名盤と人 第22回 ジャズの分岐点 『Black Radio』 ロバート・グラスパー・エクスペリメント
ジャズピアニストではあるが、ジャンルを超えた存在のRobert Glasper。ハービー・ハンコックがHead Huntersで枠を飛び超えたように、Glasperも2012年の「Black radio」でジャズ、ヒップホップ、R&B、ロックとあらゆるジャンルの枠を破壊した。あれから10年、年末年始に16回連続公演のため来日したGlasperを観て来た。LIVEレポートも兼ねてジャンルの枠が破壊される分岐点となった名作『Black radio』を振り返る。
10周年を迎えた「Black Radio」
今回は10年前の2012年2月にRobertGlasperがRobert Glasper Experiment名義でリリースした『Black Radio』を紹介します。
ビルボードで15位、ジャズ1位、R&B/ヒップホップ4位を獲得。ジャズアーティストながら、2013年のグラミー賞で最優秀R&Bアルバム賞を受賞した記念碑的なアルバムでもあります。
ジャズを聴かない人がジャズに触れ、ヒップホップを食わず嫌いの人がヒップホップの入り口になるような、そしてR&B好きな人にはたまらない、様々な音楽の境界線を取っ払った画期的なアルバムでもあります。
折しも2022年には続編と言うべき「Black Radio III」がリリースされそのプロモーションもあってか5月に来日、さらには年末から年明けに再び来日しました。
2022年12月30日〜2023年1月7日までBlue Note Tokyoで8日16回の連続公演を開催したRobert Glasper Trio。
自分も初日と最終日を観てきました。
RobertGlasperとして6回、R+R=Nowで2回と何度も彼のステージは観て来ましたが、今回は大きく違いました。2022年5月にも来日しておりメンバーも選曲のその一環だが、今回はシンガーGlasperが前面に出て展開されて行くと言う新境地を見せてくれました。
デビューからBlack Radioまで
RobertGlasperは1978年のヒューストンで生まれ。
教会などで演奏し始めた後、ジャズを学ぶためにニューヨークのニュースクール大学へと進学します。ここで数々のミュージシャンと知り合うことになり、なかでもシンガーのBILALとはタッグを組んでライヴを行うようになり、その関係は今もなお続いています。
2004 年にデビューアルバム Mood をリリース。
2005 年にはBlue Noteと契約しCanvasをリリース。この頃はまだ典型的なジャズトリオでした。
3 枚目のアルバム「 In My Element」は 2007 年にリリースされ、ヒップホップ プロデューサー J Dillaに敬意を表して書かれた曲やハービー・ハンコックのMaidenVoyageとRadioHeadのEverything in Its Right Placeをミックスするなど新しい領域へのチャレンジが始まります。
そして2009年の『Double-Booked』が大きな転機となります。この作品は、前半はトリオ編成、後半は実験を表すExperiment名義のエレクトリックな楽曲で構成されました。Mos DefやBILALが参加しヒップホップ、ネオソウル色が加わり、またドラムを担当したChrisDaveによる独特のビートが強烈な印象を残します。
このアルバムでの変化をさらに押し進めたのが2012年にリリースされた『BlackRadio』となります。
Erykah Baduが参加した「Afro Blue」
「Black Radio」は多くのゲストボーカルとGlasperのバンドとのコラボの形式で制作されています。
アルバムは5日間で録音され、殆どがワンテイク録音。
最も知られた曲は、ネオソウルシンガーErykahBaduが歌う1959年にMongoSantamariaが作曲した「Afro Blue」であろうかと。
John Coltraneでの演奏でも知られるジャズのスタンダードです。
John Coltraneバージョンと、Glasperのアレンジとで聴き比べると、もはや全く違う曲のようです。本作ではジャズやグランジロックやデビッド・ボウイまでも同じ俎上に乗せて、Glasper流のジャズにアレンジ。批判承知の上、計算づくでジャズの概念を拡張して見せた記念碑的な作品です。
ネオソウルの女王と呼ばれるErykahBaduは『Baduizm』を発表し全米2位の大ヒットとなり、グラミー(最優秀R&Bアルバム賞および最優秀女性R&Bボーカル・パフォーマンス賞)を受賞しています。
2枚目の『Mama'sGun』 はニューヨークのエレクトリック・レディ・スタジオで録音。2000年11月にモータウン・レコードからリリースされています。 ネオソウルアルバムとして2000年のD'Angeloの「Voodoo」と対をなすアルバムで、VoodooのリズムセクションのPino Palladino(bass)と Questlove(Drums)を起用しています。彼らはErykah Baduもメンバーだったソウルクエリアンズ(Soulquarians)のメンバー。同じくメンバーだったRoyHargroveもHorns arrangedとして参加。2018年に49歳で惜しくも逝去したジャズトランペッターRoyHargroveこそが、Glasperに先んじてジャズの可能性を拡張した開拓者でした
