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知性とゆるさの狭間で〜柳瀬尚紀「猫と馬の居る書斎」を読んで

柳瀬尚紀さん

英文学者、翻訳家で、競馬好き。そして猫好き。
競馬場で配られるレーシングプログラムのコンテンツ『馬名プロファイル』を担当していた方です(2016年7月に逝去されていて、最後のプロファイルは前月6月の宝塚記念だったそう。)
また、新馬戦の呼称「メイクデビュー」の考案者でもあるそうです。
この「猫と馬の居る書斎」は、柳瀬さんの競馬エッセイをまとめたもの。

猫馬書斎
2003年発行

馬名プロファイル

競馬場で入場券を手渡し、いざスタンドへと向かうというところで無料で配布されるレーシングプログラム、略してレープロ。
G1開催時のレープロに掲載されていたのが「馬名プロファイル」で、柳瀬さんが独自の解釈で出走全馬をプロファイル(紹介)しています。

馬名プロファイル

今手元にあるレープロからもう少し抜粋すると・・

■日本ダービー(2007年)・優勝馬ウオッカ
[ウオッカ]ウオッカVodkaは特にロシア産、ポーランド産が有名。語源はロシア語のワダvoda(水)。ポーランドは波蘭と表記された。レースは水物であるからにして、波瀾のカクテルを味わうには・・・。(結果は3番人気で優勝。)
[ドリームジャーニー]ドリームDreamは夢。ジャーニーJourneyは旅。古代英語でDréamは歓喜、ざわめきの意味だった。戦の旅を終えた後、歓喜のざわめきの中、夢を叶えたファンは旨(=馬)酒を。(結果は8番人気5着。)
[フサイチホウオー]フサイチは冠名。ホウオーは鳳凰。鳳凰は中国の伝説上の霊鳥かつ瑞鳥。霊鳥は霊長(万物の頭)に通じ、馬単の頭はこれ。瑞鳥は瑞兆に通じ、当然、瑞兆馬券はこの馬がからむ。(結果は1番人気7着。)

■安田記念(2015年)・優勝馬モーリス
[モーリス]モーリスMauriceは「人名より」とあるが特定されていない。同綴りの著名人物には怪盗ルパンの生みの親M.ルブラン、バレエ振付師M.ベジャールなどなど。好きなMauriceを思い浮かべつつ狙う。(結果は1番人気で優勝。)
[フィエロ]イタリア語フィエロFieroは誇り高い、自尊心のある。たんに慢心しているのではない。un fiero tirannoなら暴君、amore fieroなら熱愛。残酷な、荒々しい、激しいの意もあり要注意。(結果は2番人気で4着。)
[ミッキーアイル]ミッキーは冠名。アイルIsle(通常、固有名詞に用いる「島」)は母スターアイルから。Mikki Isle=Like I Skim(私がすいすい飛ぶように)。この距離5連勝の経歴どおり、すいすい飛ばして勝つ。(結果は4番人気で15着。)

■宝塚記念(2015年)・優勝馬ラブリーデイ
[ラブリーデイ]ラブリーデイLovely Dayは素晴しく好天の日。口語でよく使われ、口にするだけで誰しも快くなる英語だろう。そして競馬開催日は競馬ファンにとって天候にかかわらずラブリーデイだ。(結果は6番人気で優勝。)
[ゴールドシップ]ゴールドGoldは黄金。父ステイゴールドから。シップShipは船。引退レースの香港で国際GⅠを制した父の輝きを運ぶ黄金船。25戦13勝、GⅠ6勝の実績搭載の黄金船がここも燦然と勝つ。(結果は1番人気で大出遅れ15着。)
[ヌーヴォレコルト]イタリア語ヌオーヴォレコルドNuovo Recordは新記録。伊太利語で命名されているだけに、「伊(これ)」ぞ「太」い「利」をもたらす気配がうかがえる。ひょっとすると記録的な配当すら・・・。(結果は3番人気で5着。)


柳瀬さんは馬券を買っていたのだろうか?という疑問

このプロファイルは馬券予想ではなく、馬名の分析を通じた出走馬の紹介だと思います。柳瀬さんの買い目もわからない。というか、自分は「この柳瀬って人は馬券は買っているのかな?」と思いながら読んでいました。というのも、まずはその学者という肩書き。
学者としての知見を活かし、純粋に馬名を解釈することで馬名に隠された意味合いを探求しているのかな?と思えた。でも、それにしては明らかに競馬を楽しんでいないと書けない文章だよな、とも思い・・
ただ、もうひとつ「この人、馬券買っているのかな?」と思った理由がありました。それは、このプロファイルを読んでいると、かなり多くの出走馬に勝つチャンスがありそうに見えるのでした。
フルゲート18頭いたとしたら、12〜13頭は馬券圏内ぽく読め、それ以外の馬も「消し」というわけではなく、微妙な表現。。(上記宝塚記念のラブリーデイの例など。「いや、だから何なの?買いなの?」とツッコミを入れたくなる。)

レープロめくりがいつの間にか基本動作に?

