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Vol.1 アーユルヴェーダでリズムをつかめ!“今の自分”が発する音を聴こう

アーユルヴェーダ カウンセラー&セラピストの池田早紀と、言葉を紡ぐことを生業としてきたたまこが、”良くある”ことを目指して、日々の中での気づき、心に留まったこと、深めたいことを、流れにまかせて語り合います。まずはふたりの共通項、アーユルヴェーダから。よもやま話、はじまりはじまり~!

そもそも、アーユルヴェーダとは?

たま: コロナが起こってからずっと、さきちゃんとよく雑談してるじゃない? ゆるいことからまじめなことまで、あーでもない、こーでもないと。でも、雑談って流れていってしまうから、もったいないな、とふと思ったの。記録という意味でも、それを起点にさらに深めたり、広げたりしたいという意味でも、今話していることを書き留めておいたら面白いかなって。とにかく、すぐ忘れちゃうからさ。

さき: たまちゃーーん。よく雑談したねーえ、コロナとともに。そして今も。私は記録することをつい怠ってしまうトコロがあるので、言われてハッとしたよー。そうだよね、いつか2020年のことを皆が振り返ったときに、今年考え始めたこと、今年話していたことを残すことはとても意味があるかもしれないね。

たま: 記録に残していく話題の話としては、やっぱりアーユルヴェーダがいいのかなと思って。さきちゃんはその道の専門家だし、私もアーユルヴェーダの取材をしたことはあるけど、まだまだ知りたい部分が多くて。

さき: そうだよね。たまちゃんは「アーユルヴェーダとは?」って聞かれた時はどうやって説明してるの?

たま: えっと、「アーユルヴェーダはインドのヒマラヤの辺りで5000年前くらいに生まれた、生きる智慧で“生命の科学”と呼ばれてます。西洋医療と一番違うのは、症状を診るのではなく“その人を診る”ってことですよ。それから、メソッドの核として、5元素から成る3つのドーシャというエネルギーのようなものがあって、それを使って一人ひとりの体質や治療を判断していきます。人間だけじゃなく、この世界はドーシャで成り立ってるんですよ」って感じかな?

さき: うん、うん、あとは、植物を多用することも特徴的だよね。全身のマッサージに使うオイルも植物からつくられたものだし、薬にも使うしね。それから、なんといっても、アーユルヴェーダのオイルでの施術が気持ちいいこと、「快」であることも大きな特徴だと思う。オイルでの全身マッサージは、アーユルヴェーダでは治療の「前処置」(プールヴァカルマ)と呼ばれるもので、本格的な治療の前に行うの。染める前の布地をまっさらにきれいにしておくと、きれいに染まるのと同じように、心と身体の不要なものを落として、浄化して、必要に応じて本治療に入る。

たま: 日本で知られているアーユルヴェーダは、リラクゼーションのマッサージが主流だから、前処置の部分なんだね。本格的な治療では、どんなことするの?

さき: 流れ自体は西洋医療と同じだよ。診断に基づいて、薬を飲んだり、経過を観察したり。

※ 5元素・3ドーシャ:
アーユルヴェーダでは、
人間の心身を動かしているのは、
5つの元素(空・風・火・水・土)
から成る3つのドーシャだと考えている。
3つのドーシャは、
ヴァ―タ(風=空+風)、
ピッタ(火=火+水)、
カパ(水=水+土)を指す。

たま: 伝承医療とか自然療法って呼ばれるものは、人を診る、植物を使う、とか、共通点があるでしょ。その中で、アーユルヴェーダのコアというか、アーユルヴェーダだからこそっていうのは、何なのかな?

さき: 私もそれをずっと考えているんだけど、ひとつ思うのが、アーユルヴェーダは、自然のリズムに合わせるための方法論をもっているということなんだよね。『すべては森から』の著者であり建築家の落合俊也さんも言ってたけど、自然のリズムに従っていれば、人はたいてい間違わない。

アーユルヴェーダには、リトゥチャリヤ(季節の過ごし方)とディナチャリヤ(一日の過ごし方)っていうのがあるんだけど、これはね、薬のこととか病気の治療こととかではなく あくまでも、“くらし”、生活実践のことなの。自然を「地球の自転」と「それによって起こる変化」と定義して、そのリズムに合わせていくことによって得られるものは、実はすごく大きいの。

たま: 地球の自転って一日のこと?

