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移り住む人々がつくる豊かな食文化

インド西部、グジャラート州南部やムンバイにはパルシーと言う民族の人々がいます。彼らの料理はとても美味しくナッツやハーブ類を使った様々な料理はたくさんの人々に愛されています。

パルシーの人々はその昔7、8世紀ごろにペルシャ湾の方から移民として西インドのグジャラートにやってきたそうです。名前からもわかるように彼らは元々はペルシャの人々、ゾロアスター教徒なので当時イスラム教徒の支配が拡大するにつれて迫害などを受けインド西部に流れてきたと言われています。

当時の西インドも人で溢れていたらしく、ときのマハラジャは遥々やってきたパルシーの人々をこの土地に受け入れるのは難しいと考えパルシーの首長にチャイをだした時にコップになみなみと注ぎ渡したそうです。

受け入れたいが、見ての通り人はもう溢れんばかり。

その溢れそうなチャイのコップを見てパルシーの首長は砂糖を一つコップに入れたそうです。

我々が移り住むことでコップの中のチャイは溢れない。砂糖のように甘さを与え、チャイをさらに美味しくします。

と、こんなやりとりがあり千年以上経った今でもパルシーの人々は西インドに住んでいるそうです。ただ移住してくるにあたり、宗教などを押し付けないことなどのルールはあったそうです。

様々な事情で人々は住み慣れた故郷を後にし新しい住処を探す旅にでます。

南インド東部に住んでいたチェティアール人も故郷を奪われ、移民した人々。彼らはその昔、それこそ紀元前何百年前に南インドの沿岸部に住み貿易などを生業として富を築いていたそうです。しかし津波に襲われ故郷を流されてしまった。時のチョーラ王朝、その王はチェティアール人達の商売のセンスを買い、彼らに新たな土地を内陸の今現在のマドゥライの近く、カライクディと言う場所を彼らに与えたそうです。その地域をチェティナードと今でも呼びます。チェティアール人の土地、チェティナード。そこでも彼らは商売のセンスを発揮し貿易を主に次々と事業を拡大していったそうです。貿易によって得た富を今度は貸すようになり新たに金融業も始めていきます。インドの大きな銀行のうち何行かは彼らチェティアール人が作ったと言われています。貿易と金融で儲けた富を使い彼らが建てた家はヨーロッパ、アジア、アフリカなど様々な地域から手に入れた高価な調度品や素材で溢れていました。彼らは物資だけではなく訪れた地域から調理法も持って帰ってきて自分たちの料理と融合させていったそうです。

かつて彼らが建てた大邸宅、チェティナードマンションはほとんどが空き家となってしまいました。時代とともに彼らは様々な地域にバラバラになってしまったそうです。ただ血縁を大事にするチェティナードの人々は、結婚式など大事な行事があると今でもチェティナードに戻ってくるそうです。彼らが富と一緒に築いた料理は色々なところで絶賛されチェティナード料理といえば美味しくてスパイシーでリッチなものとして広まっていきました。南インドの大都市チェンナイにはチェティナード料理の店が数多くあります。

様々な地域に繰り出しそして持ち帰り新しいハイブリットな料理を生んだチェティナードの人々。
故郷を追われ移住した先で新しい料理と故郷の料理を融合させたパルシーの人々。

どちらの料理も人種を超えて愛されています。

料理の背景にある歴史を知ると味わい深いですね。


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