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人類学の道番外編:京都大学大学院に「不確実」に受かる方法(あるいは「他力と縁」についての考察)


この度奇跡的に京都大学人間・環境学研究科共生文明学専攻文化・地域環境論講座文化人類学分野に合格することができた。まずは応援してくれた方々、そして様々な形で助力していただいた方々、本当にありがとうございました。そして結論から言うと、この「不確実」な合格方法、それはこうした人たちの「他力」と「縁」である。私はほぼ100%彼ら彼女らの力によって合格したと思っているが、兎にも角にもこのnoteはそうして助けていただいた人々への「感謝」と「お礼」を込めて書いてる。したがって安易に「京大の大学院に合格する方法」を求めるためにこの記事を読もうとしている人間はすぐに閉じることをお勧めする。というより言ってしまえばネットで合格方法を調べている時点で多分受からない。大学院とは学問をより深く学び、アカデミアという空間の中でその思想を燻らせる人間たちがいくところ(だと個人的に思っている)ので、学歴ロンダリング等で院進を考えているのなら是非とも一度立ち止まって、「自分が本当に学問が好きなのか」と自問すると良いだろう(もちろん学問が好きなことと頭の良さは無関係である。バカであろうと学歴がなかろうと、学問にとりつかれたのなら是非ともいくべきではないだろうか)。

というわけでここではどのようにして「他力」によって合格することができたのかを記述分析していきたく思う。それにより、いかに多くの人に助けられたのか、そして禅仏教的教義のように、いかに一人で何事かをするということが不可能であるか、だからこそ「他力」との「縁」(ビジネス的「人脈」などという形骸化した利己的主義な人間関係追求とは異なる)が重要であるのかをここに記していこうと思う。

1.院試について

その前にまずどのような院試であったのかを説明することが不可欠であろう。京大共生文明学専攻の試験は二日かけて行われ、初日に二つの外国語試験と専門科目試験、二日目に面接試験が行われる。二つの外国語試験は本来異なる言語を選択しなければならないのだが、なぜか受験した文化人類学分野は両方とも英語が選択可能だった。専門科目は四問あり、第一問並びに第二問は文化人類学に関する問題三つから一つを選択して回答し、第三問は引用された英文の和訳、そして第四問は五人の人類学者から一人を選択し、その人物の著作について論じるというものである。外国語試験と第三問以外は千文字程度で程度で回答する様に指示され、試験時間は外国語が両方合わせて二時間、専門科目は二時間半。翌日の面接は筆記の出来に関わらず行われ、一対三(受験者一人に対して志望教官一人とその他教員二人)で二五分ほどの質疑応答が行われる。ちなみに専門科目は何が出題されるか予想できない。唯一明らかなことは、「過去問の問題は出ない」ということだけである。しかし取り寄せられる過去問は四回分ほどなので、それより前にどんな問題が出題されていたかを知ることはほとんど不可能である。

詳しくは募集要項並びに京都大学吉田南図書館から過去問を取り寄せて自分の目で確かめていただきたい。誰でもアクセスすることができる。

さて次項からはこの大学院試験をどのように「他力」を用いて突破したのかを詳しく記述していく。

2.外山合宿、幸村燕、そしてL氏

まず一つの目の要因は、一部界隈で絶大な人気と不人気を誇る政治活動家外山恒一氏が大学生を対象として行う合宿通称「外山合宿」であろう。そこで学んだ新左翼運動史はもちろんだが、何よりもここで出会った人々が今回の院試で大いに私を助けてくれた。特に特筆すべきなのは幸村燕(@welcome_to_neet)という人間である。めちゃくちゃ頭のいい樋口師匠(四畳半神話大系)といえば読者には伝わるだろうか。現代思想だけでなく、サブカルチャーにも精通しており、個人的には新時代の宮台真司にこの先なるのではないかというほどの天才であると同時に、家賃を滞納しながら本を売ってそのお金でタバコを買うという破天荒な変人である。彼には水サーのイベントに誘われたり、読書会に誘われたりと幾度も世話になっているのだが、やはり一番は「ぬかるみ派」に誘ってくれたことだろう。

この雑誌に寄稿しないかと誘われたことで、私は人類学者ティム・インゴルドにお会いしたときの体験談をまとめ、よりインゴルドについての深い洞察を得ることができたと言っても過言ではない。そしてそれは私の知識に役に立ったとかそういう次元の話ではなく、ここでインゴルドの思想について整理していたからこそ、面接でインゴルドについて尋ねられても戸惑うことなく答えることができたと思われる。

