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キッシュが冷たくなる前に【第61話】日常食と嗜好食

 「ベーコンはどのくらいの厚さ?」
 「1×4cmくらいで、量は一人前で約60gでお願いします」
 急いで切りそろえて、目分量で60gはこんなもんだろう。ちょっと多いかもしれないが気にしない。フライパンに軽くオリーブオイルを入れベーコンを炒めながら生クリームを計量カップでだいたい100㎖程量る。しばらくすると、香ばしい香りと共にベーコンから油が染み出してきて、時折バチッという音と共にフライパンが油が弾く。隣でははるかさんが刻んだニンニクと鷹の爪をオリーブオイルを注いだフライパンにに入れて、コンロに火をつけた。コンロを二人で使っているので時折肩と肩がぶつかりそうな距離だ。 コンロの横にある業務用のスパゲティ窯からパスタのゆで汁を少々いただき、生クリームと一緒にフライパンに入れて煮始めると、あとはパスタが茹であがるまでちょっと時間が出来た。

 「しかし、メニューがイタリアンばっかりだね?」
 ちょっと時間の余裕が出来て、素朴に思うことをはるかさんにぶつけてみた。
 「パスタとかピザはもはや日本では日常食じゃないですよね。スーパーで売っているし、説明すらしなくても誰でもわかる。フランス物は日本では嗜好食ばっかりで、日常に食卓で食べてる物がないじゃないですか?」
 「日常食で思いつくところでバゲットかクロワッサンぐらいだよね。それだって非日常的で嗜好性の高い食べ物に片足踏み込んでそうだけど」

「オープン当初ミカさんはフランスの日常食で勝負しようと思ったらしく、クスクスを試みたことがあったらしいんですが、まったく出なくて撃沈だったみたいですよ。クスクスって何?この赤いペーストは何?って聞かれて、これは~と言って説明が始まるじゃないですか?」
 はるかさんは話をしながらパスタのゆで汁をフライパンに入れると、素早く振ってフライパンの中のオリーブオイルとゆで汁を乳化させた。水と油は一体となってとろみがついてフライパンの中でゆっくり動いている。

 「クスクスって粒のパスタで、北アフリカからの移民の人達が食べていて、フランスでは学校給食にもでるくらいポピュラーで、この赤い唐辛子とハーブのペーストをつけて食べるんですよ。こんな感じで説明すればいいのかな?」

 「その説明になんの不備もないんですが、なんだか華やかさに欠けますね。クスクスはズッキーニやパブリカが入っていてカラフルだけど、カレーライスっぽいのが高級感に欠けるから受けないんじゃないですか?インスタ映えしないのかな?」
 はるかさんの話を聞きながら僕はパスタの皿を戸棚から出して作業台に並べている。キッチンタイマーを見ると残り時間は30秒で、もうすぐパスタが茹であがる。

 「理解させて食べさせるって難しいよね。知らない物ってなかなか手が出ないのが普通だよ。そしたらパスタとかピザってみんなわかってるから安牌にはしるしかないか」
 僕がそう言うと、キッチンタイマーのデジタル音がけたたましくキッチンに響いた。
 「翔太さん仕事仕事、無駄口は後にしましょう。」
 はるかさんはパスタてぼをお湯から引き揚げて、スナップを効かせて湯切りをすると、茹で上がったばかりのパスタをニンニクの香りのするフライパンに入れてかき混ぜ始めた。僕もパスタをフライパンに入れてカルボナーラの仕上げに取り掛かった。
 

「翔太君、パスタが立体的になってていいじゃない。赤いベーコンに黒コショウのアクセントが美味しそう。そういえばパスタなんて最近食べてないわねぇ、こんなの見たら久しぶりに食べたくなっちゃったじゃないの。あとで私にも作ってよね」
 ミカさんが厨房に入ってくるなり僕が作ったパスタを見て驚いて言った。くぼみのあるパスタ皿じゃなく平皿を使って、トングでパスタを巻くように盛り付けてみたのは、自宅にはパスタ皿がなく、いつも平皿でこんな風に盛り付ける癖がついているからで、まさかこんなことで褒められとは思わなかった。いつものやり方と違ってちょっと新鮮だったのだろう。
 「ミカさん、物によっては平皿で立体的に仕上げるのもアリですよねぇ、女の人はこっちのほうが喜ぶかも」
 「そうね、ちょっと色々試行錯誤してみようか?」
 ミカさんの言葉にはるかさんは頷いている。
 「はるかちゃん、そこのピザも一緒に持っていくから手伝って。翔太君この洗い物をお願いできるかしら?」
 ミカさんの声に僕は頷くと、二人はテキパキと皿を手に取って厨房から客席に出て行った。さっきまで皿が埋まっていた作業台は空になった。今回はほんの一瞬だけ忙しい状況になっただけど、僕は下げられた皿とワイングラスを洗いながら久しぶりのリアルな現場の余韻に浸っていた。











 
 
     
 

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