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6月21日(月曜日)やっぱりうまくはいかなかったという話。

カルガリーと成田の直行便があった頃は、お隣になったような気持ちだった日本ですが、コロナを経てとても遠いところになりました。飛行機の接続の都合で6時間をバンクーバーで過ごしたので今回は自宅から実家まで25時間かかりました。15時間くらいで到着できた時期があったので今回は苦痛この上なし。

日本時間午後8時。レンタルしたルーターは実家に届けてしまったし、買って10日しか経っていない新しい携帯は私にインターネットの接続をさせてくれなくて、携帯なしで実家の前に着きました。しかし、いるはずの母はいませんでした。新しい母の住まいの鍵は持っておらず、夜も働く宅配のお兄さんに携帯をお借りしました。暗記していた番号を入れたらお兄さんに、「お母さん、携帯番号を変えてなくてよかったですね。」って。母に電話すると「今、ドラッグストアにいるの」。そして、お兄さん(娘くらいの歳の人)はその場所をググって探してくれました。(お兄さん、ありがとう!)

日本へ到着してからどうするかという流れはラインで家族と共有していましたが、本当に分かりにくかった。最後はなんだかめちゃくちゃでしたね。

日本に到着直後からの一通りのウェルカムメッセージの後。母から、「もう電車に乗った?何時ごろ着くの?」というメッセージが入っていたのをずっと後になって知りました。ルーターないからって言ってあったのに、それをわかってもらおうとする方が間違い。いや、日本へ行く前に携帯を新しくする私が一番悪い。

実家がある(母が住むところを私は実家と呼んでいます)マンションのエントランスであれこれやって、ドラッグストアへ走ったけれど、そこに母はいるわけないです。なんで探しに行ったんだろう。意味不明です。ぐるっとひと回りしてマンションのエントランスに戻ると。そこに小さいお婆さんが立っていました。

3年ぶりに会った母は、背中がすっかり丸くなり、私の思い出の中の祖母に瓜二つのお婆さんになっていました。魔法のウィグしていないから年相応のお婆さんに見えました。コロナは長かった。でも、生き延びられてよかった。コロナは長かった。

ハグした母はちっちゃかった。あれ?こんなに小さかったかなって思うくらいに。

「やっぱり、成田空港へ迎えにいけないのは寂しいよ。」
母は成田へ行く体力ないからと言っていましたが、娘のお迎えは一緒に行こうと思います。一人はカナダから午後4時ごろ、もう一人はイタリアから午後7時半。これまたとんでもないスケジュールです。でも、文句は言えない。娘たちが到着まであと1週間あります。毎日散歩へ一緒に行って、外出が日常化したら大丈夫でしょう。83歳ですけれど、何も疾患がないので介護対象ではない母は、デイケアみたいなところへは行けないし(多分行くつもりもない)、とにかく、一人暮らしのプロ。それでも、コロナはかなり彼女の生活行動範囲を狭めてしまいました。人は、歳をとると、介護がだんだん必要になってくるからという前提のシステムには入れない母は、まだまだ自分で元気に過ごしていくことが必要なんだと痛感しました。

朝のテレビ体操をラジオ体操に切り替えたのを知らぬ娘(私)は、初日からテレビ体操を逃しました。「体操の時間だよー。」と母が私を誘ってくれたのは昔の話。こうして、人は一人で生きていく術を身につけていくのかもしれません。

とりあえず、今回はここまで。珍道中の記録のお付き合いいただき、ありがとうございました。


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