もう一つ受けた大きな助力は、L氏と繋げてくれたことである。私は直接面識もなく、Twitterなどで誰かがいいねしたツイートが表示されるくらいであったが、そのL氏が幸村燕を通じて私に「京大の大学院受けるならこれを読めばいい」と見ず知らずの私にアドバイスをくれたのだ。

それがこの「アフリカ潜在力」である。

ちなみにL氏も京都大学の大学院に進学するそうだが、彼は「アジア・アフリカ地域研究研究科」配属となる。修士だけでなく、博士課程まで進学することが前提とされている狭き門なので、そこに合格したい彼がいかに優秀かということが伺えるだろう。

時を戻そう。実を言うとこのアフリカ潜在力という本は全五巻あるのだが、試しにと思って一巻しか買わず、しかも勉強というよりは半ば「へぇ、こういう文化があるんだ」というトリビアの泉のタモリよろしくパラパラと流し読みしていたものだから、三割程度しか内容が頭に入っていなかったのだが、あろうことかその三割の内容が専門科目の一問目で大いに役に立ったのだ。

ここで出題された問題について詳しく言及して良いのかは不明なので、是非とも将来的に過去問として発行されるであろうその問題を参照してほしいのだが、ざっくり説明するとその「アフリカ潜在力」において、ある社会形体が現代の国民国家においてなぜ復興し始めたのかについて述べられていた章があり、問題にその社会形体について論じる問題が出題されたのだった。もちろん流し読みをしたので詳細に記述することはできず、しまいにはカメルーンとガーナを間違えていたのだが、しかし記述問題等において(個人的な経験ではあるが)ただ用語の意味を記述するだけでなく、どの様にそうした用語が批判されたり応用されているのかを述べることはこの上なく重要なことの様に思われるので、この例は非常に役に立ったのだろうと思う。ただただL氏と幸村燕に感謝するばかりである。

3.志望教官

だがもちろん勧められた「アフリカ潜在力」だけで受かった訳ではない。「アフリカ潜在力」は素晴らしい本ではあるし、あれを五巻読み込めば確かに院試に大いに役に立つとも思ったが、エジンバラ大学という海外の大学で哲学並びに英文学を学んでいた自分にとって、そもそも「人類学」の知識が「マルチスピーシーズ民族誌」と「ティム・インゴルド」くらいしなかったので、基礎的知識を身につけることが重要であった。ここで大いに助けられたのは、志望教官にメールでご享受いただいた教科書二冊である。これから京大院の人類学を目指す人たちで、全く人類学とは関係のない学部に所属していた人たちには、ぜひこの二冊をお勧めしたい。「はじめて学ぶ人類学」並びに「文化人類学キーワード」である。

またもし可能であるならばこちらの「文化人類学文献事典」の七百ページから八百ページにかけて書かれているさまざまな論争に関する解説なども役に立つはずである(定価二万円なので図書館等で借りることをお勧めする)。

さてこれら二つまたは三つの(そしてそれより多くの)教科書や入門書をメールで丁寧に勧めてくれたのが、私の志望教官でありおそらくこれから二年間指導教官となる教授である(名前を挙げてもいいのかわからないが、どのみち文化・地域環境論講座文化人類学分野で指導教官となってくれる教授は数人しかいないので検索すればすぐに誰だかがわかるはずである)。

二度の説明会でさまざまなことを教えてもらい、さらには研究室訪問でも研究に対するヒントなどを与えてくれたこの先生とのファーストコンタクトはもう二年ほど前の出来事だが、そのメールで専門外の学部生がどの様に勉強すれば良いのかを丁寧に返信してくださったのだ。まずそのメールでどのような参考書を使用すれば良いのかを教えてくれたことに感謝したいが、何よりもお薦めされた「はじめて学ぶ文化人類学」が専門科目試験の第四問を解く上で非常に役に立ったことは明記しておく必要があるだろう。「誰」が出題されかは過去問を参照してほしいのだが、この本のおかげでその問題について書くことができたと言っても過言ではないはずだ。他大学の学生にここまで親身になってくれる先生もなかなかいないのではないだろうか。本当に感謝しかない。

4.居候先の京大院生

ところでこの志望教官をそもそも志望した理由は夏休みの度に居候していた現役京大院生によるところが大きいだろう。彼は現在は別分野だが、学部生時代はこの志望教官の授業などでお世話になっていたらしく、その人の研究室を熱心に勧めてきたのも彼である。彼が京大に行ってなければそもそも京大の院を志望することもなかっただろうが、何よりも筆記を終えたその夜にくれた面接のアドバイスが、志望教官の研究室を志望した理由を語る上で大いに役に立ったのだ。

