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ひとつの仕事が終わりを迎えて思うこと~プチ諦観な境地~

■「終わり」が決まると「今」が決まる

  4月から関わり始めたプロジェクトが、今月で終了する運びとなりました。10人でスタートしたチームでしたが、去る者あり、追い出した者ありで、最終的に残ったのは5人。

 開始直後から暗雲が立ち込め、意図した形でのフィニッシュではないものの、得られたものもたくさんありました。やり残してることもあるけど、時間も限られているので、いい意味での諦めもつきます。

 一番大事なことに集中して、最終日を迎えたいと思っています。「終わりが決まると、今が決まる」は、真理ですね。

 これまでに何度かの「終わり」を経験していますが、一区切りを迎える心境には、どこか清々しさがあります。   

■墓碑に刻む言葉

 『7つの習慣』の中にも、第二の習慣として「終わりを思い描くことから始める」ことが書かれています。ここで言う「終わり」は、もっとスケールが大きく、人生の最期のイメージです。

"おのれよりも優れた者に働いてもらう方法を知る男、ここに眠る"

 家族や恋人や友人が、自分の葬儀に参列しているとしたら、なんと言われたいか・・・なんて言われても、筆者には想像できません。自分が死ぬ時の場面をリアルに想像できる人は少ないと思います。

■「第二の習慣」を現実に落とし込む

 人生の最期はなかなか想像できないので、筆者はちょっとアレンジして、実践しています。

①細かく刻む

 3年後とか、1年後とか、イメージしやすい単位で区切ってみる。

「いつか終わる」ことは知っているけど、「いつ終わるか」は分からないのが人生です。なので、自分で期限を仮設定してみるのがいいかと思います。

②「真のゴール」を描く

 「真のゴール」とは、心の底から手に入れたいもの、誰に何と言おうが成し遂げたいもの・・・みたいな感覚です。

 ちなみに筆者がやっているのは、①と②の合わせ技です。毎朝、「真のゴール」を確認し、その手前にある3年後、1年後・・・を現実的にイメージしていきます。その日一日の軸が、カチッと定まります。

■あえて人生の最期を想像してみる

 50歳も過ぎたので、そろそろ人生の終わりが見えてきてもいい頃だとも思っていますが、両親がまだ健在なこともあり、自分事とは捉えられません。

 あえて、自分亡きあとの世界を想像してみると、目に浮かぶのは未来の子供たちの姿です。このまま何もしないと、良くない社会になることは確実です。何かしたところで、良くなる保証もないけど。

 ただ、このままだと死にきれない気持ちは強いです。どうやら、「誰もがいつかは訪れるその日」まで、ダメでも足掻きつづけるのが、自分の生き方のようです。

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