自己紹介①

40代に突入した医師。妻、子供4人の6人家族。生まれてこの方、1ヶ月単位の研修も含めると、引っ越しをした回数は20回を超える。自分の親も転勤族だったので、大学生までで、6回。同じ家で生活をしたのも6年以上はない。なので、家にはあまり執着はない。憧れはあるけど、いろいろな土地で生活をすることに慣れているため、自分の荷物も少ない。増えていくのは本ばかり...

 根無し草とはまさに、じぶんのこと。北は北海道〜南は沖縄までいろいろなところで仕事をして、生活をして、いろいろな文化にも触れた。友達も増えたが、何よりも家族のつながりが強くなったように思う。環境が変わっても、変わらないのは家族。毎日、同じことで起こられる長男。ポテト+肉大好き長女。いつも歌ってる次女。上の兄妹がうるさくても、気にしない次男。そして、いろいろなところに移っても、家族で動くことを理解してくれた妻。そんな家族に感謝です。

父親は勤務医、母親は看護師。という典型的な医療系家族の長男。というと、お坊ちゃまかー。と思われてしまいますが、少し説明を加えさせて下さい。

父親は山奥の貧乏な家庭の9人兄妹の下から2番目。母親は、一般家庭の長女。そんな二人は、高校時代の同級生。田舎者で貧乏だった父親は、幼稚園に行かせてもらえなかった代わりに、姉の通う中学校に園児のときに遊びに行ってたり、ご近所の家にテレビを見せにもらいに行ってたりしていました。(当時テレビがなかったようで。)母の言葉を借りれば、父親の育ったところは、一世代上の時代だったようで。ご縁があって、二人は結婚。父親がまだ医学生のときに学生結婚。父親としては、「まだ、学生だから自分の親に話をすれば『まだ早い。ちゃんと卒業してから、結婚しなさい。』といわれる」と思って、実家に連れて行ったら、祖父が「いい子じゃないか。結婚しなさい」と、予想に反する返答。

 晴れて、医師となって2年目に私が誕生することになります。当時の医師なりたてというのは、給与がほとんどなかったらしく、世の中でいうバイト(非常勤勤務)をして生計を立てていたようです。父曰く、「僕なんかは、自分の給与を自分のために使うってこと経験したことないからうらやましいよ。」だそうです。

 そんな父親は、昔ながらの医局人事で勤務をしていました。私が小学校2年生の夏、転勤が決まります。田舎への転勤。当時の自分は、友達と離れることがとてもさみしく、転校するということも不安がたくさんでした。今でも覚えているのは、電車で1時間強離れている場所へ、母親と下見に行ったときのこと。駅に降りてまず、「何もなーい!」「空がひろーい!」「駅前の大きい建物って、病院しかない!」でした。当時は、駅前に木材置き場があって、その脇を通りながら、病院官舎へと歩いていきました。それまで、マンションだったのが、一戸建ての官舎。子供としては、「すごい!」「広い!」「庭もある!」でした。でも、それが下見だということは知らずついて行ってたので、その後転校するということを聞かされて、複雑な気持ちになったのも覚えています。

自己紹介②に続く

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