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Vol.9 言葉が通じないからもっと通じあえるのかも ~ヘラヴェダガマおぼえがき その6~

6回にわたってつづったヘラヴェダガマものがたりもついに最終回。最後は、「いまヘラヴェダガマの先生たちに会ったら、何したい?」について。

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さき: ヘラヴェダガマの人たちに、もう一回会いたいと思う?

たま: そうだね、会ってみたいな。10年経って、だいぶ状況も変わってると思うし。前回は、1か所に1時間くらいしかいれなくて、お話ししたらすぐ移動って感じだったから、次は許されるなら、何日か先生に同行したり、診療所のお手伝いさせてもらったりしたい。

さき: 目的をもった訪問じゃなくて、ただ一緒にいさせてもらうっていうのをやりたいよね。「これについて知りたいんです、教えてください!」っていって、教えてもらえることなんて少ないっていうことも、今ならわかる。「知る」「学ぶ」って単なるコンテンツの伝授じゃないんだなって。

たま: ヘラヴェダガマの人たちもそういう学び方してないもんね。先代のとなりにいることで体得してきたものでしょ。治療方法だけじゃなく、植物との向き合い方とか、哲学とか。

さき: そうそう、学びのフレームが違う。コンテンツって、彼らにとってそれほど重要じゃないのかもしれないね。もうちょっと別の部分に本当の価値がある。いまだったら、先生たちに何を質問したい?

たま: うーん、質問は、あまりないかもしれない。重要な部分が言葉になってない医療だから、むしろ、観察したい。難しいかもしれないけど、朝から晩まで、診察の場面も含めて一緒に行動させてほしい。

さき: アーユルヴェーダの知り合いは、昨年の冬のスリランカ出張中に、同じく土着の医療、アティグナヤという、手に力があると言われる治療家さんの診療所に入り込んで、お手伝いさせてもらってたなあ。

たま: わー、そういうのやってみたい!お手伝いっていっても、シンハラ語しゃべれないから先生の指示がわからないかもだけど。

さき: 言葉ができなくても、お手伝い...彼女はできてた(笑)。治療の場面では、言語がなくても成り立つことがたくさんあるっていうことを、逆に再確認するような・・・。

たま: わたし、また言葉にこだわっちゃった(笑)

さき: 言葉が通じないからこそ、先生や看護婦さんを、もっと細かく観察できるということはきっとある気がする。より直接的に伝わってくるもの、あるよね。いまは、コロナで移動が難しいけど、いつか一緒にいってみたいね。

たま: そうだよね。そばにいて感じること。どんなことをどんな風に感じるのかも楽しみだな。うん、いつか一緒に行こうね!

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photo by Satoshi Osaki

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