・・と、結構な長い間、「この学者さんはいったい・・?」という疑問を持ちつつ、かといって疑問を解消しようとも思わず過ごしてきました。
 ✔︎競馬場に着いてレープロを取る。
 ✔︎馬名プロファイルのページをなんとはなしに覗く。
 ✔︎自分が気になっている馬や人気馬のプロファイリングを見る。
 ✔︎そして、「うーん、買いなのかどうなのかはよくわからん・・」という感想とともに他のページをめくるか、もしくは早々に鞄にしまってしまう。
 ✔︎そしてまた明くる週、同じような動作を繰り返す。

このコンテンツがレープロに掲載されるGⅠ開催日に限ってですが、競馬場についてからの基本動作のようなものになっていました。

このエッセイで柳瀬さんの買い方がわかった。

この本の存在を知ったのはごく最近。
あ、あのレープロの人の競馬エッセイか!と思い、すぐに入手しました。(2003年発行なので、古本で。)
「この人は馬券を買っているのだろうか?」というかつての問いの答えがありました。
柳瀬さんはばっちり馬券ファンでした。それも、G1だけではなく、しっかり平場から手を出しているほどの馬券好き、ケイバズキ。
そしてその買い方は独特。
書斎で愛猫と語り合いながら、モバイルメイトという馬券購入専用端末を駆使して『猫万馬』なるものを狙うというもの。『猫万馬』は柳瀬さんの造語で、この本に定義を載せている。

ねこまんま【猫万馬】愛猫家が競馬で万馬券を当てること。また、競馬で万馬券を当てた愛猫家の贅沢三昧。<語源>「まんま」は飯。「猫まんま」は猫飯。猫まんまは季節によって異なる。秋なら、秋刀魚を主体とした猫の食事を猫まんまといい、競馬で万馬券を当てた愛猫家が高価な松茸料理をふんだんに食べる贅沢三昧を猫万馬という。

そして、たびたび、猫にあやかった買い方の実践例が出てくる。例えば、

東京8レースにミュウミュウというのがいる。Mew Mewだろうか。それならば猫のニャーニャーだから買わねばなるまい。人気はなさそうだ。ひょっとして猫万馬券か。(結果は惨敗だったようで、「なんニャー、13着とは。」)

新潟10レース疾風特別。
いい名称だ。まさに直線1000メートルにふさわしい。
⑦は1番人気エイシンコジーン。
⑬はニシノシンデレラ。専門紙には◯△▲などの印が付いている。鞍上は江田騎手だし、どちらもマル外馬。狙って当然、いや、来て当然。
⑦-⑬1点買い。いや、待て待て。レディキャッツアイもいる。猫の縁で、これも買わねばなるまい。ロッシーニの歌劇『シンデレラ』の、あの軽快に馬車の突っ走る旋律も耳の奥で鳴り出す。来たら、それこそ猫万馬。
(結果はエイシンコジーンは見事に1着も、ニシノシンデレラとレディキャッツアイは着外。)

馬券の買い方は百人百様

もちろん、如何に猫好きの柳瀬さんでも、全てのレースで猫に掛けた買い方はしておらず。おお、さすが英文学者というアナグラム(言葉の入れ替え)を駆使した買い方も。

■2000年エリザベス女王杯
◯エイダイクイン エイダイは冠名。クインQueenは女王。Eidai Queenを綴り替えるとEquine(馬の)Idea(着想)。クイーンS2着の実績から、この女王杯でも馬なりの構想=好走を見せるはず。(結果は10番人気3着に好走!)

このレースでエイダイクインは人気薄で3着とまさに好走を見せるも、柳瀬さんは馬連流しでワイドを抑えておらず。愛猫とメザシを分かち合ったそう。旨いエピソード(笑)。

■2001年NHKマイルカップ
◯クロフネ Kurofuneは黒船。芦毛だが南蛮渡来の脅威の名を持つマル外馬。Kurofuneの綴りの馬体をよく見るとFourとNuke(核兵器)から成る。四肢に天性の核エネルギーを保有するのもむべなるかな。
◯エアヴァルジャン エアは冠名。Valjeanは『レ・ミゼラブル』の主人公名。Valjeanは「Voila Jean(ほら、あれがジャンだ)の縮まったもの」と作者は記す。先頭を切るのは・・・Voila Jean!

やはり狙いはアナグラムを発見したクロフネからか、と柳瀬さんは記す。そして相手に選んだ1頭、エアヴァルジャン。この馬名プロファイルを書いたら、「そら来たジャン!」という具合に、エアヴァルジャンが連に絡みそうな気がしてきた、だって。

知性とゆるさが同居した楽しいエッセイ

知性を端々に感じるエッセイながら、絶妙なゆるさも楽しいエッセイです。
読みながら、競馬場でレープロに目を落としながらひとりつっこみを入れていたのを思い出しました。
この記事を書いていて気になったのが、そういえば、ネコパンチって馬いたよな、、この馬、2012年の日経賞で単勝万馬券の大穴を開けたあと、キャリアで唯一のGⅠ出走として宝塚記念に出走していますが、残念ながらそのレーシングプログラムは持っておらず。
柳瀬さんがどんなプロファイルを書いていたのか、気になるところです。


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