「たゆたえども沈まず」月刊NSNO Vol.11/ 21-22シーズン総括 エヴァートンFC ブログ
2022年5月
月刊NSNO Vol.11
「たゆたえども沈まず」
◆青天井と、たゆたう心
エヴァートンにどれだけ首っ丈か。自分自身を思い知るシーズンだった。挙げればキリがない、酷いトピックが幾つも思いつく1年である。だからこそ、限られた歓喜のシーンは例年よりも威力と鮮明さが勝る、感動的なエレメントに満ちていた。
動揺し、蹌踉めき、悪風に煽られるように気持ちが揺れた。ポジティブな言動などただの強がりだ。一種のプライドである。生まれ持たないファン・スピリットでも、現地へ訪れたことがなくても、私にとっては心のクラブなのだ。突き抜けるような青天井で、限りのないサポートを続けた現地ファンへ感謝の想いを込め、今号のNSNOを綴っていきたい。
◆起死回生の瞬間をプレイバック
生き残りをかけたサバイバル・バトル。まずは残留を勝ち取ったゲームを振り返りたい。
落胆の色が濃く映ったのは第33節(37試合目)vsクリスタルパレスのハーフタイム。信じることと裏切られることに慣れた私たちでさえも、それまで濁してきた覚悟を決めることになった。
フランク・ランパードは前日の記者会見でそう語った。計り知れない重圧の中、その”最高の瞬間”に立ち会うために好んでフットボールをしていると。
そしてドラマは動き出した。0-2ビハインドの54分、エヴァートンはセンターサークルからやや外れた相手陣内左側のハーフレーンでフリーキックを獲得。これまでプレースキックを担当することはほとんどなかったヴィタリー・ミコレンコがボールをセット。レイトン・ベインズ、リュカ・ディニュの系譜を継ごうとする左足、蹴り上げた高い軌道はファーのメイソン・ホルゲイトへ届いた。ホルゲイトは身体を反り、バックヘッドに近い形でボールを落とす。行先で収めたのは体調不良から復帰したマイケル・キーンだった。短いステップのあと、左足アウトサイドで優しくボールを弾いた。セットプレーで高さを活かしてきたはずのディフェンダーは大一番でラブリーなゴールを決めてみせた。今季、不器用で頼りなかった新人と、不甲斐ないシーンを見せた2人、彼らが繋いだ1点だった。
誰が最初に''2-0は危険なスコア"と言ったのだろう。聞き飽きたフレーズを頼りに、縋る思いで祈っていた自分がいた。沈みかけたグディソン・パークに新たな火種が点く。弱ったはずの船は再びエンジンを噴かすことに成功する。
後半からアンドレ・ゴメスに代わって起用されたデレ・アリは落ち着いた振る舞いでタッチ回数を増やしていく。これまで一度も先発起用されることなく、覇気がなければ長所である能動的なアクションも少なかった、かつての神童がホームゲームのラスト・ダンスでショーを開始した。
血の気盛んな地元のスカウサーでありホーム・バード、アンソニー・ゴードンは61分にデマライ・グレイと交代でベンチへ下がる。アドレナリンが溢れ出したことで本来のパフォーマンスに至らなかったが、若いゴードンの熱量に掻き立てられた選手は多いだろう。
ベンチスタートのグレイは貴重なゲーム・チェンジャー。前述のデレ・アリ同様に、昂るホームの声援を受けて持ち前のスキルを発揮する。
そのグレイがタイリック・ミッチェルのプレッシャーを避け、ウィルフレッド・ザハとルカ・ミリヴォイエビッチを振り切った瞬間だ。ソファに座っていた私は思わずその場で立ち上がった。いつもなら、そのままシュートまで独力の姿勢を見せるグレイは、左サイドではなく、右サイドからのカットインだったことも影響しただろう。背後からオーバーラップしたシーマス・コールマンにボールを預けたのだ。コールマンはワンクッションの後、逆サイドに柔らかいクロスを送る。受け止めたデレ・アリが反射的に中央へボールを送るが相手の守備に防がれた。しかし、これが土壇場の運なのか…チャンスは再びリシャーリソンの元へと溢れた。
体勢を崩しながら、苦し紛れに逆足で振り切ったシュートは真芯を捉えなかったことが功を奏した。これが再びネットを揺らし同点に。
たゆたえども沈まず。噴かしたエンジンは、青い煙幕とともにボルテージを上げていく。まさに反撃の狼煙。残留を決めるまであと1点、船の目指す先も1点のみ。
