今村翔吾「海を破る者」 #017
「端的に話そう。少弐資能殿の陣に来てくれぬか」
「断る」
季長は間髪を容れずに言った。
「何故だ?」
「少弐の先代の陣は後詰めだろう。手柄を立てられぬではないか」
予想通りの答えが返って来たので、六郎は思わず息を漏らした。
「貴殿が来てくれれば後詰めではなくなる」
六郎は、五百騎集めれば、資能が東西の奉行に掛け合い、一軍として動けるようにすると請け合ってくれたことを伝えた。だが季長は首をぶんぶんと横に振る。
「仮にそうだとしても、人の指図に従っていては功を逃すかもしれぬ。それよりはここで真っ先に元軍を見つけ、先駆けをしたほうが確かじゃ」
「そうかもしれぬな」
六郎が素直に認めると、季長は満足げに頷く。一挙手一投足が大袈裟な男である。
「ならば去ね」
「ふふ……」
「何が可笑しい」
「いやな。竹崎殿は手柄の亡者と聞いたが間違いだったとな」
「間違いない。故に——」
「先駆けの功程度で満足なさるとはな」
「何……」
季長は眉間に皺を寄せ、六郎の顔をまじまじと覗き込んだ。
「先駆けは当然狙うがよろしい。が、それ以上の大功があろう?」
「もちろんだ」
身震いをする季長に向け、六郎は不敵な笑みを浮かべた。
「そう。将を討つことよ」
「ふふふ。言われずともそのつもりよ」
季長は得意げに言った。
「どうやって討つおつもりじゃ」
「それは馬で敵の群れに分け入り、矢で射落とすか、太刀で斬り伏せるほかなかろう」
身振り手振りを交えながら季長は語った。
「なるほどな。しかし此度は先の戦と異なり、あの石築地がある。元軍もそう容易くは陸に上がれまい。海の上での戦になる見込みは十分にあるぞ?」
「あ……」
考えもしなかったのだろう。季長は啞然とし、竹崎家の郎党たちも一斉に騒めいた。
「困ったぞ。船が無い」
季長は顎に手を添えて唸り声を上げた。季長が船を用意出来ていないのは事前に聞いている。どうする、どうすると、郎党たちとの話し合いが始まった。
「これは、何と申しますか……」
新兵衛が頰を引き攣らせつつ零した。繁も呆れたように苦笑している。
「竹崎殿」
「何だ。今、船をいかに手に入れるかと——」
「当家には船がある。それも飛びっきりの船が」
六郎は遠く、博多湾に停泊する道達丸を指差した。
「おお、大きな船が来たとは思っていたが、あれは河野の船か」
季長は手庇をしながら感嘆の声を上げた。
「道達丸と謂う。元軍の大将の船にまで近付き、乗り込むことも出来る」
「むむ……」
季長は富士額の中央に深い皺を作った。
「少弐様は軍は俺に任せると仰せだ。先駆けは竹崎殿がすれば良い。どうだ?」
六郎は眉を上げつつ訊いた。
「よし、乗った」
季長は呆気ないほどあっさりと承諾した。やはりこの男は噂に違わず、手柄を立てられるか否か、それがいかに大きいかだけに判断の基準を置いているらしい。
早くも季長が命を出し、ここを退き払う支度が進められる中、六郎は供の二人を紹介した。
「当家の郎党の二神新兵衛」
「功を立てられそうな良い名だ」
季長は白い歯を覗かせる。
「そしてこの者は繁と謂う。高麗の出だが、縁あって当家で面倒を見ている」
「繁だな。頼んだぞ」
季長が何の頓着も見せないので、繁のほうが反応を返せずにいる。
「驚かなかったのか?」
「些かな。まさか高麗の出の郎党がいるとは思わなんだ」
と言いつつ、季長は急げ急げと郎党たちを急き立てた。
「訳を訊かないのか……?」
「まあ、色々とあろう。大方、元に故郷を追われたというところか」
確かに奇人ではある。だが、そこまで当てられるのだから、決して阿呆という訳ではないらしい。六郎は繁と顔を見合わせた後、波の音の間を縫うように言った。
「もう一つ、予め話しておきたいことがある。此度、我ら河野家が両奉行のもとを離れた訳だ」
六郎は順を追って、令那について詳らかに語った。
如何なる反応をするか。六郎は静かに見守った。繁も固唾を吞んで季長の言葉を待つ。
「ふむ。なるほどな」
季長の言葉は、拍子抜けするものであった。
「驚かぬのか」
「いや、驚くに決まっておろう。黄金の髪、碧い目など俄かには信じられぬ。しかし世は広い。まあ、そのような者もいるかもしれぬな……おい、兜を忘れているぞ!」
すぐさま岩間に置き忘れられた兜のほうに興味が移っているのに、六郎のほうが啞然とする番であった。己も大概変わっていると言われるが、季長はその比ではないだろう。
「手柄しか頭にないのだな」
六郎が苦笑すると、季長は弾むように答えた。
「ああ、そうだ」
「元を憎む何かがあるのか?」
「いいや、全く。元を憎いなどと思うたことはない。むしろ己の土地を奪った一族の連中のほうが余程憎いわ」
季長は思い出しただけで腹が立つらしく、けっと海に向けて唾を吐いた。
「武士として生まれたからには、名を馳せ、少しでも多くの土地を得たいと思うのは当然であろう。お主は違うのか?」
季長は怪訝そうに尋ねた。
「うむ。どうも俺はその欲が薄い。いや……皆目ないといってもよかろう」
「変わったやつだ」
季長は心底驚いたように仰け反った。まさかこの男にそう言われるとは思わなかったが、言われてみれば、功名への欲求が強すぎる季長よりも、とんと無い己のほうが、確かに武将としては奇異に映るのかもしれなかった。
「しかし良いことを聞いた」
季長は悪戯っぽい笑みを見せた。
「何のことだ?」
「お主は手柄に拘らないのだろう? ならば俺が独り占め出来る」
「そういうことか」
純粋なまでの執着に感心すら覚える。
「河野殿、よろしく頼む」
頰に掛かった飛沫を拭いながら、季長はにかりと笑った。その眩いまでの無邪気な笑みを、すでに好ましく思い始め、六郎もまた頰を緩めた。
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