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願わくば彼の眠る

音楽室の片隅の、7列よせられた机の一番奥の暗がりにKは潜んでいる。
目が合うとニッコリと笑う。

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みなさんこんにちは。
今月から記事を書かせていただくことになりました真田鰯です。仙台で演劇をやっております。
2022年3月まで担当されていた小濱昭博さんからご紹介いただき「はいはいやるやるー読んだことあるそれー」とかなりの軽いノリで引き受けたものの、いざ書こうと思うと結構ハードルが高いことに気づきまして『わたしと演劇とその周辺』という大枠のテーマに基いてそれぞれのクリエイターが書くわけですが、「わたし」と「演劇」と「その周辺」?

この記事を読みに来ていただいている時点で演劇に興味のある方も多いのかと思われますが、おわかりいただけますでしょうか、「演劇をやっている」とだれかに伝えたときのあの絶妙なる空気感…。
「いちご大福と演劇どっちが好き?」と一般の人に訊いて、大半の答えは「いちご大福」でしょう。はい。甘いしおいしいよね、腹持ちいいし。しからば「月餅と演劇どっちが好き」という質問に変えてみたところで、やはり2~3割程度の人間は「月餅」と答えるのではないかと思うと、恐ろしくて質問すらできないわけです。
あんなに口の中パッサパサになるのに?

そして「わたし」。この「わたし」というのも鬼門で、たいていの人がこの「わたし」に格別な興味がないわけです。理由はわたしが福山雅治ではないからです。
もし仮に私が福山雅治だったとしたらですよ、話題が何だろうと、みんなもう熱心に耳を傾けてくれるわけです。話題など氷に効くスタッドレスタイヤの話だっていいわけです。でも現実には、私と福山雅治の間には越えることも壊すこともできないベルリンの壁が立ちはだかり、壁を越えて福山雅治になろうとする私を、国境警備隊の狙撃兵たちの銃口が狙い続けているわけです。「一日わずか10分で、ほっそりした太ももを手に入れる体操」はYouTubeが教えてくれても「一日わずか10分で、福山雅治になれる体操」は誰も教えてはくれないのです。それどころか一日わずか10分の努力すらしないために、私が持ち合わせているのはほっそりした太ももですらなく、ふっとりした太ももなんです。ここまで読んで読者の皆さんは一つの疑問に行き当たったはずです。
ふっとりした太ももってなんだ?

そういったわけで私は「その周辺」について書こうと思っています。
「わたし」が「演劇」を通して知った誰か、「わたし」を「演劇」へと向かわせる動機となっている誰か。
78億分の1でしかない無名の私と、78億分の1でしかない無名の誰かがどこかで出会う。その出会いは、何者でもない「わたし」を焚き付け、甘くもなければお腹もふくれない「演劇」を、情熱のすべてで練り続けさせる。
私は、どろだんごを練る子どものように、夢中になって虚構を練り続ける。

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Kと会ったのは小学校のクラス向けの演劇ワークショップで、彼の学校に訪問したときだった。当時小学2年生。
大きな声をだしても平気なように、音楽室を借りてのワークショップだった。

その音楽室の7列よせられた机の下、奥の暗がりにひとりの男の子が隠れている。
「え?なにしてるの?おいで」
そう声をかけると、ニッコリ笑いながら机の下を這って出てくる。
それがKだった。
しばらくの間はニコニコしながら、一緒にシアターゲームをしている。
が、ふと気づくといなくなっていて、探すと、やはり同じ机の下に潜り込んでいる。
「あれ?おーい」
呼びかけると、彼は笑いながら出てくる。
そんなことを3回か4回繰り返した。

眺めていると、なんだかふらふらして集中できていない。
お昼前なのだが「お腹すいた」と言っている。
やがて、授業の様子を見に来た女性の教頭先生が、彼をどこかへ連れてゆく。

しばらくして戻ってきたKは、さっきよりいくらか元気に見える。
フィードバック(振り返り)の時間に、彼は私の膝の上に乗ったきり、降りなくなる。

授業が終わった後、家の場所を教えてもらう。
畑の真ん中に建った、青い屋根と白い壁のピカピカな家。

その後、給食もごちそうになった(たぶんめずらしいケースなのだと思う)。給食を食べながらKからいろいろな話を聞く。
「あのね、パパが帰ってくる前に、怒られそうなことをやっちゃったときは、冷蔵庫の中に隠れるの」
「冷蔵庫の中?寒くないの?」
「寒くないよ、だってジャンパー着て入るもん」
「危ないからやめな」
彼はニコニコ笑っている。
冷蔵庫というのは扉を開けると明るいのであって、閉じているときには真っ暗だ。そして5℃くらいに設定されているので、寒い。

その後、教頭先生と振り返りの時間もいただいた。
「冷蔵庫に隠れるってKは言ってるんですけど。どういう状況かわからないですが、危険ですよね」
そう報告すると、教頭先生は少し困ったような顔で話し始める。

Kは朝が起きられないこと。朝食の時間が終わってから起きるので、朝食抜きで親が車で学校まで送ってくること。朝食を食べずに来るために、給食の時間まで集中ができず、時折、教頭先生がお昼前に食べ物を与えていること。特別支援学級にいること。
「あとね、夜中、徘徊する癖があるんです」
「徘徊?」
「本人は覚えていないんだけど、朝、外で目覚めることもあるらしくて」

教室にお別れのあいさつに戻ると、女の子から声をかけられる。
「ねぇ、こないだ校庭に新しいブランコきたから、もうちょっと遊んでいってもいいんだよ」
もうちょっと遊んでいきたいのはやまやまですが。腕につかまらせて「ブランコごっこ」と称してぶらんぶらん振り回す。
でも残念ながらずっと一緒にはいられないのです。

夜中の徘徊のことを想う。
冷蔵庫に入るのは危ないと私は言ったけど、おそらく違うのだ。冷蔵庫は、彼にとっては安全な場所なのだろう。暗くて寒くて誰にも見つからない場所。音楽室の隅に寄せられた机の下のように。
安全ではない寝床について想う。安全ではない毛布、安全ではない掛布団、安全ではない枕。…わからない。

それから夜の畑道について想う。
彼が眠る、黒くて柔らかい土を想う。
白みはじめた明け方の空を想う。
願わくば彼の眠る黒くて柔らかい土が、そこに生えるオオバコが、彼を温める安全な寝床であらんことを。

昇り始めた朝の太陽が、彼の幼い頬を優しく包む。



真田鰯の記事はこちらから。https://note.com/beyond_it_all/m/me0d65267d180

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