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笑いあえない

I「マウスの血管に人間の尿を入れるんだそうだ…クックックッ」
私「え、なんですか?」
I「だからぁ、マウスの静脈に人間の尿をいれるんだと…クックックッ」
私「…ああ…へえ…ハハハ」
I「何も面白くないんだ、笑うな」
私「…すみません」

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みなさんこんにちは。真田鰯です。今回2回目の投稿ということで、前回に引き続き、わたしが演劇を通して出会った誰か、演劇へと向かう動機となっている誰かについてご紹介していきます。
今回のIさんは、俳優ばかりをやっていた私が、劇作を始めるきっかけとなった人物です。Iさんとの出会いの後、私は『パッヘルベルのカノン』という一人芝居を書いて、演出して出演して上演しました。上演しなければならない、という感じでした。表現されなければ危険なことになるものを、自分の内側と外側に同時に発見した感じです。そんな出会いについての話です。

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それは勤務時間中の2時間休憩のことだった。「2時間とか長すぎだろ」というツッコミが光ケーブルを通じて微弱な電気信号として私のもとに届いたが、これは正当な権利として取得した2時間休憩である。とはいえ「仕事してて一番楽しいのは、本を読んでるときですかね(←業務とは関係ない)」とか「仕事をする上で最も大切にしていることは、さっさと家に帰ることです」とか平然と言ってしまえるくらいには不良サラリーマンなので、いずれ世間一般のまっとうな道を歩む人からみれば、道を外れた河原者に見えるだろう。そうです河原者なんです、私。
風通しの良いおしゃれなカフェのソファーにどっかり腰を据え、パニーニとコーヒーという昼食をとりながら、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』という本の続きを読もうとしている。
「アメリカ大陸の先住民はなぜ、旧大陸の住民に征服されたのか。なぜその逆は起こらなかったのか」という問いをめぐって、現在の世界に広がる貧富の地域格差は「人種的な優劣の差によるものではない」ということについて書かれた本である。
ニュージーランドの東に浮かぶチャタム諸島。そこに住むモリオリ族が、数世紀前に分岐したマオリ族によって民族まるごと滅ぼされてしまう。数百年にわたって交易がなかったために、本来、お互いが親族・兄弟であったことを忘れ、女も子供も見境なく殺される、そんなくだりを読んでいるときだ。

I「ここ、いいですか?」

老人が立っている。
え?相席?
あたりを見渡すと、席は空いている。けっこう大胆に空いている。なぜ相席?
そこはしかし、不良とはいえサラリーマンだ。しかも営業だ。「営業不良サラリーマン」だ。こんなふうにいうと、営業成績悪そうにしか聞こえないが、営業不良でも営業不振でもちょっと微笑むくらいの技術はもちあわせている。

私「あ、どうぞ(微笑む)」

そう言いながら本を閉じる。本が読めないのは残念だが、すでにちょっとテンションが上がってしまっている。なんだこの人?
I「この店はどうもいろんな人がいていけない」
私「はあ」
いろんな人?
I「あそこにいるのがなに人かわかるか」
目配せで示された方をみると、外国人らしき男性がいる。
I「あれは中国人だ。みればわかるんだ」
私「はあ」
I「あやしいやつには必ず訊くことにしてるんだ。『フェア アーユーフロム?』このあいだも訊いたんだ、『フェア アーユーフロム?』私は言った『アイムフロム コリア』。彼女は言ったんだ『アイムフロム トーキョー』。私は言ったんだ『いいやそうではないだろう、顔をみればわかる、あなたは明らかに大陸系の顔をしている』彼女は言ったんだ『その話はやめてください』」
なんなんだこの人?あなたがあやしすぎる。
この韓国人のおじいちゃんは、日本人の私に何の用があるんだ。

