「Sort of Glue」 NSNO Vol.22/ 23-24 エバートン ファンマガジン
「Sort of Glue」
心身に青い血を通わせる、エバトニアン。
プロのフットボーラーである前に、
生粋のファンであり、ファンである前に
街に溶け込むひとりの若者ーー。
路上、芝生、場所が変わっても
クリエイティブであり続ける。
なりたい自分になるために。
それがトム・デイビスだ。
1.繋がりと証明
チームのパーツを繋ぎ合わせる接着剤のような存在。
デイビスを近くで知る人々は口を揃えてそう例えている。
人と人、人と街、生活と環境、食と自然、フットボール、カルチャー、ファッション、アート、都市、交差する人生と情熱…
地域の子どもたち、老人、気の合う仲間。いつもの店で店主と挨拶を交わし、兄や友人と他愛も無い話を重ねる。特別なことをするわけではない。母や父と過ごす時もあれば、コーヒー豆を買いに行く日もある。好きな場所はボールド・ストリート。美味しい食べ物と、個性的な人々。
ボランティアグループと街に集い、互いの時間と考えを共有する。相槌を打ち、笑顔を浮かべ、場を和ませる。電動自転車で買い物に出掛け、スケートボードに乗ってマージーサイドの風を切る。お気に入りの音楽を聴き、ライブへ足を運び、オフシーズンには「行きたい!」と決めた場所へ旅をする。
何気ない会話を交わすように、ラインの狭間でチームメイトへボールを繋ぎ、時に鋭い楔を前方へ打つ。ピッチを駆け、ボールを追い、フィールドの両端へ顔を出す。低く下ろしたソックス、揺れるブロンドの髪、アンニュイに見えるルックスと、相対する熱いハート。
人々へ分け隔てなく想いを繋ぎ、自身と街、取り巻く世界の少し先にある未来を考える。
デイビスが多くの人々に賞賛されてきたのは、エバートンのMF、プロのフットボーラーとしてピッチで表現してきたパフォーマンスに限らず、地域・社会貢献の役割を果たしてきたことにある。
エバートン・イン・ザ・コミュニティ(EITC)=クラブの公式慈善団体では、度々その活動が報告された。
コミュニティに所属する退役軍人のハブを訪れ、軍隊での経験、仲間を失った過去、メンタルヘルスの重要性や課題について共有、発信する。
障害を抱えた乳幼児、介護が必要な大人、サポートする家族たちとレスパイトケア、リフレッシュの必要性を考え、交流を通して日頃の悩みや問題について知る。
その他、あらゆるイベントを通じてささやかなプレゼントを届けるなど小さくとも確かな勇気を与えてきた。
これはデイビスが活動してきたほんの僅かな一例である。
自身が経営に携わる企業「ChopValue」では、過剰な廃棄物の処理やサステナビリティのレベルを向上するための開発に取り組んできた。大量に捨てられた箸から1台のテーブルを作る。家庭やオフィスで使われるものに留まらず、ゲーム会社と手を組み、ゲーミングデスクの製作にも取り組んだ。
クラブの外では、リヴァプール市内のボランティアグループ・セッションに参加し、食糧問題、食品ロス、貧困、飢餓について、現代社会が抱える現実と向き合ってきた。
その証拠に2020年の冬、とあるツイートが話題を呼んだ。
街の若いボランティアグループに所属する女性が奉仕活動の模様をTwitterにアップした。当時の試みが順調に終わったことや、ホームレス・コミュニティへの寄付などを呼びかける。
何の変哲もないように見えた投稿と添えられた写真には、見覚えのある出立ちと風貌が写っていた。エバトニアンたちが気づくのに時間はかからなかった。特徴的なブロンドヘア、そこにデイビスの姿があったのだ。
クラブに関連した活動の外で、人知れず何ヶ月も前から若いボランティアグループに参加していたと発覚し、それは日常的に行われていたと推測される。ファッションやブランディングといった側面から離れた部分で、さらにデイビスのライフスタイルに惹かれたことを記憶している。
一方で、一部のファンからはデイビスのライフスタイルが嘲笑や批判の対象になっていたことも記しておかなければならない。試合でのパフォーマンスに起因していることは否めないが、奇抜なファッションやフットボール以外の側面が目立ってしまうことも少なくなかった。
