見出し画像

伝説の毎日王冠を見られてよかった。〜競馬歴_'98

競馬歴、今日は1998年について書いてみたい。

前回は1997年について書きました(↓)

97年は記憶に頼ってすらすら書けたのだが、
98年は記憶に陰りが・・。
だいぶネット検索で記憶を補填・・。


まさかG1勝利がこれだけに終わるとは・・サイレンススズカ。


サイレンススズカとはまず何より、馬券の相性がよかった。

ぶっちぎりの金鯱賞。サイレンススズカがゴール板を過ぎてから1.8秒後・・。

「・・えーと、、2着は、、よーしよし、ミッドナイトベット!」

・・馬連的中。

・・あの1.8秒の間(ま)。なかなか味わうことのできない独特のものだった。


そして宝塚記念。サイレンススズカは余裕の逃げ切りとはいかなかったけど、2着ステイゴールドとの馬連をとらせてもらった。

今振り返ると、この辺りまで、サイレンススズカの出るレースは他の数多くのレースと同じように「ギャンブル」として見ていた。

秋になりサイレンススズカが復帰し、ひとつ年下のグラスワンダーエルコンドルパサーが出てきた毎日王冠はもう「スポーツ観戦」の気分だった。

youtubeに大川慶次郎氏がスタート前に展開予想をしている動画がアップされており、それを見るとまさにスポーツ解説のようだった。

大川氏曰く、「G1馬以外はサイレンスを追いかけないでしょう。サイレンスの10馬身うしろぐらいにグラスワンダー。その後にエルコンドル。この三頭が最初から終わりまでこの格好で。さあ、サイレンスの逃げをどこまで追い詰めるのか・・。タイムがね・・。」と、実に楽しそう。

この毎日王冠は本当に素晴らしいレースだった。


つづく秋の天皇賞は家でテレビ観戦だった。WINSで馬券は買ったものの、やはり気分はスポーツ観戦。どんな勝ち方をするのかな、と思っていた。

自分の部屋の小さなテレビで中継を見て、レース後、リビングに行くと、父親もリビングで競馬中継を見ていたようで、サイレンススズカの競争中止について短い会話をした。「たぶん、だめかもしれないね。」と話したのを覚えている。

血を残せなかったのが本当に惜しまれる一頭だった。


クラシック路線は武豊中心

牡馬路線は武豊のスペシャルウィークが中心。そして、結果的には皐月賞と菊花賞の二冠を取ったセイウンスカイ、あとはキングヘイロー

自分の競馬歴の中では最初に「クラシック三強」という構図が見られた一年だった。

思い出は生観戦したダービー

ただ、馬券的にはスペシャルとセイウンスカイの馬連にけっこう分不相応な金額を張ってしまい、苦い思い出。当日は曇り空で、レース後、自分の気分もちょうどあんな感じ。どんよりと家路に着いた。

牝馬路線は結果的には武豊のファレノプシスが二冠を取ったが、そこまで頭抜けた存在ではなかった。(オークスは何が勝ったのかそらでは思い出せず、ネットで調べた。的場騎手のエリモエクセルだった。エリモの馬はこの頃は毎年一頭はいい馬がいた気がする。)

クラシック路線では、前々年のロイヤルタッチのように肩入れをする馬はできなかった。あるいは、肩入れすると冷静な馬券が買えなくなりあまりいいことがない、と自分なりに学習していたのかもしれない。


春は4歳、秋は3歳。

わりとわかりやすい形で”世代交代”が進んだ年と言えたかもしれない。

中・長距離では、春は天皇賞を4歳のメジロブライト、宝塚記念も4歳のサイレンススズカ。充実一途、という感じで勝ち切った。

秋になると、例外的に秋の天皇賞を7歳のオフサイドトラップが勝ったあとは、ジャパンカップを3歳のエルコンドルパサーが、有馬記念も3歳のグラスワンダーが勝ち、世代交代を印象付けた。

短距離路線では4歳のタイキシャトルが絶対的な存在で、春の安田記念、夏はヨーロッパに遠征したジャック・ル・マロワ賞、秋のマイルチャンピオンシップとG1を三連勝。

暮れのスプリンターズステークスは”ただもらい”だろうと思って見ていたら、ひとつ年下のマイネルラヴに足元をすくわれた。(エルコンドルやグラスワンダーが実力で勝利をもぎ取った感じと比べると、ジャイアントキリング感が強かった。)


あと、よく競馬場で見ていたグルメフロンティアがダートG1フェブラリーステークスを勝ったのもこの年だった。

今、彼の競争成績を見ると、1996年から1997年にかけて、府中と中山の条件戦に15回も出走している。(その間の成績は900万下で2勝・1500万下で2勝の計4勝、2着が6回、3着が2回ととても堅実。)

ちょうど足繁く競馬場に通っていた時期で、馴染みの深い馬だった。

ただ、この間の条件戦はいずれも芝のレース。
オープン馬となってからも基本的には芝のレースを使われており、まさかダートであそこまで強いとは・・と当時思った。


1998年は意外と記憶が薄かった。。

1998年のことを意外と覚えていないことに、この記事を書きながら気づいた。もう少しすらすら書けると思い書き出して見たものの、記憶がかなり頼りなく、調べながら思い出しながら書いたら時間が掛かってしまった。

おそらく、競馬にハマって3〜4年目ぐらいでマンネリ気味になり、また馬券でもこれといった大ヒットがなく、さらにダメ押しのようなサイレンススズカの事故、、このあたりが重なってしまったせいかなと思っている。

客観的には、1999年に向けて、「クラシック三強」のその後も楽しみだし、グラスワンダーとエルコンドルパサーの活躍にも期待が高まる、そんな一年だったと思うが、自分の方で勝手に熱が冷めていってしまっていた。

長く競馬をやっていると、こういう時期もある。

この記事が参加している募集

#スポーツ観戦記

13,513件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?