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コミュニケーションと”環世界”

スポーツの指導において、アスリート(選手)が優れた技術を身につけられるように様々な会話がコーチとアスリートの間で交わされます。その内容も多様なもので、パフォーマンス向上に関わるものからキャリア支援、ライフスキル獲得のための指導、良好な人間関係を築くためのコミュニケーションなど様々です。

良好な人間関係を築く上では、コーチはアスリートと十分なコミュニケーションを取る必要があります。アスリートとのコミュニケーションは、アスリートの身体的、心理的状態を確認するだけに留まらず、アスリート自身のコミュニケーションスキルやライフスキル獲得においても重要なものであると考えることができます。アスリートの競技人生を支える重要他者として関わりの強い時間を共有する以上は、コミュニケーションがあまり交わされないようでは寂しいものです。

そのコミュニケーションは、よく「キャッチボールである」というように表現されることが多いと思います。実際に野球ボールでキャッチボールをする際は、相手の力量に合わせてボールの速さをコントロールし、相手が取りやすい位置に投げます。コミュニケーションも同様に、お互いが安心感を持って話せられるのは、相手面線に立った言葉を選び、適宜必要な言葉を添えて話すことです。

そうした点を踏まえ、指導のみならず他者とコミュニケーションを取り、良好な人間関係を築く上で参考になる概念に「環世界」というものがあります。

この環世界(Umwelt)とは生物学の学問領域で取り扱われる概念で、ヤコブ・フォン・ユクスキュルが提唱したものです。ユクスキュルは「すべての動物は客観的な世界ではなく、その動物が主観的に創造した”環世界”で生きている」と説明しています。人間が見ている世界の見え方と同じようにその他動物にも世界が見えているわけではなく、その他動物には人間とは違う世界の見え方で生活をしているということです。

例えば、人の視覚は可視光線しか見えないため紫外線や赤外線は知覚できませんが、ミツバチなどは紫外線を知覚することができるため、紫外線を含めた視覚を通して世界をみています。また人間とミツバチはそれぞれ、自身が生きている世界の“理解できる限界”は大きく異なっているはずです。我々人は地球上のすべての地域を知っており、大河もあれば砂漠もあり平野もあることを理解しています。そして宇宙の存在も認知できています。ただ宇宙から外の世界は理解できていないので、ここが“人の環世界の限界”と表現できるかと思います。
これに対しミツバチはどうでしょうか?
ミツバチにとってみれば自身が飛んでいる野原から外は理解できないものと思われます。ミツバチの飛翔距離は巣から約2〜3kmといわれていますので、その範囲より外にある世界は未知の世界で“ミツバチにとっての環世界の限界”になるでしょう。

故に人間とミツバチが同じ空間と時間を共有していようとも、その空間をどのような映像や捉え方で見ているかはそれぞれによって異なるわけです。

この環世界という概念は対人関係にも通ずるものだと捉えることもできます。人生の中での様々な経験や、そこで得た知識、ある時点の他者との関係性、価値観、感情などはそれぞれの人の中で非常に複雑に絡み合っており、とても多様なものです。同じ人生が他人も歩めるわけではありません。これまで得てきた人生経験によって、例え同じ環境にいたとしてもその環境を恵まれたものと捉える人もいれば悲観的に捉える人もいます。同じ世界を見ているようでも、それぞれの人の主観によって見ている世界の捉え方は異なっていることがあります。

こうした“環世界”から膨らませられる発想を踏まえれば、人間関係を良好にしていくには、“それぞれの人の捉え方は違うことがあるということを前提として”関わりを築いていくことが重要であると考えることができます。“話している相手も自分と同じ捉え方をしている”ことが前提の話し方・接し方と、“この人はどんな捉え方をしているのだろうか?”といった視点での話し方・接し方とでは大きく違います。

これを知っているだけでも、自身の要求を相手に強要してしまいたくなることを抑えることができるかもしれません。また、相手に伝わるような話し方を工夫しようと意識するようになるかもしれません。物事を伝えて相手に行動を促すには、相手の主観に立った視点を踏まえて伝える必要があります。このことを意識するだけでも相手への伝え方は大きく変わりそうですね。

コーチがアスリートに対して行うコミュニケーションも同様です。特にアスリートは競技を始めたきっかけとなった親や、以前に教わっていた指導者の指導に大きく影響を受けている場合もあります。高校や、大学生くらいになるとその影響が顕著に現れてくるものと思います。指導においては、“伝わらないのは聞き手側のアスリートに問題がある”のではなく、“アスリートの考え方をうまく引き出しつつ、アスリートの主観に立った視点を持って伝える”よう意識する必要があるでしょう。

コーチは時にアスリートの成長を期待しているが故に、つい一方的な伝え方をしてしまうことも時にあるかと思います。真摯な姿勢でアスリートと向き合っていれば、コーチの思いは伝わるものだと思いますが、常に一方的な伝え方ではアスリートもコーチに聞く耳を持ちたいと思わなくなってしまいます。アスリートの目標達成・パフォーマンス向上を実現する支援をすることが指導の目的ですので、“環世界”の概念を頭に置きつつコミュニケーションを取れるといいですね。


本記事のまとめ

・環世界とは、「すべての動物は客観的な世界ではなく、その動物が主観的に創造した”環世界”で生きている」という生物学における概念

 
・人も同様にそれぞれの人の物事の見え方捉え方は異なることがある


・コミュニケーションで意識することは、他者が自分とは異なった主観で物事を捉えているということを前提にしておくこと


いかがでしたでしょうか。
この環世界という言葉は確か私が中学生か高校生の時の国語の教材で出会いました。
もしかすると、読者の皆さまも読んだことがあるかもしれませんね。


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