『Mama'sGun』から、Roy Hargrove、Pino Palladino 、Questloveが演奏に参加したGreen Eyesを聴いてください。
その後、2003年RoyHargroveは多くのフォロワーを生み出す革新的ユニットRH Factorを結成するが、以下の記事によるとそこに若き日のGlasperが参加していたのでした。
2003年リリースの『Hard Groove』からD'Angelo参加のI'llstay。bassはPino Palladino。Drumsは現在Snarky PuppyのJason 'JT' Thomas。
カバーを披露したボーカリストGlasper
今回のステージでは自分の知る限り初めてGlasperがボーカリストとして歌を披露、多くのカバーが歌われました。
「Black Radio」にも収録されたNirvanaのSmells Like Teen Spirit(1991年)も演奏されました。グランジという名前をメジャーに押し上げたアルバム「Nevermind」からのシングルカット。78年生まれのGlasperにとってもティーン時に聴いていたはずのヒットナンバーの一つです。
「Black Radio」ではLalah HathawayによってSmells Like Teen Spiritは歌われています。Lalah HathawayはDonny Hathawayの娘。Donny Hathawayは1979年33歳で自殺と言われる謎の死によりこの世を去った不世出のR&Bシンガーで、1972年に出た「Live」はR&Bの名盤。
今回のLIVEでは他にもRadioHeadのPackt Like Sardines in a Crushd Tin Box、HiatusKaiyoteのRedRoom、『Black Radio3』に入っていたTears for FearsのEverybodyWants to Rule the Worldなどのカバー群が歌われました。
デビュー20年で初めて歌声を披露したGlasperは技巧派と言うより、豪快なルックスには似合わない味のある優しい声色でした。歌の合間には本業のPianoを右手で、フェンダー・ローズを左手で巧みに操るといつものGlasperが帰って来ます。
Lalah HathawayはGlasperが最も信頼し、共演回数も多いボーカリスト。
さらに「Black Radio」ではLalah Hathawayはもう一曲、UKソウルのディーバSadeの1992年リリースのCherish the Dayを歌っています。これは92年リリースの「LoveDexluxe」から。翌年の93年には日本武道館でLIVEを行う程、この頃のSadeの人気は凄まじいものがありました。
また、DavidBowieの「SpaceOddity」(1969)からLetter to Hermioneも取り上げており、Tears for Fearsも含めて意外にもUKものが目立つ選曲です。『「Space Oddity」も「Ziggy Stardust」も昔から好きで聴いてたからね。』とはGlasper。
最終日にはPhilCollinsのIn the air tonightの一節も披露されました。
Letter to Hermioneはネオ・ソウル・シンガーBILALを起用。
Glasperはニューヨークにあるニュー・スクール大学に入学すると、ビラル・オリヴァー(BILAL)と出会い、親友として後に何度もコラボレートします。そして、BILALは彼にSoulquarians周辺のヒップホップミュージシャンを紹介します。彼らの中には、Common、JDilla、Questlove、Q Tipなどがいました。
その他、Ledisi、Musiq Soulchild、MeshellNdegeocello(ミシェル・ンデゲオチェロ)、YasiinBey(Mos Def)といったゲスト陣が名を連ね、「Black Radio」にはジャズの枠を超え、ネオソウル、ヒップホップ界から精鋭が集結しました。
Chris Daveが作り出した革新的リズム
そして、このアルバムを語るには演奏陣のExperimentについて語らずにはいられません。
Robert Glasper — Keyboards, Piano, Fender Rhodes
Casey Benjamin — Vocoder、flute、saxophone
Derrick Hodge — Bass
Chris Dave — Drums, percussion
特にベースのDerrickHodgeとドラムのChrisDaveが作り出す革新的なリズムが肝となっています。
DerrickHodgeは1979年フィラデルフィア生まれ。ジャズシーンでの活躍と並行して、R&B/ヒップホップ系のアーティストのアルバムにでも活躍し、Musiq Soulchild、フロエトリー、Common、QTip等での実績がありました。Experimentに参加以降、現在もGlasperのパートナーとして最も信頼されて行く存在となります。