「他のことに集中しすぎているのではないか?」
ピッチで結果が出せなければ、当然の批判だろう。
だが、ピッチに立てない時期においてデイビスが費やしてきた労力こそ評価したい部分である。そして、怪我やオフの期間に集中できる環境や出会いがあったからこそ、フットボールとは別の分野に熱量を注ぐことができた。デイビスの場合、それは同時に選手としてプレーするエネルギーへと変換されていく。
その上で、私はデイビスがピッチ上でプロのフットボーラーとして証明してくれることを待ち続けた。
人と街をそしてクラブを繋ぐ若者。
遠く離れた私にとっても同様だ。エバートンと私を強く繋ぎとめる、馴染んだ接着剤のようなものだった。
煌めく姿は鮮明に記憶として刻まれている。次代のクラブとファンの期待を背負うことになるセンセーショナルな登場から7年。少し先の未来に青写真を描き、いつの間にかデイビスがチームにいることは、当たり前の世界になっていた。だが、時を経て現れたのは繋ぎ止められなかった現実だった。
それを改めて理解したのは、2023年6月某日のこと。デイビスがエバートンを去ると決意したからだ。契約満了に伴い、慰留を試みたクラブからの延長オファーを断った。ここ数年のパフォーマンスを鑑みた、減給でのオファーだった。
11歳から過ごした心のクラブに別れを告げ、生まれ育った街から次の舞台へと歩みを進める。繋がりが育まれ、デイビスが証明したこと、できなかったこと、ファンそれぞれに映る姿があるはずだ。
2.覚悟と決意
私が筆をとったのはクラブからの公式発表が報じられた直後だった。
自分自身にとってのデイビスを書き記したい。
書かなければいけない気がした。これは何より私自身のためである。
そして、デイビスが発した言葉、デイビスへ投げかけた言葉たちを振り返り、軌跡を辿りたいと感じたのだ。何に期待して、何に落胆してきたか。
本来なら、もっと別の機会で執筆することを想定していた。それは、デイビスと共にエバートンが強くなった(なっている)と思えた時だ。
叶わない夢になってしまったが、いつまでも嘆き、憂いてはいられない。
新章に向け、すでに歩み始めた青年の背中をプッシュする気持ちが、自分にとって一番の薬になる。ファンとしての再出発へ。
◇
かつてはイングランドの屈強な王者として名を馳せたエバートンFC。
28年もの間タイトルとは無縁となり、近年は不甲斐ない戦いが続く。直近では2年連続の残留争いに陥っている。昨季22-23シーズンのサバイバルはリーグ最終節までもつれ込んだ。誰もが降格を覚悟しただろう。ファンや選手の神経が擦り減る中、今年2月から指揮をとるシェーン・ダイシの下でエバートンは辛くも残留を果たした。瀬戸際だった。
安堵の気持ちと、昨年の劇的なグレート・エスケープとは異なる空気感、羞恥心の織り混ざる歓喜の輪と乱入者の姿。心からの祝杯を上げるには至らない、歪なグリーンのピッチとグディソンパーク。
そこにロイヤルブルーのシャツを着たデイビスの姿はなかった。
振り返るは、昨年12月のこと。すでにデイビスの決意は固まりつつあったように思う。
無論、私も薄々と広がりつつあった気配を察し、デイビスとの惜別に心の準備を整えていたつもりだった。だが、覚悟が足りなかったことは今回の執筆にあたり自明的で、この作業は侘しさや葛藤に区切りをつけるための意図を含んでいる。大丈夫だろう、と高を括るも覚悟があっさりと折れ、ある種の決意を以って執筆に挑んでいる。
デイビスの決断は、そんな生ぬるい自分とは大きく異なり、並々ならぬ意志があったはずだ。
ずっと私は「デイビスを諦めない」
というマインドだった。
それは次のフェーズへと繋がっていく。
「デイビス''は''諦めない」
覚悟から決意へ、そして彼の決断である。
3.試練と兆候
◇怪我
時間を経ても輝ききれなかったデイビス。私の認識では、一度もレギュラーを確保したことはない。現在のダイシのチームはもちろん、前任のフランク・ランパード、ラファ・ベニテスとのシーズンでも同様だった。期待が高まることは幾度か訪れた。だが、良い兆候の後にはいつも試練が待ち受ける。