手を上げ声を上げ、どこまでも限界の無い声援が木霊する。私にとって初めての残留争い。知らない世界はいくつも見せられたが、グディソン・パークに駆けつけるエバトニアンは、いつもその常識を超えてきた。ファンがサポートする、その当たり前以上の全てを体現してくれた。
しばしの間、均衡は続いた。改革されたクリスタルパレス。前半立ち上がりから、そのポゼッションは幾度となくエヴァートンの陣地を脅かした。チームの完成度でいうなら、パトリック・ヴィエラのチームが上手だったのだ。
しかし、ランパードは決して引き下がらなかった。複数の試合で交代カードを使い果たさず、リアクションが遅れる采配が目立ったランパードも、ファンの後押しを受けて攻撃的な交代策に転じられたようだった。ヴィエラも異様な空間で冷静にカードを切る。夏のトレンド筆頭であるコナー・ギャラガーと、高さのあるクリスティアン・ベンテケを投入し反撃を試みた。
しかし、一度焚き付いた煙を鎮火させるのは、このグディソン・パークにおいて並大抵のことではない。
願いが届いたか、我々は奇跡の瞬間と対峙する。
85分、エヴァートンはまたもセットプレーを獲得する。この日、散々自由にさせたザハをネガティブ・トランジションで食い止めたのはキャプテン・シーマス。しがみつくザハに劣ることなく相手のカウンターを防ぎファウルを受けた。
相手ゴールに向かって斜め45度、右サイドに立つのはグレイ。ゆっくりと両手を上げサインを送る。彼のイメージと受け手のイメージが共有される。スイート・スポットで巻き上がったボールが弧を描く。伸びた弾道はペナルティ・エリアの隙間へ吸い込まれた。
高さのあるベンテケの頭上を越え、マーク・グエイの足は届かない。
利き足は頭、ゴール前6ヤードで威力を発揮、我らの知る''蒼い蝶''が再び舞い戻った瞬間だった。復活したドミニク・カルヴァート=ルウィンは、"蝶のように舞い、蜂のように刺した"のだ。
怒涛の逆転劇。
演出したグレイは感極まり、その場で跪いて倒れ込む。ネットを揺らした瞬間に轟く歓声とセレブレーションの輪に飛び込む選手、乱入するサポーター。
リシャーリソンは観客の前へ全身で滑り込み、喜びを噛み締める。ルウィンは控えに座っていた親友、トム・デイビスと抱擁を交わす。目頭が熱くなる。
正直なところ、この3点目から試合終了のホイッスルが鳴り響くまで、耐え抜いた時間はあまり記憶に残っていない。フットボールの醍醐味に触れた時、グディソン・パークは最高潮に達し、画面越しの私は奇跡を目の当たりにして呆然とした。ずっと溜めていたお決まりツイートを果たし、力尽きていたのであった。緑の芝がファンで溢れていく。
日本時間早朝に始まったゲーム。試合が終わると既に陽が昇り始め、私は出社の準備をしなければいけなかった。静かに余韻を噛み締めて、普段より2本遅い電車に乗った。時間の限り、この劇的なゲームと得点シーンを繰り返し視聴した。
◆荒波に飛び込んだ操舵手と船員たち
現在も帆は揺れ続けている。風は止まず、気を抜けば容赦なく船の方角を狂わせるだろう。
冬、既に弱った船を修繕する猶予は与えられず、絶え間ない荒波は軌道修正する手を阻んでいた。それでも、深海からの手招きを潜り抜け、航海を続けることが許された。
泥舟に乗り込んだと言っていいはずだ。操舵手を引き受けた指揮官のランパードは自身の輝かしい経験とは程遠い、残留争いという舞台を選んだのだ。本人が想像した以上の険しさを感じただろう。
ランパード就任以降、プレミアリーグで積み重ねた勝ち点は20ポイント。アウェーでは結局1勝しかできず、残留を勝ち取ってもエヴァートン史上最悪のシーズンであることに変わりはない。
FWリシャーリソンは残留決定後、次のようなコメントを残した。
教訓。試合あたりの獲得ポイント数では過去ワーストタイ。1950-51シーズンを下回る数値を残した。
それでも、前任者には決して生まれなかった「一体感」が育まれていた。一度分断されたクラブとサポーターの歪みを修復し、なかなか勝ち星が積みあがらない間も、できる限りの試みを実践した。これは監督のみならず、クラブ、ファン・フォーラム、選手、そしてサポーターも同様だ。
エヴァートンのファン代表者で構成される「Everton Fans’ Forum」はクラブ上層部へファンの声を届け、幾度となく討論と工夫を重ねてきた縁の下の力持ちである。そして残留劇の立役者だ。
