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今村翔吾「海を破る者」 #016

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 大友、少弐の視線が宙で交わる。どちらから切り出すかと探り合っている様子に見える。ここまで待たせておきながら、かのような打ち合わせもしていないことで、この両者の関係がおよそ判るというものである。少弐が続けて口を開こうとしたその瞬間、先んじて大友が話し始めた。
「河野殿、陣についてはお聞きになったか?」
「はい。郎党たちがすでに陣を造り始めてござる」
「その件だが、少々手違いもあった。改めて陣の場所を定めてもよいか」
 大友は白い眉を八の字に下げつつ言った。
 早速である。河野家の陣に得体の知れぬ者が混じっている、他の御家人の近くに置いては悶着を起こしかねない、あるいは気味悪がって士気に影響がある。そんなふうに考えたに違いない。
「先ほどの騒ぎの件ですな」
 六郎が端的に言った。
 そう来るとは思っていなかったようで、大友はいささか面食らったように身をけ反らせる。
「そうではない。あくまでこちらの……」
「そのおっしゃいようでは、騒ぎそのものは知っておられると」
「いや、違う。まあ、その話もせねばならぬとは思っていた。だがこれとそれは——」
「大友殿、よろしいか」
 少弐経資は早くもしどろもどろになりつつある大友を遮ると、こちらに向き直って続けた。
「騒ぎの一件で間違いない」
「お認めになるのですね」
「ああ、認めよう。反対に訊きたい。あれはなるつもりだ」
 少弐はずいと肩を入れるように躰を前に乗り出した。
「と、申しますと?」
「女のことよ」
「長陣になる故、女衆を同行するのは認められているはずですが」
 六郎が言うと、大友はあからさまに嫌な顔になり、少弐は細い溜息をこぼす。
 もっとも六郎としても、二人が問題にしているのはそのことではないと解っている。
「奇妙な風体の女を連れてきていると聞いている。あれは何ぞ」
 少弐は威厳の籠もった低い声で訊いた。
「確かに髪や目の色が異なります。しかし奇妙とは思いませぬ」
 六郎が答えると、少弐は青筋を立てた。今度は落ち着きを取り戻した大友がおうような調子で話し始めた。
「河野殿がどう思われるかは、この際どうでもよい。皆が如何に思うかが問題なのだ」
「世には様々な相貌の者がおりましょう。瞼が一重の者、二重の者。りょうの高き者、低き者。肌の浅黒い者、抜けるように白い者。拙者から見れば、ご両人の相貌も大きく異なって見えますが」
「あまりに違い過ぎる」
 と、少弐が言った。その声には苛立ちがにじんでいる。大友が話を引き取る。
「確かに河野殿の言にも一理はある。だが限度というものがあるでしょう」
「限度とは何処で」
「それは……」
「それも各人の心にるもの。我々はあの者を奇妙とは思わぬだけです」
 六郎は淡々と答える。少弐は気を鎮めるように息を整えて話し始めた。
「河野家を快く思わぬ者もいるのはご存じか?」
「少弐殿」
 大友の制止をよそに、少弐は意に介さず続ける。
「よいではないか。河野殿は遠慮がお好きではないようだ」
「左様」
如何いかが?」
「存じ上げております」
 かつて京方として、幕府に盾突いて没落した家として、河野家を蔑む御家人がいるのは紛れもない事実である。
「拙者は河野殿が参陣されることを楽しみにしていた」
「ありがとうございます」
「当家では貴殿の家を敬う者が多いのだ」
 河野家は平家の影響力の強い西域、伊予を地盤にしながら、かなり早い段階から源氏に味方して功を立てた。平家衰退とともに、途中からくらえした少弐家としては、その先見の明や、周囲の平家を相手取って孤軍奮闘した豪胆さに尊敬の念を抱いていた。
 故に今の没落した姿を痛ましく思い、たびはその武勇を示すのを期待していたともいう。
「しかし、そのようなたくを並べるとは、正直なところ残念極まりない」