◇
2022年カタールW杯開催により、リーグ中断期間をオーストラリア・シドニーで過ごすことになったエバートン。しかし、出発直前の練習で負傷したデイビスはツアーに帯同するも試合に出場できず。気鋭のタレント、アマドゥ・オナナの加入、セントラル起用で真価を見せるアレックス・イウォビ、電撃復帰のイドリッサ・ゲイェ、アブドゥライェ・ドゥクレは出場機会が激減し、ジェームズ・ガーナーや、アイザック・プライスといった将来有望な若手たちも控えていた。アピールが必要だった。
悔しさを滲ませつつも、ランパードのチームはきっと残留できる、今はとにかくサポートするしかない、混在するフラストレーションとクラブへの想いを吐露した。
この歯痒さに紐づく出来事ととして触れておかなければならない期間がある。
シドニーツアーから約1年前にあたる2021年11月、トッテナム・ホットスパーとのゲームでデイビスは重傷を負い戦線離脱していた。
皮肉にも、同年10月下旬のワトフォード戦、試合開始から僅か3分後に先制となるゴールを決め、明るい兆しを見せた2週間後のことだった。もっとも、ゲーム内容は凄惨たるもので、守備面では褒められる部分が無かったが、デイビスがゴールを決めた、それだけでポジティブに抗うことができた。
その負傷から長いリハビリ生活が始まった。消化試合となった最終節のアーセナル戦で復帰するまで、苦境で喘ぐチームをピッチで助けることができなかった。劇的なドラマで残留をつかみ取ったクリスタルパレス戦では、奇跡の大逆転ゴールを決めた親友のドミニク・カルヴァート・ルウィンをタッチライン際で讃えるしかなかった。
21-22シーズンが終わると、「来シーズンが待ちきれない!」そんなコメントを自身のSNSに残し、来たる22-23シーズンへ向け、復活のためのトレーニングを重ねた。ランパードはデイビス復帰後のキャリアプランをスタッフと協議し、本人に様々なビデオクリップを見せてアドバイスを行なった。さらには新加入のジェームズ・ガーナーとポジション争いをさせたい、といった旨を発言した。
長い試練が終わり、再挑戦のシーズンを迎えるはずだった。しかし、状況は好転せず。時間が経てどランパードのフットボールは成熟する気配が漂わず。Box to Boxの役割を与えられ、本人はタスクは明確だと指揮官を擁護したが、チームは転落していく一方だった。
現実的な残留争いに備え、ランパードは更迭。武骨なフットボールが売りであるダイシの招聘によりデイビスは再び厳しい状況に置かれた。ダイレクトにボールを運び、頭上を越えるロングボール、リスクを背負ったアグレッシブなハイプレス、ボールを失うことでイニシアチブを握ろうとするスタイル。ランパード下で泥水をすするような思いを経たドゥクレが再評価を受け、最終節まで欠かせないピースとなった。デイビスは途中交代で機会を得るも、本人にとっては兼ねてからの悪癖やウィークポイントが晒されるフットボールだった。
ランパードの下で成長を遂げるにはチームに余白がなく、ダイシの下で成果を出すには求められる人材ではなかっただろう。
22-23シーズン終盤戦、サバイバルで頭角を現したのは、ランパードが獲得し、ダイシがバーンリーを率いていた頃、ノッティンガム・フォレスト所属期からファンだったガーナーだった。強度を重視したオナナ&ドゥクレ&ゲイェの3セントラルに異なるエッセンスを加え、潜在している質の高さを披露。加えて本来と異なるポジションでも悠々と任務をこなした。右のウイングバック、サイドバックの抜擢はシェイマス・コールマン離脱の暗雲を払拭した。
私はふと、カルロ・アンチェロッティが緊急時にデイビスをウイングバックで起用したことを思い出した。あの時、掴めなかった手ごたえを若きガーナーはたった1試合でモノにした。もう決着がついてしまったかもしれない、それ以上言葉にするには悲しく、素直にガーナーを称賛したい気持ちが生まれた。デイビスの居場所はこの瞬間になくなってしまった気がしたのだ。
◇監督
私の記憶を辿ると、デイビスが最後に明るい兆しを見せたのはカルロ・アンチェロッティの時代に遡る。
