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ここに平和とは別のことばを、〜『正面に気をつけろ』公演プログラム(2020)抜粋

表紙/うら表紙(デザイン:松本久木)

アンダースローへの新作戯曲書き下ろしの話をもらって、参照するものとして真っ先に挙がったのがブレヒトの戯曲『ファッツァー』だった。ブレヒト自身、「技術的には最高の水準にある」と自負するこの戯曲はきれぎれの断片からなっており、1926年から1930年の不穏なドイツで断続的に書き進められた。あってないような筋を簡潔に述べると、脱走兵たちが逃げ込んだ塹壕のなかで不信と裏切りによって犬死にする、というものだ。ここアンダースローで、地点と空間現代による『ファッツァー』で演劇に出会った私にとってこのうえない話だった。さっそく、タイトルを考えよう。本棚を眺める。最上段に並んだDVDに目をやると、ジャン=リュック・ゴダール『右側に気をつけろ』(1987)が飛び込んできた。タイトルはジャック・タチ『左側に気をつけろ』(1936)へのオマージュ。どちらも私の血肉となった作品だった。「に気をつけろ」を使うのは決まり。上下はまあ気をつけるとして、背後か、正面か。2018年、すでにして世界の空気はきな臭くてたまらなかった。気配で察知するほかない背後に気をつけるのは当然(夜道のひとり歩きはいつも不安)というわけで、おもしろいのは、やはり正面だろう。ヒトはつねに正面を向いているのに、それでもなお気をつけねばならないとは、いったい如何なる状況を指すのか。

ひとは未知のもの、愚劣なもの、「想定外」の現実に直面することでようやく考え始める。私もまた何かに直面することでしか書き始めることはない。タチは屈強なボクサーに、ゴダールは自殺願望を持つパイロットをはじめヴァリエーション豊かな死と愚劣に、ブレヒトは第一次世界大戦で敗北し貧困にあえぐドイツに直面した。2018年の私が直面したのは「画面」と「もう死んだ者たち」だった。パソコン、スマートフォン、テレビ、スクリーン、そのなかはおもしろいものと愚劣なものでいっぱいだった。「画面」が日常に浸透しきった結果、向こう側とこちら側の境界はあいまいに融けあって、ある目的のために捏造されたネタが現実を動かし、ヒトと同じ場所にいても別々の場所にいるような感覚を味わえるようになった。死と生における向こう側とこちら側、その境界はといえば「画面」ほどあいまいではなく、厳然としてある、ように思われるが、向こう側は依然として謎のままだ。小学四年生だった私は台風一過の海で強い引き波にさらわれて溺れかけた際に死ぬかもしれないと焦ったことはあるが、ドストエフスキーが臨死体験のさなかに垣間見たようなヴィジョンは残念ながら知らない。しかし、そんなドストエフスキーでも、「もう死んだ者たち」に触れることはできないのだ。

戯曲『正面に気をつけろ』は『ファッツァー』で犬死にした脱走兵たちが海を渡って日本に「やってくる」ところから始まる。名もなき戦死者たちに国籍はない。犬死には犬死にというわけで、出身国がどこだろうが英霊として祀る冒瀆はいまもなおつづいている。「画面」の内外、いたるところ暴力だらけで、いったい、どの暴力に気をつければいいのか。2020年3月、フランスの大統領は言う「我々は戦争のさなかにある。目に見えない敵が勢力を伸ばしている。皆で立ち上がる必要がある。我々は戦争のさなかにある。」戦争は人間以外のもの、たとえ人間であったとしても非人間とみなされるものに対しては容易に布告される。戦争がなければ平和はなく、「平和の叙事詩」はいまだ語られていない。

「もう死んだ者たち」の身体はもはや見えないが、生き残った者たちによってその声は書き記され、再び声として発せられる。なぜその声は発せられなければならないのか。その理由は声を発する身体によって説明される。なぜその声が聞かれなければならないのか。その理由は聞く身体によって説明される。もう死んだと生き残った、取り返しのつかない過去といまだやってこない未来、それら齟齬で軋みあう声と身体とともに、ここに平和とは別のことばを、別の「状態」を、「地上にひとつの場所を」つくること。この戯曲はその一点に賭けられている。

松原俊太郎(「面と向かって」)

まつばら・しゅんたろう|劇作家。1988年、熊本県生まれ。神戸大学経済学部卒。2015年、処女戯曲『みちゆき』で第15回AAF戯曲賞大賞受賞。2019年『山山』で第63回岸田國士戯曲賞を受賞。小説『ほんとうのこといって』を「群像」(講談社)2020年4月号に寄稿。主な作品に『忘れる日本人』『君の庭』『ささやかなさ』等。2020年度セゾン文化財団セゾン・フェローⅠ。

【パンフレット内容】
「面と向かって」松原俊太郎(劇作家)
「見失いの後先」野口順哉(空間現代)
「演出メモ」三浦 基(地点/演出)
舞台写真:松見拓也


地点の公演プログラムや雑誌『地下室』などは、コチラのウェブショップで購入可能です。また、劇団販売の公演チケットも購入頂けます。


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