さき: そう。アーユルヴェーダの古典に、一日の過ごし方がかなりこまかく書かれているの。

すごく端折っていうと、朝日が昇る96分前(ブランマムールタ)に起きて日の光をたっぷり浴びて、そのあと、歯を磨いて、シャワーを浴びて、お白湯を飲んで、瞑想して、朝はカパが強くて消化力が弱い時間帯なので朝食は軽く※1、日中は消化をつかさどるピッタが強くなるので、メインの食事をとる、日が落ちたらまた消化力が弱くなるので軽く食事をして、夜は週1回くらい性行為をして※2寝ますという感じ。

これは、TODOリストではなくて、人間が本当に自然のリズムに抗わずに生きたらどうなるか、っていうもので、書かれていることの実践が、自然のリズムに合わせることになるの。

「いつ」起きるか、「いつ」運動をするか、「いつ」オイルマッサージをするか、「どのように」「どの体質の人は」どんな休息を取るといいのかなど、すっごくうるさい HOW TO ものにみえるかもしれないけれど、その真意は、どれだけ宇宙のリズムに則って生きていけるかということで、“くらし”=予防医学の神秘ってそこだなーと思ったりする。

※1 これも体質別にさらに言うと、
カパの人は飲み物だけ or 抜いてもOK、
Pittaの人は消化力が高く、
空腹でイライラしてしまうのできちんと朝食を。
ヴァ―タの人も空腹でヴァ―タが乱れてしまうので
朝は乱れを鎮静してくれるスープがおすすめ。
乾いたパンやヨーグルト、フルーツだけなどはNG、
などなど。

※2 春と秋は4日に一度、
夏や雨季には15日に一度、
冬は(体力が一年のうちに最大になるので)
自分の満足のゆくまで
性行為を楽しむがよい、
と言われている(これぞリトゥチャルヤ!)。
体質別には、カパの人は性欲が強く、
体力もあるから多くしても大丈夫、
などなど。

たま: 自然とともに暮らす方が、身体にいいんだろうなってわかっていても、実際、自然の中で自然のリズムに従って暮す人は少ないし、自然を感じる力も弱っているし、具体的に何をやったらいいかっていうのも、よくわからない。大昔だったら、電気もないし、生きること自体が自然のリズムになっていたかもしれないけど。だから、アーユルヴェーダが、何千年もかけて精査してきた、自然のリズムに合わせていくための具体的な実践の手引きをもっているのは、心強いよね。

さき:そうだよね。どこの国の人でも、どの文化の中でも、どの時代でも有効なものを、アーユルヴェーダで一つ挙げるとしたら、自然のリズムの部分だと思う。

わたし、自然のリズムの実践プログラムとしてね、南風食堂の三原さんと一緒に『マハトチューニング』というお料理教室をしているの。1年間を通して、季節に合わせた過ごし方と食を実践していくプログラムなんだけど、参加している人たちが、本当にみんな変わっていくんだよね。

原因不明のしんどさが改善したり、アトピーが良くなったりする人もいるし、転職する人もすごい多いの。結婚する人や引っ越す人もいて。なんかね、自然のリズムに合わせることで、自分の人生がちゃんとまわり始めていく印象なの。

たま: へー、面白い!自然としての自分のリズムを取り戻していったら、誰かに教えてもらわなくても、自分で自分を整えていけるってことだよね。月の満ち欠けも、波の満ち引きも、心臓も脈拍も、全部自然のリズムだもんね。

自分が出してる音とリズムが、アーユルヴェーダで調律されると、調和がとれた音楽になっていく。それによって、体調の変化はもちろん、いま必要なものとか、どっちを選んだらいいかとか、そういう、生き方全般みたいなことまで感覚としてわかってくる、そんなイメージかな。

さき: うん、自動調整できるようになるんだよね。その知性をアーユルヴェーダでマハトというんだけど、それってつまり、サーフィンみたいなものなんだと思うんだよね(私自身はサーファーじゃないんだけど、サーフィンをやってる友達から聞くところによると)。

いまこの波に乗れるとか、いまはまだ早い、とかさ。最初は誰かに波の見方を教えてもらうんだけど、だんだん、よーーーく観察していると自分でわかるようになるらしいんだよね。

もちろん、練習も必要だし、それなりの時間はかかると思うんだけど。やっているうちに、昔から知っていたような感じになる。アーユルヴェーダの人の中には、「人はそれぞれ、本当はわかっているはずだから、想い出すようになるだけだって」言う人もいるの。