デイビスが辿ってきたエバートンでの評価に対する要因として、一般的に挙げられるのは怪我だけではない。むしろ主要なのは度重なる指揮官の交代だ。ここまで語ってきた中で、読者の方もお気づきだろう。既に複数の名前を挙げてきた。
▼監督の変遷とプレータイム
トップチームに定着してからの7シーズン、最も出場時間が多かったのはマルコ・シウヴァ→アンチェロッティへ移行した19-20シーズンだ。キャリア唯一2,000分以上の出場を果たし、翌20-21シーズンも控えながら怪我人のバックアップを機にプレータイムをある程度確保することができた。
しかし、経験豊富なベテランを重用し、実力者をメインオプションとしていたアンチェロッティはデイビスに明確な信頼を置いていたとは言い難かった。最も評価してくれたのは前任のマルコ・シウヴァだっただろう。それでも、アンチェロッティの手腕には、シウヴァ以上にデイビスを咲かせる香りがあったと考える。
私はアンチェロッティがチームの「戦術」とデイビスの「才能」を最も近づけた指揮官であったと認識しているからだ。
▼アンチェロッティ時代、デイビスを凝縮した、記憶に残る2ゲーム
20-21 マンチェスター・ユナイテッド×エバートン 3-3
20-21 FA杯 5回戦 エバートン×トッテナム 5-4
前述の通り、アンチェロッティが導いた最適解はデイビスを6番の位置で起用することだった。巷では「スカウス・ピルロ」というあだ名がついた。
マン・ユナイテッド戦でカルヴァート・ルウィンにパスを出すまでの一連のシーンはデイビスが得意とするムービング。パス交換から相手のプレスを剥がして前進。スペースを突き再びボールを受けると、次の受け手のスピードを殺さずに相手のバックラインの隙間を通す完璧なスルーパスを繰り出した。
守備では縦横無尽なドゥクレやネガティブ・トランジションで分が悪いアンドレ・ゴメスの背後をしっかりとケア。長年の課題であるダブル・ピボットの距離感やボールを狩りにいくことで空洞化するアランの脇など、多くの問題をクリアにする活躍を見せた。スペースを埋め、バランサーとして機能した、デイビスの新たな姿だった。しかし、アランやゲイェに通ずる「攻撃的」な守備が出来ないデイビスの姿も記憶に残る。
FA杯スパーズ戦でのボールタッチ集、「OnTheBall」ではこれまでのデイビスを凝縮した、その集大成とも言える内容だと感じている。
特に派手な好プレーや、鮮烈な得点シーンが残されているわけではない。
ゲームの中でできるだけ多くボールに触り、味方と味方を繋ぐ「接着剤」のような役割を果たしていく姿が印象的だ。時間の経過とともに自分のペースを見つけ、徐々にボルテージを上げていく。地味で、味気ない会話のようなボールタッチ。されど、地道に道を拓いていく。結果的に派手なスコアの大味な内容の試合だったが、デイビスがどのような選手なのか、この動画で多くの部分を語ることができるだろう。
問題はこのような兆候を感じるゲームを通じ、デイビスを(またはチームを)継続的に成長できなかった戦略にある。怪我がその妨げとなったのは間違いない。しかし継続性及び、持続可能性がなく、不測の事態に陥ったアンチェロッティの退任、ラファ・ベニテスの招聘で、MFの空洞化は如実に現れた。それはベニテスもランパードも改善できなかった課題として浮き彫りとなる。
ランパードは22-23シーズンの夏にゲイェを獲得して対処しようとしたが根本的な解決には至らなかった。彼はバランサーではない。ダイシはシステムを4-1-4-1に変更し、オナナとドゥクレにフォアプレスとトランジションの制圧というタスクを与え、さらなる迎撃方法としてゲイェをアンカーに置いた。ゲイェのタックル、インターセプト、ボールリカバリーはプレミアリーグでも上位のスタッツを残しボール・ハンターとして全く錆びていないことを証明した。だが、それで結果が伴ったわけではない。ゲイェはボール保持時に相手の狙い目となり、非保持の際は自分が空けたスペースがカウンターの標的にされた。
デイビスを取り巻く環境は、いつもリセットされてきた。芽が出ては枯れ、土を入れ替え、種を植え、その繰り返しである。育まれるべき多様性がいつの時も絶やされてきたのだ。そして一から繋ぎ直すために努力を重ねた。