クラブ関係者とファン・フォーラムのメンバーは定期的に会合を開いた。ホームゲームの雰囲気を改善するための計画を話し合ってきたのだ。スタジアムでBGMを流す、試合前のプレイリストを作成する。1-0の劇的勝利を収めたニューカッスル戦(H)ではチームと共有し、選手たちのリクエストを汲んだ。カニエ・ウェストの「All Of The Lights」が試合開始のホイッスル直前、最後の曲として採用された。また、試合前に流れるテーマ曲「Z Cars」の音量を上げ、キックオフ前の盛り上がりを演出する試みなども実践した。
極め付けとなったのは、今季ターニング・ポイントのひとつ、ホームにチェルシーを迎えたゲーム。複数のサポーターズクラブと連携し、エバトニアンにスタジアム近辺のグディソン・ロードで行進する呼びかけを行った。この日を皮切りにファンベースは著しく上昇し、瞬く間に勢いを取り戻した。
気高い信仰心のような塊が、発煙筒と熱いチャントで一色に染まる。遥か遠くの島国から声援を送る私たちには生まれ持っていない要素だ。何十年もフットボールが生活に染み付いてきた老人から、オーナーのファルハド・モシリがやってきた頃には生まれていなかった少年少女、加えて彼ら家族の愛犬ですら参戦した。
佳境に突入し、思うような結果が得られない中で、そうしたファン・フォーラムの取り組みが多大な影響を及ぼしたことは間違いないが、嵐の中心にいる操舵手も船員たちのモチベーションには常に気を配っていた印象を受けている。
ウルヴァーハンプトン戦(H)で酷い敗戦をした後、ニューカッスル戦(H)を控えたランパードは、チームのスカッドやスタッフを引き連れてボウリング場を訪れていた。ラファ・ベニテス政権で失った団結力、結束力を取り戻そうと図ったのである。重圧を和らげる意図も含まれただろう。
また、劇的な勝利を収めたマンチェスター・ユナイテッド戦(H)後には選手がリラックスできるトレーニングを施し、苦境のなかでも選手たちの明るい表情を確認することができた。
さらに、チェルシー戦(H)の直前練習では日頃練習するフィンチファームではなく、グディソン・パークのピッチを使用しイメージアップを図った。シュート練習でゴールを決めると試合さながらのゴールパフォーマンスを行うゴードンやリシャーリソンの無邪気な姿が印象的だった。
選手たちを奮い立たせるためにスタッフもファンもできることを常に探していた。一部では対戦相手が宿泊するホテルに花火を仕掛けるなど、決して褒められない出来事も発生したが、真っ当な多くの誠意が何もできない極東ファンダムにおいて心強い存在となった。
そして選手は勝利のため、残留のために無様であろうともできる限りを尽くす。
圧倒されたマージー・サイド・ダービー(A)は特にその仕草が顕著だった。中位に甘んじ、目指す目標が絶たれてきたこれまでのエヴァートンとは違い、自分達の立場と状況を理解した上で懸命に戦う姿を見た。就任当初、理想的なポゼッションスタイルを提示したランパードが、現実的な手法に切り替えていったことはその一つだ。
◆未知の魔鏡/魔境で露わになった船の構造
戦々恐々とした1年。ジョーダン・ピックフォードの驚異的なセーブの数々、ミコレンコのシーズン・ベストゴール、グレイやアンドロス・タウンゼントのスーパー・ゴールなど、記憶に刻まれる素晴らしいシーンが多く生まれたが、問題や課題を解決するには至らない。未知と対面したことで明らかになった構造は一つや二つではない。
少し話を逸らそう。
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かつて1954年以降に来航したフランシスコ・ザビエルの存在を機に、日本には布教のため多くのキリシタンが訪れていた。しかし、1614年に徳川家康が施した禁教令によりキリスト教の布教が禁止され、幕府を始めとした政令によってカトリック教徒たちは迫害を受けていた。表向きには仏教徒として過ごし、隠れながら自分達の信仰を守り続けたのである。その信仰の頼りとなったのが「魔鏡」と呼ばれる鏡である。