ドラムのChrisDaveはGlasperと同郷のヒューストンで1973年生まれ。Glasperのヒューストンの芸術高校での先輩。2009年、後輩のGlasperの新バンド「Robert Glasper Experiment」にドラマーとして参加。2011年には3000万枚を売りグラミーも獲得したAdeleの「21」に参加。元SoulquariansのベーシストPino Palladinoと出会い彼との長いコンビが始まります。
VoodooのリズムをQuestloveと作り上げた達人ベーシストPinoPalladinoについては、来日時に以下の文章も書いているのでご覧ください。
そして2012年の「Black Radio」でそれらの経験を血肉として新しいリズムを作り出したのです。
ゆらぎのある大きくレイドバックしたビートでありながら切れ味の鋭いドラムワークは、「まるでJ Dillaの作るビートのよう」と評されました。
2014年にはD'ANGELOAND THE VANGUARD の「BlackMessiah」にPino
と共に参加。Justin Bieberの『Purpose』(2015年)に参加、2018年には宇多田ヒカルの「初恋」にも参加し、世界一の売れっ子ドラマーとなります。
初のリーダーアルバムChris Dave And The Drumhedz『Chris Dave And The Drumhedz』もリリースしています。
そしてPino PalladinoとはPino自身がChris Daveという曲を作るほど、絆の深さです。
タイトル曲の『Black Radio』ではこのリズムの醍醐味が印象的に味わえます。因みに『Black Radio』とは墜落した飛行機の情報すべてを記録するブラック・ボックスから名前をとったと言うことです。
「Black Radio」以降の躍進
2013年には「Black Radio2」をリリース。
同じBlue Note RecordsのレーベルメートNorah Jonesも参加しました。
2015年にはKendrick Lamarの「To Pimp a Butterfly」に参加。
2022年の「Black Radio III」
昨年の2022年に「Black Radio III」がリリースされましたが、Glasperも遂にChrisDaveにPino Palladinoを加えたリズムセクションを起用しています。
2012年の「Black Radio」にも参加したLedisiと初参加のジャズシンガーGregory Porterが彼らをバックに歌います。
「Black Radio III」はLalah HathawayやCommonなどの常連から、Glasperの年下世代のアーティストも幅広いジャンルから参加。
「リスペクト」でアレサ・フランクリンを演じたアカデミー女優でもあるJenniferHudsonはその代表です。
さらに下の世代の97年生まれ2017年に最優秀R&Bアルバム賞を受賞したH.E.R.。
この曲は2021年グラミー賞で「最優秀R&Bソング」を受賞しています。
さらに自分が最近最も気になるのはYebba。
サム・スミス、チャンス・ザ・ラッパー、ア・トライブ・コールド・クエスト、PJモートン、エドシーランとの共演で注目される女性シンガー。
「Black Radio」から10年経過、Kendrick Lamarらとの共演等で今やジャズを超えたブラックミュージックの中心的な存在となったGlasper。
当然、参加アーティストもジャズやR&Bの枠にはまらないメジャーな存在が参加しています。
この曲の参加メンバー
Bass : Burniss Travis II
Drums: JustinTyson
D J: Jahi Sundance
が今回は来日したが、素晴らしい演奏であったのたは言うまでもありません。特に、新しいメンバー、ベースのBurniss Travis IIが6弦ベースで披露したアルペジオ奏法は新鮮でした。
Black Radioが切り開いた「新世代ジャズ」
「Black Radio」が開いた「新世代ジャズ」というマーケット。
以降はそこに新しい実力派のミュージシャンが次々と参入します。
2013年にはSnarkyPuppyがBlack Radioと同形式のゲストボーカルを招くスタイルを進化させ、それを観衆の前で展開する「FamilyDinner」を開始。
Lalah Hathawayが客演したSmothingでグラミーを受賞。
2015年にはKamasiWashingtonが大作Epicをリリース。オーケストラや合唱団をバックにした大編成でGlasperとは異なるアプローチでジャズを拡張。
同年の来日ステージを自分も観たのがジャズ初体験となり、この世界にどっぶりとハマるきっかけとなりました。
2017年にはMichael McDonald & Kenny LogginsというOld Nameを引っ張り出しファン層を拡大したThundercatの「Drunk」リリース。
この10年でジャズでありつつも新解釈でジャンルを拡張するミュージシャンが次々と現れ、今は全く新しいマーケットが出現しています。
最後にGlasperの言葉を引用します。