「少弐殿は御心得違いをしておられる」
「何……」
「まずあの者は、遥か西域から流れてきたのです。令那とう名もあります」
 令那の生まれた国のこと。今の日ノ本と同じく蒙古の侵略を受け、そして滅亡の憂き目にあったこと。そこから逃れ、奴隷商人に売られ、日ノ本まで流れ着いたこと。そして三年の時を共に過ごし、今では河野家の女中として皆に受け入れられていることなどを、六郎は簡潔に話した。
「話は分かった」
 少弐が応じたので、大友は焦りの色を見せた。だが少弐は片手で制し、さらに続けた。
「だが御家人の中には、早くも物のの類、天狗の娘などと申す者も出ている」
「では、違うとお伝え下され」
 六郎はそこで言葉を切り、左右に並んだ御家人衆を見渡しながら言葉を継いだ。
「その目が節穴でなければ、お分かり頂けるはず」
「何を!」
「聞き捨てならん」
「何たる無礼」
 一斉に御家人たちが騒ぎ始めた。通時は目を細めて泰然としているが、新兵衛は顔を真っ赤にしてにらみ返している。
「黙らっしゃい!」
 少弐が一喝し、
「皆々落ち着きなされよ。我らが得宗家の顔に泥を塗ってはなりませぬぞ」
 と、大友がなだめる。
「河野殿、悪いことは言わぬ。あの女を国元に御戻しになるがよい」
 少弐は声の高さを落とし、先程よりも穏やかに話しかけた。
「お心遣いありがとうございます。しかしこれは河野家中のことにて、こちらで決めさせて頂きとうござる」
「負けず劣らずの頑固者よ」
 大友が顔を背けてぼそりと吐き捨てた。
 その表現だと、誰かと比べていることになる。これまでにもこのようなことがあったのかと察することは出来るが、それが誰かは六郎に解るはずもない。
 少弐は再び大きな溜息を零して話し始めた。
「遅くなったが、この地での決まりを申しておきたい」
 ここに集まった御家人は、東方の大友、西方の少弐のいずれかの麾下に入ることになっているという。元は途方もない大軍で、陸では凄まじい機動力を有しているであろうこと、また一度目の戦では御家人たちの功名争いで指揮がおおいに乱れたことなど、様々な理由から集団でまとまって戦うほうがよいという判断がされたのだ。
 同列の奉行が二人ということで、軍も大きく二つに分けることになった。どちらに属するのかを決めるのは、奉行たちに一任されている。通常は話し合いによるが、欲しい御家人が重なって両者譲らぬ時はくじで決めることもある。また御家人の希望を聞くこともあれば、こちらで勝手に決めることもあるという。
 ——なるほど。
 別に協力しない訳でもないが、肝胆相照らす仲という訳でもない、二人の奉行の微妙な関係に、説明を聞いて六郎は得心した。
「河野家は我が西方の陣に入ることになっていた」
 有力な御家人は両奉行の取り合いとなる。戦いで彼らが功を立てれば、それが自らの手柄にも繫がることになるのだから当然だろう。
 貴重な水軍を率いて来るとあって、河野家の場合も両奉行の取り合いとなった。だが少弐が、少し前に大友家が別の有力な御家人をに加えたことを挙げ、河野家は是非ともこちらにと主張したという経緯らしい。
「その口振りですと、変わったということですな」
「西方に属す御家人は河野家だけではない。反発が考えられる以上、残念だが仕方がないことだ」
 大友も重ねるように続けた。
「もとは西方が引き受けると決まった話である以上、東方としても受け入れかねる」
「では、我らに伊予へ帰れと申されるか」
「いや、そうは申していない。河野家の出陣は鎌倉より直々に命じられたもの。我らがどうこう言えることではない」
「なるほど。そういうことですか」
 幕府の命を受けて出陣した河野家を帰す権限を、二人の奉行は有していない。またこのことを報告し、鎌倉の処置を仰ごうとも思っていないようである。
 ただ両奉行ともに麾下に加えかねるのは変わらない。つまり河野家単独で動けと暗に伝えているのだ。

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