たま: なるほどなあ。もともとあるものを、ライフスタイルとか考え方とかで封印しちゃってるんだね。もともと存在している自分の中の自然を、都会の中にいたとしても、一日の過ごし方と食事を変えていくだけで取り戻していけるっていうのは、とても希望のある話だなあ。アーユルヴェーダに委ねることで、そこまで連れていってくれるんだね。

「いま、表れているもの」が
たくさんのことを教えてくれる

たま: 季節の過ごし方や一日の過ごし方は、自分のドーシャは気にしなくていいの?本やネットにあるチェック項目でドーシャを自己診断すると、たいてい間違うというか、専門家の見立てとは違ってたりすると思うんだけど。

さき: ドーシャも生まれつき強いドーシャと、いま現在、強くなっているドーシャがあるんだよね。
みんな、本来の体質(プラクリティ)を知りたがるけど、調子を整えていくうえでは、いまのドーシャのバランスを観ていく方が有効だと思う。ドーシャは常に揺らいでいるのが前提だからさ。その揺らぎが、何によって起こっているのかを把握していく。それでいいと思う。

今のドーシャのことを、ヴィクリティっていうんだけど、ヴィクリティのケアをしてると、「自分はそうじゃないって思ってたのに!」みたいな要素がだんだん出てくるの。

プラクリティ、ヴィクリティについて
詳しく知りたい人におすすめの動画
(英語)

たま: どういうこと?

さき: たとえばね、こないだカウンセリングさせていただいた方は、「自分はカパだと思う。いつもすごく身体が重くて、だるくて、鬱っぽい感じもある。疲れがひどくて、夕食を食べながら寝てしまうこともある。夕食後になんとか一旦起きて、その後、深夜2時くらいに寝て、朝は10時くらいに仕事に行くんです」って言ってたの(注:カパが増えると心身が重くなる、いつも眠い、といった不調が出やすい)。

で、カウンセリングとしていろんな質問をする中で、この方のカパが多い状態っていうのは、本来の体質というより、いまの生活スタイルとか環境の中で増えてるものだなって思ったの。

それでね、彼女にこんこんと伝えたの。「早起きしてください。5時、6時に起きてください。夕食中に寝ちゃうくらいなら、夕食は食べなくてもいいから、帰宅したらそのまま寝て、とにかく朝早く起きることを優先してください」って。その方も素直に実践してくれて。そしたら、1週間くらいで「ちょっと、なんかすごいです!」ってメールがきたの。

「毎日頭の回転がいいし、便秘も治ったし、鬱っぽい気分も消えて、生理中に出てた血の塊みたいなのもなくなって、もともと好きだったモノづくりがしたくなって、とにかく、朝起きてから夜明けまでの時間が、本当に楽しいです」って。
起こった変化もリスト化して送ってくれたんだけど、「えっ、こんなに変わるの!?魔法っ!」ってこっちがびっくりするくらい長いもので。

でもね、やったことって、難しいことでもなんでもなく、起床時間を変えただけなの。起きる時間を変えることで、意識が変わって、食べるものが変わって、やりたいことが変わった。つまり、彼女は、早起きを通して、いま多くなって乱れているドーシャを整え、自分をチューニングしたんだよね。

たま: 早起きすることでそこまで!!ポイントは、いまのドーシャの上位体なんだね。

さき: そう。ヴィクリティの状態を整えていくことで、たいていの不調は解決するよ。

たま: そうかー。「いま現在強くなっているドーシャ」って一時的なものだろうから、そこではなく、本来のドーシャにフォーカスするのが大事なのかなって漠然と思ってた。でも考えてみれば、先天的にどんな体質か、どんなトラブルが起こりやすいかってことよりも、いまの状態やトラブルに対応するって、あたりまえだよね。

それなのについ、いまこの瞬間の自分をおざなりにして、「私の本質ってなんなんだろう?」ってところに興味が言ってしまいがちなんだろうな。でも、いまの自分をしっかりよく見てごらん、そこからわかること、変わっていくこと、こんなにたくさんあるよっていうことなのかな。

なんか、自分探しとも似てるね。探すのもいいけど、いま目の前にあること、いま興味があることをやってみたら、その中から見つかってくるよって。

肯定感の中での
あたたかい触れ合い、まなざしが人を癒やす

たま: 乱れているドーシャの見立てとアドバイスは、属人的な要素が大きいの?それとも、アーユルヴェーダの先生だったらだいたい同じ診立てになるの?

