見出し画像

「迷惑をかけてはいけない」を疑ってみる


 「人に迷惑をかけなければ、やりたいことをやってもよい」という言葉をよく耳にする。とても全うなことのように聞こえる。けれど、波風を立てずにできることって何だろう?わたしのような小さな子どもを抱えた母親にとっては、ほぼ「何もするな」と言われているように思える。
  例えば、わたしが演劇活動をする時、まず子どもを母や夫に預けるので、そこで家族に「迷惑」をかける。「子どもがかわいそう」と言われることもあるので、子どもにも「迷惑」をかけているのかもしれない。
稽古や制作作業に以前と同じように時間を割いたり、仕事量がこなせない。一緒に活動をする人たちに「迷惑」をかけている。わたしのやりたいことのために、こんなにもみんなに「迷惑」をかけているのかと考えだすと罪悪感に駆られる。
  演劇の世界も外の社会と一緒で、女性が子育てをしながら活動を続けることがまだまだ難しい。30代ぐらいの世代だと出産後も演劇を続ける人たちも増えているようだが、上の世代は圧倒的に少ない。わたしが一人目を妊娠した時、演劇関係の女性の先輩から「子育て中の女性は子どもを言い訳にする」とか「演劇は滅私奉公が基本で子育てとは両立しないから、やめたら」と言われた。けれど「女の敵は女」なんて言われたりする状況があるのは、どんな生き方を選んだとしても女性が生きづらい社会だからだ。演劇の舞台は、多様な生き方や価値観があることを教えてくれる。その舞台裏も様々な人たちがいられる環境であってほしいと思う。
 

画像1


 4歳の娘が、6ヶ月の頃から劇場に連れて行くようになった。親になって初めて気づいたのは、公共劇場などで行われている子ども向けの演劇やダンス公演に子どもが少ないということだ。客席がほぼ埋まっていたとしても、親子連れが半分、さらに子どもがその半分程度に感じることが多い。劇場やホールではなく、地域のコミュニティーセンターであったり、野外や出入りの自由な場所が会場だとハードルが下がり、子どもたちの参加率も高くなるようだ。
 娘の友だちの親と話をしても、子どもにバレエやダンスを習わせたい、演劇などの表現に触れさせたいと、舞台体験に対する関心は意外と高い。それが実際に劇場に足を運ぶことに繋がらないのは、子どもが集中できずに騒ぎ、「迷惑」をかけてしまうかもしれないという不安が大きな要因のようだ。電車に乗る時など、公共の場所で子どもが「迷惑」をかけてはいけないというプレッシャーを感じている親は多い。それは劇場も同じなのだ。
 劇場にやって来る子どもの大半が未就学児。観劇マナーが身についていない子どもは「迷惑」だとする前に、大人自身が演劇を楽しんでいる姿を見せるという意識に変えてみてはどうだろう。「食べる」という生きる上で基本的なことでさえ、「これは楽しいことなんだ、必要なことなんだよ」と親が子どもに粘り強く伝えなければ、身にはつかない。最初は怖くて不安に感じる「海」が楽しい場所になるのも、人が遊んでいる姿を見ているからだ。幼少期に劇場で演劇を観たという良い思い出が残れば、大人になった時に、それが社会や生活にとって必要なインフラだと感じるようになるのではないか。
 

画像2


 わたしは妊娠をしていた時、速く歩けず、働けない自分は役に立たない存在なのだと落ち込むことがあった。けれど、そもそも「迷惑」ではない、役立つ人の基準とは、子育てに関わらずに働く、生産性の高い労働者としての男性なのではないかと思う。その価値基準で作り上げられた社会は、もはや男性でさえ生きづらいものになっているのかもしれない。
「迷惑をかけてはいけない」に囚われず、わたし自身が必要だと感じていることを説明し、協力を求められる勇気を持っていたい。
 
 
米谷よう子



米谷よう子の記事はこちらから。
https://note.com/beyond_it_all/m/me1e12a71d670


読んでくださり、ありがとうございます。 このnoteの詳細や書き手の紹介はこちらから。 https://note.com/beyond_it_all/n/n8b56f8f9b69b これからもこのnoteを読みたいなと思ってくださっていたら、ぜひサポートをお願いします。