正直に告白すると、あまり明確な志望動機はなかったのだが、たまたま彼が呟いた「〇〇先生って確か君の研究とこういう風につながるんじゃない?」というのが功を奏し、院試の面接で学生を詰める質問でお馴染みの「それって別にうちじゃなくて良くない?」と聞かれるのを見事に回避することができたのである。また彼は私がたまたまTwitterで見かけた志望教官が編者を務める本の合評会にも付き合ってくれて、その合評会の内容と志望教官の研究範囲を私の稚拙な研究テーマと結びつけてくれたことも書き記しておかねばなるまい。良い居候先を見つけたものである(ちなみにうまくことが運べば新学期から住む場所はこの居候先から徒歩三分ほどの位置にあるのでご近所になるかもしれない)。

5.ティム・インゴルド

この人の名前は出しても平気だろうが、やはり振り返ってみるとインゴルドと会えなければ合格することはなかっただろう。というのも自身の研究テーマの核はインゴルドから直接啓示を受けたものなのだ。彼に会わなければいまだに自分が何を研究したいのかを明確に言語化することはできなかったはずだ。またやはり面接でインゴルドに会った話をするととてもウケが良いので、そうした面でもインゴルドの功績は大きい。近い将来何かしら人類学の研究をしたら、その成果を是非本人に知らせたいものである。


6.ハラウェイ会

だがそもそもインゴルドに興味を持つ様になったきっかけは、ダナ・ハラウェイへの興味からだろう。このハラウェイへの興味並びにハラウェイ思想の知識は某有名なハラウェイ在野研究家をはじめとする面々によって支えられていると言っても過言ではない。ほぼ無知であった自分に丁寧に教えてくれただけでなく、「共に」読書会をしたり、また実現はしなかったが寄稿したいという傲慢な申し出を快く引き受けてくれたりと、この会のおかげで自分の研究テーマがより輪郭を帯び、そして知識もより増えていったのではないかと考えている。近い将来またハラウェイ関連の読書会をしたく思うので、興味のある方は是非参加していただきたい。


7.コラボ塾

しかし「研究テーマ」で言えば、やはりコラボ塾の存在が大きいだろう。

自分は直接塾生としてお世話になっていないのだが、それにもかかわらず塾長が親身になって自分の興味のある分野を研究テーマとして昇華してくれただけでなく、面接対策や練習にまで付き合ってくれて、感謝してもしきれない。また専門が異なる同年代の塾生たち三人(SFC生、慶應MBA生、名大院進学予定生)がさまざまな視点や彼ら自身の体験談から私の院試を後押ししてくれた。彼らのおかげで志望教官の研究分野と自分の興味のある研究をつなげることができただけでなく、研究したいことについて面接で聞かれてもたじろぐことなく自信を持って語ることができたのでもう感謝しかない。ところでこの塾はやはり塾長が切れ者で、普通の塾とはカリキュラムも根本的に異なる上、自分のような大学生の院試やSFC生のように転学受験を熱心にサポートしてくれる。一生頭が上がらないだろう。

8.高校時代の先輩と清水高志先生

しかしやはり自身の興味の原点は東洋大学の清水高志先生のゼミから始まったと言っても過言ではない。そしてそのさらに原点は、私をそこに誘ってくれた陸上部の先輩である。全ては高校時代から始まっているのかもしれないと考えると感慨深いものがあるのだが、兎にも角にも「マルチスピーシーズ民族誌」を知るきっかけとなったのは、やはり清水先生のゼミと著書の「実在への殺到」であるに違いない。オーストラリア国立大学経営学部という英語の喋れない人でも入れちゃう学部からエジンバラ大学哲学・英文学科へと転学する時に、「本物の哲学者に会わせてやる」と言って五年前の夏に会いに行ったのが清水先生である。初めは居酒屋で一緒に飲んだけだったが、それから何回かゼミに参加させてもらい、そこで私ははじめて「西田哲学」に触れることとなった。そう、京都大学を中心とする「京都学派」、その立役者西田幾多郎の哲学である。もはや縁というかここまでくると運命的なものを感じるが、このゼミが京大の大学院へと繋がっていたのだと思うとやはり中沢新一氏がいうところの「レンマ」を感じてしまう。だがそうでなくても、ここで西田哲学に触れ、そして清水高志という哲学者に短い期間ではあるが教えを受けたことが合格することのできた大きな要因の一つに違いない。清水先生、そして先輩に感謝である。

9.学術的なもの以外

エジンバラで居候させてくれた友人らにも感謝しなければなるまい。時には飯を一緒に食べ、酒を飲み、他にもいろいろとしたものだが、今になって思えばそれが全て合格へと続いていたのだから、結果論ではあるが「あれでよかった」のだ。とても楽しい時間を過ごすことができたのは、やはり彼らのおかげであろう。

