレは見当たらず、トイレのことを言うには恥ずかしく、彼は熱心に話し続けている。

陽は傾きかけて、手足は冷たく痺れ、膀胱はいっぱいで、タイミングよく相槌を打つのが難しくなってきて、わたしは黙った。

この人は何を考えているのだろう?

この寒さの中でわたしはあとどのくらい耐えられるだろう?

好きな人とデートしていたって、寒さでカラダが悲鳴を上げていてはニコニコはできない。わたしが黙ってしまい、涙目であらぬ方向を見ているのに気付いて初めて「寒いかな?移動しようか?」と彼が言い出した。

それから閉館間際の図書館で用を足すまでが、果てしなく長く思えた。暖かい館内で曇ったメガネを拭きながら、わたしは彼とお茶会をしたかったのであって寒さに震えたかったわけでは無い、こんなぞんざいな扱いをされるのは脈がない証拠かと落ち込んだ。

場所を移しても口数少なく、帰宅時間だからと帰り支度を始めたわたしに、彼は次のサークル活動の内容を陽気に話しかけていた。少しでなくガッカリしていたわたしは話をろくに聞かずに、それでは、と背中を向けた。帰りの地下鉄で、少し涙が滲んだ。


お姫さまのように扱われることなど人生の中で一度もなかったけれど、今日の扱いは酷いのではなかろうか。もともと容姿にひとかけらの自信が無く、上手くいかない恋がほとんどだったわたしは、このたびも見事に失恋したのだと思った。次に2人で会う提案を彼からしてくるまで。

「この間はごめんね」から彼との会話は始まった。お茶とお菓子が美味しかったのと楽しかったので、あなたの体調が悪くなっていくのに気付くのが遅れて、ごめん!と謝る言葉に嘘は感じられなかった。

この人は優しいけれど鈍感なのかしら?

でも鈍感なのはわたしの方だった。彼とはその後も美術館や博物館や映画に出かけた。そしてこう頻繁に2人で会うのはどういう状態なんだろう、と考えることが多くなったある日「またミルクティーを淹れて貰えると嬉しい」と言われた。

トラウマになりそうな寒さを思い出して、身構えたわたしに「あの曲を聴くとあなたのことを思い出すんだ。楽しかったお茶会のことも」と続ける。「寒い思いをさせたことは本当にごめんね、ちょっと緊張もしていて自分ばかり喋ってしまって」

彼は緊張していた。「milk tea」を繰り返し聴いていた。わたしのことを思い出していた。

ちょっと混乱して、それは遠回しな彼からの告白だと気付いたのは電話を切ってからだ。次の日曜日に会うことになった。

季節は春になっていた。

お茶の淹れ方を復習している最中に、人当たりが良くて、誰にでも優しくて、驚くほどこまめな彼が、実はものすごい照れ屋だということに、気づいた。







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