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ショパン「ソナタ変ロ短調作品35」考 Part2

2・ロ短調ソナタとの比較
 私はこの「変ロ短調ソナタ」を、ショパンの全作品中最も好きな曲だと公言して憚らないのだが(最も好きな作曲家の最も好きな作品であるから、世界中のすべての音楽作品の中でのナンバー・ワンといってもよいかもしれない)、最近は専ら、「ロ短調ソナタ」をショパンの最高傑作として論じるのが一般的になってきているようだ。先に述べたように、グレインジャーやネイガウスがすでにそういった意見を表明してはいたが。つまり、晩年に書かれたほぼ最後の大作であり(チェロ・ソナタを除く。これは彼が最後に出版した作品となったが、彼の創作活動における集大成ではなく、むしろ、新たな領域へと足を踏み入れる幕開けとなるはずの作品であった)、対位法の研究を深めたことによって、より音楽に奥行きと構成力が増し、彼のピアニズムの総決算となったとの意見が、大方の識者や愛好家の見解であると思われる。


 確かに、2つのソナタはあらゆる面で対照的である。一方は、ドラマティックで暗い色調の、男性的力強さと狂気をはらむ、謎に満ちた「死神の詩編」であり、もう一方は、まばゆいばかりの地中海の光に照らされた、旋律を朗々と歌い上げる円熟期の傑作である。
 私が躊躇することなく、2つのソナタのうち「変ロ短調」を選ぶ理由、逆の言い方をすれば、「ロ短調」を外す理由は、この曲に、ほかのショパン作品には絶対にみられなかった、「ピアノの詩人」らしからぬある欠点が含まれているからである。それは、ベートーヴェンやシューマン、ブラームスらの作品にみられる、ピアニスティックに書かれていないが故の弾き心地の悪さである。奇跡的な美しさの第1楽章にすら、その傾向は顕著である。まるでヴァイオリン・ソナタの独奏用編曲のようだ。いついかなる時でも、自然な手のポジションと最も美しい響きのための最適な音の配置を怠らず、最小の努力で最大の効果を得る完璧なピアノ書法こそが、ショパンをほかの大作曲家たちから隔絶せしめ、孤高の存在たらしめる、最も偉大な個性であったはずなのに!このような作品を、「ピアノの詩人」のピアニズムの総決算として位置づけることには、どうしても納得がいかないのである。
 なぜこのようなことが起こったのか。それは対位法の研究によってより深化した線的書法ゆえ、つまり、「ロ短調ソナタ」の作曲におけるショパンは、これまでの作品すべてでおこなってきたように、ピアノの鍵盤上での即興に拠る作曲ではなく、大部分を頭の中で、つまり机上での作曲に費やしているように思われるのだ。それによって、音楽の緊密性は増したかもしれないが、音楽史上唯一無二の個性であった、あのかけがえのない、完璧なピアノ書法が犠牲となってしまったのである。これは実際に弾いてみるとすぐにわかることだ。このソナタの、まさにショパン的な光に満ちた美しさに魅せられたある生徒が、高揚した気持ちをどうにかこうにか抑え込み、いざ楽譜を前にして弾いてみたとする。その生徒は、それまで知らなかった、ピアニストを突き放すような冷たいショパンと対峙し、驚き、困惑することとなるだろう。
 私とて、この曲の最初の3楽章の音楽的美しさを否定する気は毛頭ない。だがこの曲のフィナーレほど嫌悪感を催させるショパンの曲はほかにない。この楽章は華やかな音の饗宴ではあるが、過度にぎらついており、その表面上のきらびやかな音の戯れが、内容に勝っている。(そういった意味でこの楽章はホ短調協奏曲のフィナーレを思い起こさせる)。ロ短調という調性のもつ一種の「鋭さ」の中で何度も繰り返される主題の増2度上行は、ショパンの天才をもってしても不快感を完全に取り除くことはできず、光に包まれるようなロ長調との間で奇妙に入り混じり、全体の調和を乱す。多くの人は、まったく逆のこととして考えているようだが、奇怪でグロテスクという言葉は、「変ロ短調」のフィナーレではなく、この「ロ短調」のフィナーレにこそふさわしいのだ。「変ロ短調」のフィナーレに漂うのは「一種独特の精神の香気」(シューマン)であって、決して不快感ではない。
 ホロヴィッツは若いころに2,3度、コンサートで「ロ短調ソナタ」を取り上げたが、すぐにレパートリーから外してしまった。その理由として「弾き心地がよくないこと」、「第1楽章以外に問題があること」(現代のコンサートグランドに合わない)、そして、「フィナーレが好きになれないこと」などを挙げている。

