もっとのびやかに

奥日向神キャンプ場であった祭り「タヂカラヲ」に参加して、忘れていた柔軟性がちょっと蘇ってきた。屋外でのキールタンをリードさせてもらったり、そのために着ていったロングスカートのまま冷たい川につかったり、直後に大雨に降られたり、サワガニといっしょにテントで寝たり。

参加者の多くは田舎や山奥で農業をしている若者や若い家族。ラウドミュージックが私は苦手だったけど、踊っている人が多かった。私も踊りたい。。。キールタンで踊りたいな~とインドが懐かしくなった。インドでも裸足で歩いたり池や川に跳びこんだりしていた。そしてよく踊っていたけど、太鼓と鐘の音と肉声だけからなる音楽は素朴で素敵だ、と改めて思う。

テントで読んでいた本がたまたま「トムじいやの小屋」でこれがとてもキリスト教的なお話だった。奴隷制時代、特に極限の状況において、生きる意味が魂の喜びを感じることにある、と思い出させられる物語だった。現代では物質的に満たされていて、快適になればなるほど硬くなっていく心と体に気づかないうちに魂の存在を見失ってしまっている。

ちょうどキャンプの前後に夫がテレビの取材を受けていて、裏の畑を見てもらった。雑草だらけの畑にどこを歩いていいかわからなかったようで、思い切り畝の上を歩かれてしまった。順調に育っていた白菜や葉物が踏みつぶされる。農業がどれだけ重労働かわかっていないし、野菜を育てることの難しさもわかっていないし、雑草の大切さもわかっていない。これは全部ついこの間までの自分に当てはまることだけど、その他のことも含め、取材で来た人たちとの世界観の違いが軽くショックだった。

20代にロンドンに住んでいたときはそこで国際的な動きの「現場感」を味わっていたけれど、今は田舎にいるほうが「現場感」が断然強いと思う。ここに住むまで私はいろんなことを全く何も知らなかった。衣食住のこと、世の中のこと、夫や自分のこと。。。風や星や虫のこと、生きること。

タヂカラヲ2日目の朝、ずいぶん久しぶりにヨガをした。それが、とってつけたようなヨガじゃなくて、インストラクターが友達というのもあるけど、すごく自然体で素敵だった。体が硬くて痛かったけど、もっとのびやかになりたいと心から思える体験。このイベント全体がそんな体験だったなぁと振り返って思った。

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