物語を書き換える
仙台の真田鰯です。
今回は、人生の物語を書き換えることについてのお話です。
人はだれしも、多かれ少なかれ、自分の人生を物語としてとらえている。
「私が恋愛に奥手なのは、中学生のときの初恋の痛手がうんぬん」とか、「両親が離婚したのは、当時私が〇〇だったから」とかそういうのだ。
「それ以来私はずっと、~になってしまった」というような言葉が続く。
これは大抵の人が、出来事を因果関係によって理解していて、そのような理解が正しいと思っているからだ。これが「出来事に因果関係なんかない」と思う人間が大多数になるとどうなるかというと、デイヴィッド・リンチの映画がインディ・ジョーンズ シリーズの興行収入を上回ることになる。ちょっと想像しにくい。
一連の出来事を物語として理解するのをやめることはとても難しい。
例えば、
「隣の席の上司が、今日は機嫌が悪い」
「昨日私が提出した書類にミスがあり、さっきそのミスを指摘された」
という2つの事実があったとする。
大抵の人は
「私が昨日提出した書類にミスがあったせいで、今日は上司の機嫌が悪い」
と捉える。これが良くない。間違っている。「私が〇〇したせいで」と考えるその考えは、どこまでも間違ってる。
上司は今朝、ウンコを踏んづけただけかもしれないし、便座のふたをいつもいつも下ろさないことについて、奥様から今日もまた怒られただけかもしれない。どちらにしても、たとえが汚い。
いずれにせよ、自分の不機嫌を周りにアピールして、他人をコントロールしようとするウンコ上司に、まともにとりあう必要などないのである。彼に必要なのは、あなたの申し訳なさそうな態度ではなく、トイレットペーパーだ。
なんだか今回は優れたビジネス書のようだ。
別な話をしよう。地球の裏側でオイルタンカーが座礁する。流出した重油にまみれて、真っ黒になった鳥がテレビ画面に映し出される。それを見たあなたは
「私が昨日、炒め物の余った油をシンクにそのまま捨てたせいで、あのタンカーは座礁したんだ」
と思う。
思わないよね?
思わないでほしい。
これは言い切れる。「あなたの炒め物の油のせいではない」
ただこの
「私のせいでタンカーが座礁した」
と
「私のせいで上司の機嫌が悪い」
の間には、様々なグラデーションがあり、自分を責める傾向が強い人ほど「私のせいで…」と考えやすい。
なので不機嫌な上司を見かけたときには、重油にまみれて鳴く鳥を思い出してほしい。
「かわいそうにあんなに重油にまみれて。まあ私のせいじゃないけど」
しかし、いざ自分がその立場になると、冷静さを保つのは難しい。理由がわからないまま、不条理な状況に宙ぶらりんで置かれるより、なんでもいいから理由を探しだしてきて、理由を付けてしまった方が楽だからだ。それが「私のせいで」だったとしても。
人はこのようにして、自らを縛る鎖を積極的に探しだしてきて自分を縛る。
20代の前半のころ、私の開発した遊びというかワークの中に「自分の人生の物語を書き換える」ことを目的としたものがある。いわばこの、因果の鎖でつながれた物語の「起点」となっている出来事を、他人が介入することでそっくりすげ替えてしまう遊びだ。出来事そのものをすげ替えることによって、その後の自分の人生の捉え方をまるっと書き換えてしまう。出来事の捉え方だけを変えるよりも大胆である。いわば人生の移植手術だ。とても危険だ。集中力も要る。あんまりやったことはない。
この遊びには書き換えた物語(嘘)を信じる他者が必要となる。
思えば、物語そのものよりも「人が何を物語るのか」に強く惹かれる気がする。映画だと『ビッグ・フィッシュ』とか『落下の王国』とかすごく好きだ。『はてしない物語』の後半部分は、書くのがすごく大変だったとミヒャエル・エンデがどこかで言っていた気がするが、あのギリギリのつなわたりの中で書かれた後半部分ばかりを何度も読み返してしまう。これらの作品からは、物語るという行為を通じて、人間の意志の力や生命力が放つまばゆい光を感じる。
今回、12月に上演する演劇作品は、事実に基づいている。
現実の世界で、現実に起こったこととは別の「嘘」を差しはさむ。
物語を書き換え、今の自分をとらえなおし、更新する。射ぬこうとしている射程は、個人でなく、客席のすべての観客だ。
その嘘は客席全体の願いが結実したものとなる。
作品のモデルとなった女性の名前は、作品に沿って言えば「鈴木さん」だ。
彼女は実家から持ってきた古い鏡台の前に座り、鏡に映る今の自分の顔の中に、幼いころの自分自身の顔をみつける。
鏡の中の少女は暗い目をしている。
少女に向かって語り掛ける。
大丈夫、ずっとつらいわけじゃない。
未来には幸せが待っている。
どんなことも、あなたの受け止め方次第。
あなたは、生きて、幸せになってほしい。
少女の中で、「幸せにならなければいけない」という、切迫が始まる。
ということで2022年10月11日までクラウドファンディングをやっています。
こちらもご一読いただけますと幸いです。
耐え難い孤独にさいなまれてきた少女の人生の物語を、優しい嘘で書き換えます。
真田鰯の記事はこちらから。
https://note.com/beyond_it_all/m/me0d65267d180
読んでくださり、ありがとうございます。 このnoteの詳細や書き手の紹介はこちらから。 https://note.com/beyond_it_all/n/n8b56f8f9b69b これからもこのnoteを読みたいなと思ってくださっていたら、ぜひサポートをお願いします。