3・成立とベートーヴェンとの関連
 「ソナタ変ロ短調作品35」は、1839年に完成し、翌年出版された。「葬送行進曲」のみ単独で、すでに2年前の1837年に書かれていた。この陰鬱な行進曲の作曲動機について、愛国心あふれる感動的なエピソードを伝記や解説書で見掛けることがあるが(反乱によって命を落とした、同国人たちに捧げる鎮魂歌)、実情はもっと個人的で単純なものだと思われる。「葬送行進曲」が書かれた1837年は、マリア・ヴォジンスカとの破談が決定的となった年なのである。その失恋による絶望から生まれたと推測するほうが自然ではないだろうか。そう考えると、トリオの主題も「天上における天使の歌声」、「魂の救済」を描いているというよりは、不幸の只中にあって過去の甘美な思い出に浸る、より世俗的な感情を浮き彫りにするだろう。
 この時点でショパンは、この行進曲を含めたソナタを作曲する構想などはもっていなかったと思われる。この曲が非常に個人的な経験から作曲されたということは、完成後すぐに出版されることなく、2年もの間彼の手元に置かれたままだったということからも推察される。この曲は、もしソナタの一部として出版されることがなければ、おそらくあの有名な「わが悲しみ」の思い出の束の一部となって、彼の死後に発見される運命をたどったのではないだろうか。
 しかし、このような絶望的な心の痛手も、時と環境の変化によって癒されていくものだ。1839年には、すでにジョルジュ・サンドとの交際が始まっており、彼の創作意欲は否が応でも増していった。サンドの庇護のもと、心の平安を得た彼はついに、これまでのピアニズムの集大成とするべく、大作の構想に思い至ったのではないか(現在、作品4として知られる「ハ短調ソナタ」は学生時代の習作である)。そして、この「ピアノのための大ソナタ」を書くうえで彼が手本としたのは(必ずしも全面的な賛意を持ち合わせていたわけではないが)、このジャンルに革命的な傑作を数多く残した偉大な先人、ベートーヴェンであった。ショパンの「ソナタ変ロ短調作品35」には、当時パリでよく知られ、彼自身弟子たちとのレッスンでもたびたび用いたとされるベートーヴェンのソナタ3作品(作品27の2、作品26、作品57)の影響が多分にみてとれるのだ。このソナタはショパンによるベートーヴェンへのオマージュなのである。
 彼はまず、彼自身が最も愛した「変イ長調ソナタ作品26」の構成を範とする(ベートーヴェンの第1楽章は変奏曲となっているが、ショパンは第1楽章を通常のソナタ形式のアレグロとし、ほかの部分、即ち第2楽章にスケルツォ、第3楽章に葬送行進曲、最後に無窮動風の短いフィナーレがくるという大まかな構成をここから採用した)。そこで、2年前に書いた葬送行進曲を引っ張り出し(傷はもう癒えていた)、この曲の素材(陰鬱に鳴り響くバスの短3度の動機)をもとに、ほかの楽章を新たに作曲したのである。第1楽章序奏の左手オクターヴのリズムは、行進曲のリズムを拡大したもので、その減7音程(変ニ―ホ)は、異名同音短3度(嬰ハ―ホ)の転回である。第1主題は行進曲のバスの短3度の動機(変ロ-変ニ)を反転したものから成る。第2主題にも短3度が組み込まれる(変イ-ヘ、変ト-変ホ)。第2楽章における左手オクターヴは、短3度間を半音階で上昇する。右手も短3度間を揺れ動く。中間部のトリオの主題は、行進曲のトリオの主題と関連している。フィナーレでは減7の和音、つまり短3度の積み重ねを分散和音にしたものが連なり、眩暈を催させるような不気味な音の渦を作り上げる。その中に巧みに組み込まれた倚音によって、短2度で喘ぐような旋律が、ところどころ聞こえてくる。
 このドラマティックな力強さをもった、抒情的傑作に立ち込める暗い情熱の色合い(フラット系短調特有の)は、ベートーヴェンの作品57のソナタ(「熱情」)を思い起こさせはしないだろうか。それまでのショパン作品にはあまりみられなかった、分厚い和音の連続が随所にあらわれ、共通する単一の短い動機(ショパンでは短3度、ベートーヴェンではハ-変イ-ヘのモティーフ)で各楽章を結びつける方法も同じだ。「ソナタ嬰ハ短調作品27の2」(「月光」)の第1楽章の付点のリズムは、そのまま葬送行進曲のリズムであり(ベートーヴェンの嬰ハ短調ソナタの第1楽章は、「ドン・ジョバンニ」の騎士長殺しの場面から着想を得たという)、この遅いテンポの楽章全編に流れる3連符は、行進曲におけるバスの陰鬱な短3度の歩みを連想させる。「月光ソナタ」の終楽章は、上昇するアルペジオの楽句が2小節ごと3回繰り返され、それが1小節に切り詰められたものが2回、その後属和音へと落ち着くが、「葬送ソナタ」のスケルツォ楽章も、2小節ずつの楽節が1小節に切り詰められて緊張感を増していったのち、平行調へと落ち着く進行をみせる。
 ショパンはベートーヴェンのほかのソナタも知っていたのだろうか。葬送ソナタの第1楽章冒頭の左手減7度の跳躍は、ベートーヴェンの最後のソナタ、作品111の冒頭と偶然にも一致する。ショパンのレッスンを受けたヴィルヘルム・フォン・レンツは、ショパンがベートーヴェンの晩年の作品を全然知らなかったと言っているし、リストはある日、ショパンにベートーヴェンの作品106を聴かせたところ、「とても嫌な顔をした」と語っているので、ショパンが実際にこの作品111のソナタをはじめ、ベートーヴェンの後期作品をどの程度まで知っていたかを断定することは難しい。しかしショパンが、先に記した3作品以外のベートーヴェンのソナタもレッスンで取り上げていたことは事実だ(ト長調作品14の2、ニ短調作品31の2など)。E.フォン・グレッチとのレッスンで取り上げ、彼がよく知っていたであろう「ニ短調ソナタ作品31の2」の終楽章における主題の和声進行パターンは、この「変ロ短調ソナタ」の第1楽章の主題のそれと見事に一致している。
 ショパンがベートーヴェン作品をどこまで知っていたのかはともかく、彼が自身の創作活動において、重要な作品となるであろう大作を書くうえで、この偉大な先人を強く意識していたことはほぼ間違いない。彼はベートーヴェンのように、ひとつの楽想の徹底的な展開によって作曲を進める代わりに、「短3度」という共通項を様々な形に展開して用いることで、各楽章を見えない糸で結びつける。ショパンは、この作品35のソナタによって、ベートーヴェンの32曲の傑作に続くべき、ロマン的な新しいピアノ・ソナタの在り方について、彼なりの答えを見事に提示したのである。

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