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二つの顔を持つスパイス

17世紀中頃、ニューヨークのマンハッタンはオランダがイギリスにあげたらしい。

マンハッタンの代わりにオランダの人々が手に入れたのはインドネシアの南東にある11個の島々からなるバンダ諸島である。彼らが欲したのは当時需要が高騰していた「ナツメグ」である。



今では胡椒、シナモン、クローブと並び世界4大スパイスと言われているナツメグがヨーロッパの歴史に登場するのは1世紀のこと。ローマ人が一つの木からできる木ノ実に2つの香りがあるとして話しているのが記録で残っているそうである。この2つの香りというのはナツメグの香りとナツメグの周りにある網状のメースといものである。インドでは紀元前1,000年にはバラモン教の聖典「ヴェーダ」に頭痛、熱病に効くことと整腸、口臭消しの作用があると記されているそうである。日本には15世紀ごろにやってきたと言われている。



6世紀ごろにはアラブの商人によってヨーロッパに持ち込まれていたというナツメグだが、14世紀ごろから疫病などの流行によりクローブ、ブラックペッパーそしてナツメグが感染病の予防になると信じられ価値が高騰していったのである。そして大航海時代、欧州各国はスパイスを求め海に出て行くのである。

スパイスに魅了されたヨーロッパの人々は次々とスパイスの主な生産地である東南アジア、インドなどを占領して行く。彼らはスパイスの価格を人為的に高騰させるため輸出を制限したり、ナツメグが他の地域で栽培されないよう厳しい規制を敷いたと言われている。その過程では先住民の虐殺やナツメグやクローブの木々を焼き払ったという悲しい歴史もある。インドネシアのバンダ諸島はナツメグの原産地であり、その時代ナツメグはその島々でしか栽培されていなかったので平和に暮らしていた住民たちはヨーロッパの卑劣な経済活動に巻き込まれていってしまうのである。ヨーロッパの人々からしたらスパイスの島々は宝島のように見えたのかもしれない。ナツメグの副作用として一度に大量(約5g)に摂取すると幻覚を見せるなどの作用ががある。その作用からジプシーの人々は愛をつなぎとめる力がナツメグにはあると信じていたそうである。香ばしい香りのナツメグに幻覚を見せられ続けた人々は、それを独占しようとしたのであろう。

しかし18世紀中頃、それまでナツメグを独占していたオランダに悲劇が訪れる。ピエール・ポワブルというフランス人宣教師が秘密裏にナツメグの種子を盗みインド洋に浮かぶモーリシャス諸島で栽培を始めてしまうのである。その後ナツメグはペナン、シンガポール、スリランカ、インドなどで栽培されるようになりカリブ海のグレナダでは今ではナツメグ栽培は国の一大産業でもある。グレナダの赤と黄色と緑が鮮かに描かれた国旗にはナツメグも誇らしげに描かれている。

その昔、数粒のナツメグを手に入れれば余生は遊んで暮らせると言われたほど価値があったが、今では日常的に使われるほど身近になった。ハンバーグ作り、肉や魚の臭み消し、お菓子などの香りづけにも使われている。

食欲増進、リラックス効果、疲労回復、快眠効果などがあると言われているナツメグだが、もう一つの顔として興奮させたり、不安にさせたり、多幸感を味あわせたりする作用もある。一つの実からナツメグとメースという二つのスパイスが得られる不思議なスパイスは、人々の二つの顔をもみせてしまったのかもれない。

マンハッタンというカクテルには様々なレシピがあるらしく、中には最後にナツメグをふりかけるレシピもあるそうである。なんとも皮肉な話だ。


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