いちファンである私からすれば、芽はとっくに出ていた。咲かせられなかったのはクラブだ。
◇ライバル
デイビスがトップチームでデビューして以来、エバートンに所属・加入した主なMFを確認してみよう。
▼補強の変遷
15-16シーズンにデビューしたデイビス。翌シーズンにトップスカッド入りして以来、多くのタレントたちがエバートンを選び、去っていった。
このリストから考えられることは数多とあるが、皆さんは率直にどのように感じただろうか。
監督の数だけ役割が変わり、戦術が変わり、デイビスが語るだけでも8番、10番、6番のタスクを与えられた。そしてそのたびに数々のライバルとのポジション争いを経験してきた。スポーツ、フットボール、どんな世界でも避けられない事象である。そこには様々な影響、きっかけがあっただろう。デイビスが自分に無いスタイルを身に着けること、刺激を受け成長につなげるチャンスも数多くあったはずだ。そして、トップ昇格以降デイビス自身が有意義な環境として向き合ってきた。
デイビス自身にレギュラーを確保できなかった原因は間違いなくある。何でもできる選手ではないが特筆する武器にも欠ける。途中交代のカードとして流れを変えるにはインパクトが弱い。若さゆえの不安定なパフォーマンスは、実力者の加入、不規則な出場機会、複数の異なる役割によってなかなか改善されなかった。ローンによって別の成長機会を与えても良かったのではないか?今まで手放してきた多くの若手同様に、デイビスもすぐに移籍させても良かったのではないか?結局、デイビスはエバートンで何者にもなれなかったのだろうか?なりたい自分を突き詰めることはできたのだろうか…
色んな考えが浮かんでは堂々巡りのままだった。
4.憧れと尊敬
ここ最近、エバートンを応援し始めた方々からすると、なぜこれほどまでにデイビスに惚れ込んできたのか不思議で仕方がないと思う。肩書き、馴れ初め、過去のプレー動画で伝わる要素はあるだろう。デイビスには活躍できる場所がもっと別にあると、冷静に捉えているファンも多いはずだ。
ホームグロウンという価値だけでなく、クラブの生え抜きであり、トランメア・ローヴァーズからエバートンに入団して以降、トフィーズ一筋でここまで歩んできた。伯父は元エバートンのFWで綺羅星の如く活躍を果たした。このようなブランド的な浪漫と魅力はもちろんある。
マルコ・シウヴァの下で出場機会を増やし、世代別のイングランド代表にも選出された。トップチームでキャプテンを任された時期もあった。クラブのアイコンとして成長した。
そして多くのエバトニアンのきっかけ、語り草となった、あのマンチェスター・シティ戦でのゴールも私たちのハートを鷲掴みにした。
だが、それらを差し置いてでも私にとって、デイビスの最も忘れられないシーンがある。クラブを、チームを、選手を応援する意味・理由、なぜエバートンが好きなのか、それに再度気づかされるシーンに出会えたからだ。
苦境、落胆。
喜びよりも多い状況を覆す、下克上。
フットボールの醍醐味だ。
結局のところ、デイビスが日頃のライフスタイルで表現してきたことと同等以上の結果をピッチの上で証明できたかと問われるとそうではない。
フットボーラーとして何者なのか、それは未だ過程の中にある、まだ25歳になる年齢だ。キャリアとしての道は閉ざされたわけではなく、むしろ無限に広がっている。その答えはすぐには見つからないだろうが、長く同じ街とクラブに滞在してきた若者は、一人の大人として次の可能性に多くのチャンスが待っている。
今回の執筆にあたり、資料や情報を求める中で、初めて出会った記事がある。現U-21イングランド代表の監督を務めるエバートンOBのリー・カーズリーがデイビスについて語ったものだ。
カーズリー自身が守備的MFとして切り開いた「役割・ニッチ」があるからこその発言だと思う。デイビスはジェラード、現代で言えばデクラン・ライスのようなスーパープレーヤーでもない。カーズリーもそうだったはずだ。言わば、デイビスが何者なのか証明するために必要なポイントではないだろうか。デイビスの才能に光るものがあるのは、彼のプレーを7年間見守ってきたファンほど分かっているはずだ。そして足りない多くのものも知っている。ここ数年追い始めたファンは物足りなさを感じている。燻っているデイビスよりも、魅惑的で優れたプレーヤーはごまんといる。