さき: 診立て自体に大きな違いはないと思うんだよね。この人はこういう理由で、いまカパが増えてて、この辺りをやればいいだろうっていう。ただ、それをどう伝えるか、どこを強調して伝えるかっていうのは、違いがあるはずだよね。

私の場合は、最低1時間はクライアントさんと話すようにしてて、最初にアーユルヴェーダの質問をするの。「カウンセリングのためにいくつか質問していっていいですか?身体のこととか、心のこととか、過去にさかのぼって聞くこともあるので、嫌だったら答えなくていいですよ」って前置きして質問していくと、必ず、ばーっと話が出てくるポイントがあるの。なので、そこはしっかりきいて、全体像の見立てのヒントにすることが多い。表出されていない部分を引き出せるような聞き方をすると、より多くの情報を得ることができるよね。

たま: なるほどなー。そうやってさ、自分のことについて、じっくり時間をかけて引き出してくれて、一緒に考えてくれる存在はありがたいよね。健康についての知識と経験を備えていて、自分とその症状に関心をもって耳を傾けてくれる人の前で話するのは、安心できる時間だよね。

さき: わたしもそう思うんだよね。待合室で書き込んだ問診票を見てさっと行う診断と、対面して、一つひとつ質問されて、答えて、それをちゃんと聞いてくれて、また質問されて…っていうやりとりを通して出てきたものが、たとえ同じ診断結果だったとしても、価値が違うと思う。人ってただ誰かに話を聞いてほしいっていうのが根っこにあって、傾聴するだけで問題が解決していくっていうところも、一部あるんだよね。

たま: 自分で自分のことを客観的に見つめて、心の声も聴くことができたらいいのかもしれないけど、やっぱりそれも片手落ちな気がするよね。人と人とが関わり合うってことがポイントなんだろうな。

さき: 人と人とのかかわり合いがもたらす、健康へのプラスの効果について、いろんな研究結果が出ているじゃない?たとえば、「友達の数が多ければ多いほど長生きの傾向がある」とか。でも、ただ知り合いが多ければいいわけじゃなくて、温かいつながりのなかで、助け合ったりしてることが大事だと思うの。

アーユルヴェーダの中には、そういう実感の原型があると思う。治療の中でドクターに触れてもらうとか、治療してくれる人のまなざしがやさしいとか。自分やその一部を「悪い」とするんじゃなくて、あなたは良い存在っていう絶対的な肯定感のなかで治療をすすめていくってことに、すごく意味があるんだよね。

あなたの生活スタイルが悪かったから、あなたの考え方が悪かったからって、悪い前提で進められるのって、病気の時は特につらいし、治癒力も気力もでてこない。

アーユルヴェーダは、その人の中にある良い部分を覆い隠してしまっているものがあるとしたら、それを見つけて一緒に取り除いていきましょう、という形で治療が成立している医学なんだろうなと、実践していて感じるな。

『友だちの数で寿命はきまる 人との「つながり」が最高の健康法』石川 善樹著(マガジンハウス)

たま: すごい包容力。

さき: そう、アーユルヴェーダがもっているのって、お母さんのやさしさに近いと思う。大丈夫って手をさしのべてくれるような。医療や治療のプロセスが母性的なんだよね。皮膚のふれあいが欠かせない治療だから、アーユルヴェーダの現場でオキシトシンの量を測ったら、きっとたくさん出てるんじゃないかな。

アーユルヴェーダの医療行為の中で、オイルマッサージは外せない部分だけど、同じ伝承医療でも、中医学は生薬や鍼、すい玉なんかが中心だから、皮膚のふれあいの要素は、アーユルヴェーダより少ないのかなと思う。

もちろん現代医学にくらべたら、人間の触覚に頼る診断は、中医学も多いし、手首、腹部を中心とした脈診、触診はとても発達しているけどね。

たま: アーユルヴェーダのハーブのスチームサウナもオイルのマッサージも、治療だけど全部気持ちいいよね。うっとりしちゃう。

人とのふれあいとか、つながりを大切にしている診察や施術って、時間がかかって非効率なようでいて、本質的な部分を癒やしてくれるから、長い目でみれば効率が良かったりする。人との関係性が見直されているいまだからこそ、アーユルヴェーダを取り入れた治療が必要とされてきそうだね。

コロナ時代に、どうやって直接の会話や皮膚のふれあいを確保するか、あるいはそれらを減らしても同じ結果の品質をたもっていくにはどうしたらいいのか、といった課題はあるかもしれないけど、不安や寂しさを感じやすい時だからこそ、アーユルヴェーダのお母さん的やさしさは、必要とされる気がするな。

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