黙ってられるか!流行り病→お注射のサイクルでアメリカが儲かるシステム
■いい加減日本人を舐めるなよ!
いつまでやってんだか・・・
新型ウイルス騒動の行き着く先が、お注射ビジネスであるは明らかです。流行らせて、打たせて、忘れた頃に次のを流行らせて、また打たせる。金の行き先は、アメリカの会社です。
国民の免疫システムがぶっ壊れることなんて、お構いなし。それ以上に、アメリカさまを儲けさせることの方が大事なんですね。政府がどっちを向いているか、よくわかります。
国民をバカにするのもいい加減しろ!僕らもそろそろ本気で怒らないと。
■正しく静かに怒る
怒るといっても、声を張り上げて、街頭デモをやる必要はありません。まずは、自分の頭で考え、自分で決めて、静かに行動を起こせばいいんです。
筆者にできることは、マスクを外して、お注射なんか打たない。みんながそんなことしたら、岸田さんも焦るでしょ。彼らを動かすのは世論なんですよ。全員とは言わなくても、3割くらいの人が正しく怒れば、変わらざるを得ない。
■政治家は世論で動く
「なぜ、政治家は国民を救おうとしないんだ??」
流行り病騒動が始まったころの素朴な疑問でした。「何かがおかしい」と感じ、いろいろ調べて、自分で考えました。
筆者の今現在の立ち位置は、以下の通りです。
世襲議員がわかりやすいですが、彼らは政治一家に生まれ、生まれながらにして政治家なわけです。だから、「政治家であり続けること」が彼らの目的になる。どれだけ国民を苦しめても、次の選挙で勝つことの方が大事なんです。
■国民の責任
長い間どうしようもない政治を見せられて、いつしか僕らも諦めてしまった。「政治で国は変わらない」「誰がやっても一緒」という空気が蔓延し、自分たちの国のことに無関心になってしまった。
政治への諦めは、日本を諦めることだということに、そろそろ気づきたいところです。それは、自分への諦め、次世代を諦めるということです。
そんな社会を子供たちに残すわけにはいかない。
■選挙権の裏側にある義務
政治に対する権利として、我々は選挙権を持っています。あくまでも権利なのですが、選挙に行くことが政治に参加する第一歩だという風潮があります。
筆者も投票には行きますが、それが重要な政治行動だとは考えていません。自分一人が投票したところで、結果は変わらないですし。ぶっちゃけ、投票には行かなくてもいいとすら思っています。
投票することは権利です。権利の裏側には必ず義務があります。
選挙の有無に関係なく、日ごろから国のあり方を考え、政治の動きを自分なりに捉え、必要に応じて正しく怒ることです。これこそが国民の義務だと筆者は考えます。
今こそ、怒るときです。
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