だからこそ問い直す。
私は本当にデイビスのプレーだけに魅了されたのだろうか。
それは違う。きっかけはそうかもしれない。しかし、冒頭から述べてきた通り、私はデイビスの若者としてのスタイルに最も惹かれてきたのだ。あのゴールが始まりだった。苦しい時にチームを救うプレーはもっとデイビスが好きになった。でもそれ以上のものがある。それは自分の人生を投影した時に現れる。
メディアを通して汲み取ることができるデイビスの人生は私と大きく異なり、決して自分には達成できないからこそ、尊敬の念が生まれているのだ。
デイビスの退団で気づかされた。
自分が諦めてきた多くの目標、投げ出してきたもの、対比されるデイビスの個性。
ファッション、絵を描くこと、慈善活動を通してたくさんの人々と関わること。生まれ育った街や社会に貢献すること、地球環境や未来について考え、実践すること。私自身ががなれなかった者、なろうともしなかった者として、鮮明に映し出される。「接着剤」のように取り巻く世界を繋ぎ合わせ、人々に発信し、共有し、表現し続けるクリエイティブなデイビスに憧れていたのだ。
そんな彼が、偶然にも好きなクラブの未来ある若者だった。
しかも、私が幼少期から愛するサッカーを、フットボールを生業とする人だ。
絶えることのない浮き沈みと対峙しながら常に戦い続けた。
今は名ばかりになった「Peoples’ Club」という言葉がある。まさに、デイビスが体現してきたエバートンというクラブにふさわしい理念だ。
デイビスという存在が現地の人々と、私にとっての価値観にどのような違いがあるか、全てを推し量るのは難しい。
持続可能なクラブを目指し、サステナブルなスタジアムを作り、雇用を産み活性化させる。街と共に生きていくエバートンとして、デイビスは稀有で価値のある人材だと思っていた。その繋がりを失った意味は、今後どのように影響を与えるだろうか。
私は自分の生まれ育った街が嫌いで、高校卒業と共に実家を出た。親に仕送りをもらいつつ大学にも行かせてもらった。
高校時代、サッカーで挫折を味わった後、ボールを蹴ることを諦めた。
デイビスは11歳でエバートン・アカデミーの入団を勝ち取った。 17歳でプロデビューした。
ずっとマージサイド、リヴァプールの街で過ごしてきた。
そんなデイビスを憧れ、尊敬し、あらゆる感情移入と夢を描いた7年間は私にとって宝物だ。勝手な期待、たくさんの夢を抱かせてもらった。
「憧れるのをやめにしよう」そんな言葉を聞くことが増えた。かっこいいと思う。自分が示す番だと。頂点へ登り詰める人たちだからこそ、発することができる言葉だ。
でも、何者でもない私にとって、憧れること、浪漫を抱くこと、誰かを尊敬して応援することこそが生きがいになっている。エネルギーになっている。そしてトップの世界では弱者である彼らが、表現することを諦めず、立ち向かっていく姿に心を打たれるのだ。
デイビスは諦めない。
じゃあ私も諦めない。
また新たな魅力あふれる選手たちが現れることを願う。デイビスに憧れ、リスペクトし、アカデミーで奮闘する若者がいるはずだ。
きっと、エバートンというクラブを体現してくれる頼もしい後進が育っている。
そして、デイビスが次の舞台でなりたい自分に近づけることを陰ながら応援する。そうして、歴史あるエバートンというクラブは代々繋がってきたはずだ。苦境にある今こそ、トップリーグに残留できた繋がりこそ、証明を果たすチャンスなのだ。さあ、再び進む時だ。
デイビス、心からありがとう!
私も君がいなくなっても
いつまでもエバトニアンだから!
幸運を祈る。
2023年7月 NSNO Vol.22
「Sort of Glue」
終
参考資料
気に入ってくださり、サポートしてくださる方、ありがとうございます。 今後の執筆活動や、エヴァートンをより理解するための知識習得につなげていきたいと思います。