一見、何の変哲もない鏡に見える「魔鏡」は、光の反射により陰影が浮かび上がることで独特の模様を映し出す。隠れキリシタンたちは、映し出された菩薩を聖母マリアに見立て、祈りを捧げたのである。
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エヴァートンというクラブは、プレミアリーグ創設後、降格経験のないオリジナルクラブとして存在し、私たちもそれが当たり前のように感じていた。歴史深いフットボールクラブは過去の栄光によってアイデンティティを保ち、近年の繁栄が拍車をかけ、更に力をつけようとしていた。
表面的には発展を遂げ、莫大な資金を投じてトップクラブの仲間入りを果たそうとした。
ところが、ファンや選手の在り方を映し出すクラブは、その表面的な姿の裏側で刻々と経年の過ちを積み重ねていた。魔鏡のように芸術的な模様ではなく、傷跡として。
これまで積み重なった過ちの数々が群雄割拠の華やかなスポットライトを浴びて露わになった。渦中の人間ならとっくに気づけていた裏側の傷跡も、顕在化することでその深さを思い知る。信じていたものに裏切られる、信仰心を打ち砕くその重みだ。
中堅クラスでヨーロッパを目指していた時間は、今思えば暢気なものだった。毎年訪れる残留争いなど他人事。瓦解を繰り返すショックから学ぶ姿勢を汲み取ることができなかったのだ。
その後、船が魔境に誘われるのは偶然ではなかったということだ。この1年の航海で行き着いた先は来るべくして来た場所だったのである。
試されることで犠牲になったもの、失ったもの、気付かされたことは山ほどある。
フットボールの神はいただろうか。
彼らは沈黙し、私たちは会話することなどできない。しかし、心のどこかで勝利を願うのだ。
そして、終わりのない沈黙を破ったのは他でもない。熱い信仰心を掲げ、声をあげ、行動し続けたファン、そして自らの野心に誇りを持ち、諦めずにピッチで躍動した選手たちだ。
全てを取り戻すための新たなスタートラインにようやく立てたこと。これが21-22シーズンの結末だ。決して忘れることはない。
◆たゆたえども沈まず
シーズンが閉幕し、来季もプレミアリーグで戦えることになったエヴァートン。新スタジアムの建設は順調のようだ。
新たなDoF、ケビン・セルウェルを迎え、オーナーのモシリもコメントを残すなど早速次のシーズンに向けてクラブは歩みを進めている。
アカデミー組織の刷新、ローンニー達の動向、契約満了選手の行く末や主力選手の慰留など目先の任務は膨大である。
これまで私の理想とロマンに基づいて見解を度々述べてきたが、それは現地のみならず世界中のファンが想うものと多くの部分で一致しているはずだ。
誰がリーダーになるべきか、結局のところクラブを導いたのはサポーターだった。彼らが映し出した偉大さに、上層部たちも沈黙は貫けないだろう。正しく誠実なファンの声ならば答えなくてはいけない。
◇
1度乗り込んだ船だ。決して止むことのない風を、航路の先で自分達が掲げる帆の追い風となるよう、確かに掴み、見極めていってほしい。沈まなかった船の逞しさに強いプライドと信念を持ち、時間をかけてでも高みを目指してほしい。それに値するクラブだと、もう1度信じてみようと思う。
私も負けられない。風を受け、揺らぐ船を支える気持ちだ。
2022年5月
月刊NSNO Vol.11
「たゆたえども沈まず」
終
21-22シーズンも主にTwitterにおいて私と関わってくれた多くの極東エバトニアンの皆様、本当にありがとうございました。辛いシーズンでしたが、皆さんのチーム愛、日頃いただくリアクションに助けられて楽しく過ごすことができました。
来シーズンも地道に励んでいく所存です。
よろしくお願いいたします。
また、残留争いという初体験の舞台において、多くのヒントや知識を授けてくださった@eastendertokyo
@giovannikatoman
@BOINGxxBAGGIES
に感謝の意を表します。
大変お世話になりました。
次号、節目となる「NSNO Vol.12」では1年ぶりの21-22シーズン選手名鑑レビューをお送りする予定です。是非、足を運んでいただけると幸いです。
それではまた。
参考資料
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