また海外にいた自分に変わって書類を集めてくれたり、資料を取り寄せてくれただけでなく、受験費まで出してくれた両親には感謝してもしきれない。というか海外の大学に行かせてもらった上に転学までしているのだから、せめてもの恩返しで合格ができてしかも大層喜んでいたのでよかったと思う。

10.いかにして「他力」で合格したのか

結局このnoteで私は何が言いたかったのだろうか。今までの自分の軌跡を整理することも一つ目的にしていたが、やはり振り返ってみても自分一人の力であったとは決して思えないし、院試勉強から合格までという短期的な期間だけをみても、数々の助けがなければ合格することはできなかっただろう。また、問題との相性もほとんど「運」だと言わざるおえない。たまたま卒論もどきで書いた内容がそのまま出題されていたのだから専門科目の問題を最初見た時思わず「勝った」と呟いてしまったが、しかし過去問を解いた時ボロボロだったどころかわからない単語が多すぎて全く解けないということもあったので、五角形の能力値パラメーターがあったなら突出していた一角の範囲ドストライクで問題が出題されたと形容せざるおえない。人類学を専攻するのに、更なる勉強が必要不可欠であると強く感じるばかりである。

だがやはり振り返ってみると、人類学者/哲学者のアネマリー・モルは正しかったのだと思う。モルは病院でのフィールドワークから動脈硬化を例に実在はさまざまな「実行(実践)」の結びつきによって生起したり消滅したりするというが、ここでも同じことが言えるのではないか。私の「合格」という事象は、時空を超えて、さまざまな「実行」が結びつくことで立ち現れた。それは私から発せられた実行だけでなく、さまざまな他者たちの「実行」と絡まり合い、「合格」という実在が生起しただけなのである。そうすると誰が「私だけの力」だと傲慢なことを言えるのだろうか?誰が「自力」だと勘違いすることができるのだろうか?禅仏教の「縁」は宗教的なのでとっつきにくいと感じる人もいるかもしれないが、この学術的理論を(雑に)応用しても、やはりこの合格が私という個人によって成し遂げらたとはとても考えられないのだ。だから如何にして京都大学大学院に合格するかと問われれば、やはり「他力」としかいいようがないのだ。それはどのような問題が出題されるかという自分の力ではどうしようもないことももちろん絡んでくるので、さらにそこには「運」または「縁」に言及することが必要不可欠なのである。だからやはり「他力と縁」なのだ。これこそが京都大学の大学院に合格する「不確実な」方法なのだ。

11.終わりに

もちろん「他力と縁」は自分一人の力でどうすることもできない。利己主義的な勉強方法は短期的な成果を生み出すかもしれないが、長い目で見た時、やはり自分の力には限界があることを実感するはずだ。だが流れに身を任せろということはまた別であろう。臨済禅において流されるまま生きることは、流れという「他」があり、自己という「個」があるという二分法から出発しているので、悟りからは程遠い。そうでなく、そもそもが「空」であり、万物の結びつきより「個」が成立するのだから、いやがおうでもすでに人は流れの中におり、だからこそ流れの中で生きるということは空から生起していることを実感し、十全に流れに対して働きかけることなのだ。説教臭くなってしまったが、しかしやはり禅を研究したい人間として、臨済禅は真理をついていると思う。個人の努力だけでは結びつかないが、しかしだからといって諦めることもまた違う。だらこそ我々は学び続けなければならない。そして自らの学問的興味が他力と縁との絡まり合いの中で「生起」してくると、自ずと道は開けるだろう。それは合格へと直結しないかもしれない。しかし全く別様の新しい風景が現前するに違いない。クァンタン・メイヤスーが「有限性の後で」の中で、唯一の真理が「すべては別様になりうる」と言っていたではないか。ならば我々ができることはただ励むのみなのだ。学問をすること、そして考えることを。Think we must, we must think!

だから大学院に進学することを考えている人たちは、今一度自らの学問的興味を考えると同時に、ぜひこの「他力と縁」について考えてほしい。それは必ず君を導いてくれるだろう。私が合格したのは完全に「他力と縁」なのだから、自慢できるものでは決してない。だがせっかくの「縁」なので、進学したく思う。そこで新しい風景が見えてくるはずだから。他力と縁が、私をここに導いてくれたのだから。

助力してくれた全ての人々に、感謝を込めて。
そしてここに書き切ることのできなかった人々にも、感謝を込めて
本当にありがとうございました、何も返せないかもしれませんが、これから研究に精進して参りますので、何卒よろしくお願いいたします。

↑Mk2-Wain↓ 拝



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