I「あんたがたは、太平洋戦争のことをなんだと教わるんだ」
私「…植民地支配のための戦争ですかね」
日本の教育がどう教えているか知らないけど、この辺が模範解答だろう。
I「そうか、フム」
私「韓国ではどう教わるんですか?」
I「韓国?韓国のことは知らないよ、私は日本人だ」
私「へ?」
I「引き揚げてきたんだよ、釜山から船で」
私「あああー、なあるほど」
引揚げ者の方ですか。アイムフロム コリアって。そういう意味の。

Iは震える手でスプーンを握りしめ、ゆっくりとガパオライスを口に運ぶ。しかしそのガパオライスたちの大半は、口へと到達する前に、床や背広へと落下する。
大東亜共栄圏構想が実現していたら、ガパオライスも地方の郷土料理みたいな位置付けになっていたのだろうか。沖縄料理みたいに。
口に運んだガパオライスのうち、およそ2割は床に落ちている。また、別の2割は背広の上に落ちる。背広に落ちたガパオライスたちは、決死の覚悟でしがみつき、自らの生まれてきた目的を果たそうとしている。そう、食べられることだ。Iはやがて、背広に落ちたガパオライスたちに気づく。懇願のまなざしを向けるガパオライスたち。しかし彼らは無残にも床に払い落とされることになる。バサッ、バサッ。結果、全体の4割は床が食べている。
「我々はいったい何のために…」床に落ちたガパオライスたちは悲嘆する。このテーブル広くて良かった。

I「マウスの血管に人間の尿を入れるんだそうだ…クックックッ」
私「え、なんですか?」
I「だからぁ、マウスの静脈に人間の尿をいれるんだと…クックックッ」
私「ああ…へえ…ハハハ」
I「何も面白くないんだ、笑うな」
私「…すみません」
I「これは病気なんだ、面白くもなんともないんだ、笑うな」
私「…はい」
なんだろうその病気。いずれ人間の笑いが「引きつり」が発展して生まれたものなので、ただの引きつりが笑いに見えても仕方ない。とはいえ、何しゃべってるかわからない上に、冗談を言ってるかどうかもわからないというのは、営業成績不良サラリーマンにはちと荷が重い。ひとまず笑うリアクションは封印しよう。
私「ちなみに、人間の尿をマウスの血管に入れてどうするんですか?老廃物の中身は一緒のような気がするんですが…」
I「出てきた尿のホルモンをみるんだと」
私「あああー、なるほど」
そういえば、隣の建物では医療系の学会が行われていた。学会の話か。この人は医者か、あるいは元医者。

I「おたくは、仕事はなにをしてるんだ」
私は社名を伝える。ここでは仮に「かんばやし」という社名だとしておこう。
I「かんばやし…。昔、えらくお世話になった先生がいてな、かんばやし先生というんだが、…仲たがいをしてしまったんだ」
彼はそのまま、どこか遠くの時間へいってしまう。
I「大学の医学部の同窓会があって、去年、市内で集まりがあって行ったんだが、私がいま87で、何割死んだと思う」
私「どうでしょう、7割とかですか」
日本人の平均寿命を考えるとそのくらいだろう。そしてこの人はおそらく、東北大の医学部だろう。なるほど、大学の先輩か。
I「そうだ7割死んだんだ。もう3割しか生きていない、クックックッ」
たぶんここも笑うところではない。
I「大学病院のところ、あそこ昔はこれ(手の横で頭をクルクル)の病院でな。近くを通ると変な声が聞こえるんだ。怖くてなぁ」
私「ああ、昔はそうですね。鉄格子のようなものに閉じ込められてましたね」
子どものころ、近所にあった精神科の病院にも鉄格子があり、子どもたちの噂では、近づくと100円を渡され「シュークリーム買ってきて」と頼まれるとのことだった。それは近くの田中商店というところで売っているシュークリームで、6個で100円と当時としてもえらく安いものだった。その話をしてきた同級生は、恐怖を克服した英雄譚としてシュークリームを買ってあげたエピソードを語るのだが、子どもの私にはそれが怖かった。鉄格子越しに伸ばされる手、響き渡る奇声、シュークリーム。なんだかわからなくて怖い。知的障害者に対する恐怖は今はないが、シュークリームに対してだけは、いまだに恐怖を感じる。わからないものは怖いのだ。そしてわからないことへの恐怖心は、伝聞形式で人から人へ伝染する。
私には知的な障害のある同級生がいて、保育園から中学校まで11年間ずっとクラスが一緒だった。彼のことは怖いと思ったことはない。

