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チョラ豆とチョーラ王朝

 インド料理にはたくさんの豆の種類が登場する。チャナと呼ばれるひよこ豆に始まり、ムングと呼ばれる緑豆。トゥールと呼ばれるキマメなどそれぞれを粉状にしたり、割ったりしたりと保存方法も様々だが調理方法も様々である。

 南インド料理に「オーラン」という料理がありこれは瓜科の植物と豆をホールスパイスやハーブと一緒にココナッツミルクで煮込んだものが多いが、私はこれを冬瓜とチョラという豆で作ることが好きである。チョラというのはCHOLAと書き大豆に形と大きさは似ているのだが、白く真ん中に黒いマークみたいのがある。小さいパンダのような豆でもあり英語ではBlack Eyed Peas 黒目豆とも呼ばれてアメリカや中米、南米の料理に広く使われている。ひよこ豆のように硬くはないので水に戻す時間もさほどは要らず、すぐに色々な料理に活用できるのもこの豆の魅力の一つである。

 chola 、チョラとは一体どんな歴史があり、どのような経緯で使われるようになったか使うたびに気になっていたが、そういえば同じ名前の王朝がその昔南インドにあったことを思い出した。紀元前300年ごろから南インドの今のタミルナドゥ州を広く支配していたといわれているChola dynasty(チョーラ王朝)は南インドのKaveri(カヴェリ)河の袂で興り、ヒンズー教のシヴァ神を信仰していたといわれている。農業や漁業に熱心で、航海の技術や造船の技術はかつて世界一だったといわれ古代インドの文化や料理をスリランカや南アジア、東南アジアに広く伝えていったといわれクメールやマレイ、ベトナムの人々に影響していった。紀元前300年から始まったチョーラ王朝は1279年まで約1500年もの間続いたといわれている。1030年にはチョーラ王朝の支配はケララ、スリランカ、ガンジス川、ベンガルそして遠くはフィリピンのセブ島まで及んだと言われている。町の中心にはシヴァ神の寺院を建立し、学校も兼ねていた。他の宗教にも寛容で今のスリランカに仏教徒が多いのもその影響だといわれている。

 食事は様々なものを食べていたそうで豆やナッツ、麦や米に加え羊、猪、豚、鹿、オオトカゲ、イグアナ、ペリカンにハリネズミそして象までも食べていたそうである。シナモンやカルダモン、カシアやその葉っぱ、クミン、コリアンダー、ターメリック、八角、カレーリーフにカルパシなどといったスパイスを多用したそうである。野菜やフルーツもたくさん使い、筍なども料理していたそうだ。ココナッツを使ってワインも作っていた。調理法も燻製、発酵、煮込みなど色々なテクニックを使っていたそうである。

 ただ彼らが残した書物は多くはなく、歌や詩を通して彼らの歴史や文化を知ることができるのだそうだ。

南インドにはチョーラ王朝だけではなくパンディヤ王朝、チェーラ王朝も同時期に存在して時には争っていたそうである。それぞれにシンボルがありチェーラ王朝は「弓」。パンディヤ王朝は「魚」そしてチョーラ王朝は「虎」である。

 紀元前からインドで一番長く続いた王朝と豆のチョラが関係しているかどうかはわかない。

 関係あるようで全然関係ないかもしれない。ただチョーラ王朝でもチョラ豆は食べていたそうである。


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