I「震災のときはバスに乗っていたんだ。青葉通りの木がギシギシ揺れて。丸善に行ってたんだ、そのとき。わかるか、丸善」
私「AERの丸善ですよね。専門書が充実してますよね」
I「よく行くのか」
私「ほかの大きい本屋、だいたいなくなっちゃいましたからね」
I「…失礼だが、大学はどちらで?」
私「あ、失礼しました。東北大の工学部です。医学部の先輩、ですよね?」
I「それはそれはなんと、どおりで、これは立派な、いやはや、しかし」
急に親しげですね、先輩。
私「あ、ちなみに魯迅のことはどう思われますか?」
魯迅は東北大の医学部の前身にあたる学校へ留学しており、我々にとっては共通の先輩にあたる。そして日本に留学して医学を学んでいる最中に、医学を捨て、祖国の国民の精神の改造のために文学へと転向する。医学では国民を救うことはできない、と。
I「魯迅は読まないんだ」
ああ、そうだった。彼の中にある中国人や韓国人に対する憎しみと嫌悪感は具体的なのだ。戦争を知らない世代が嫌韓とか言っているのとは中身が違う。

生まれて以来、植民者として原住民の上に居座りながら暮らしてきた10代の少年。ある日突然、立場が逆転する。当たり前のように差別し、虐げてきた連中は、自分たちにずっと強い恨みをもっていたことに気づく。自分たちは強く憎まれている存在だったと、肌を刺すように、実感として知る。そして自分たちは憎まれているという実感が、相手への憎しみを生みだしていく。

誰かと笑いあうことを許さないひきつり。
憎まれながら生きているという自意識。
わからないものへの恐怖・不寛容。
かつて兄弟であったことを忘れてしまった民族。
ずっと隣を併走してきたはずの、かんばやしさんとの仲たがいとその後悔。
かんばやしさんはきっと健康的な精神の持ち主だろう。
ひねくれずに生きることのできた人間への嫉妬。
ジョバンニがカムパネルラに抱くような激しい嫉妬。
7割死んだ同窓会。
カムパネルラ。
死んだ?

かんばやしさんはすでに死んでいる?
それだけではない。彼が「私のことを憎んでいる」と思っている者たちも、そのほとんどはすでに死んでいるはずだ。
憎しみと後悔の激しい感情だけを残して、その対象はすでにこの世にはいない。
いると思っていた人物たちは急に霧散して消えた。
だれかと笑いあうことのできない極北の凍った大地の上で、彼は独りきりで、憎しみと後悔を抱え、赤黒く燃え続けている。

2時間が経過した。
戻らなくてはいけない。
I「昔はなあ、みんな寄ってきたんだ。先生、先生って。いまじゃ誰も寄り付かない…」
私「ええ、わかります」
I「私は…仲たがいをしてしまったんだ…」
私「ええ」
ガパオライスは2時間かけて約半分が皿の上からなくなっている。そのうち4割は床が食べたとして、皿全体の3割は食べたのだ。
孤独な精神の極北で、憎しみと後悔を抱えて。
それでも食べる。それでも身体は生きることを選び続ける。

別れ際に名刺を交換する。下の名前が(本名と)一緒だった。
私「I先生、名前一緒ですね」

困った。この人は私なのだ。
この凍った大地で赤黒く燃え続ける塊は、私だ。
物語が要る。
彼を救い出し、私を救い出し、全部を赦すための物語が。



真田鰯の記事はこちらから。https://note.com/beyond_it_all/m/me0d65267d180


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