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競馬ジャーナリストが見た半世紀の記録〜山崎正行「競馬を動かした 人脈の森」を読んだ。

トップ画像は、後藤浩輝騎手と、著者の山崎正行氏。
この写真以外にも、数々のホースマンと著者が一緒に収まった写真が載っている、こちらの本を読み終えました。

2004年出版

著者の山崎氏は、昭和30年に報知新聞社に入社し、のちに中央競馬担当記者となり、昭和48年退社後はフリーの競馬評論家に転身。
競馬取材歴は本の出版時点で50年に及び、本の帯には岡部幸雄元騎手が「”競馬が動いた”瞬間にほとんど立ち会ってきたヤマさんでないと、書けない話ばかりだ。」とメッセージを寄せている。

山崎氏も、まえがきで以下のように書いている。

 自分で調教の現場にも出かけないで、単に数字上のデータや他の評論家たちの評判だけを頼りにしていて、ファンに強くアピールできる予想ができるものなのだろうか? いや決して出来ない・・・と考えて、古くは府中や中山・白井、最近は美浦の、特別な場合は関西の栗東にあるトレーニングセンターにまで出かけ現場取材を絶対に欠かせないで、ここまで来た。
 もちろん、トレセンでの「生きた話」を、競馬ファンの予想に少しでも役立ててもらおう、という熱い思いからである。
 年齢を重ねたということもあるが、競馬場とトレセンを出入りした「数」だけは、今では自分に太刀打ちできる人など誰もいない、と自負しているほどだ。

6pより引用。


そして、本を書いた意図としては、

「現在の日本の競馬の隆盛が築かれてきた長い日々の間には、こういうこともあったんだよ」という意味で、現在競馬に親しんでいるファンたち、特にこれからの競馬を支えていってほしい若いファンたちに、より読んでもらいたいものだ、という気持ちを持って書いたつもりだ。

8pより引用。

このように書いている。

この意図の通り、著者はなるべくそれまで紹介されていないようなエピソードを書くように努めている。
例えば、『藤澤和雄「名調教師への道」』という章で書かれている、つい先日引退した、名伯楽・藤沢和雄氏の若かりし頃のエピソードのいくつかは、確かに私も知らないものがあった。

藤澤氏が、日本で調教師となる前、イギリスの牧場での修行から帰国後、旧中山の菊池一雄厩舎で調教助手を務めていた時期、日本とイギリスの調教に関するギャップに悩み、カナダへの移住を考えるほど悩んでいたこと、昭和56年の皐月賞とダービーを制し二冠馬となったカツトップエースについて、所属厩舎の長たる菊池調教師が病気のため入院中で、藤澤氏が全ての調教指示を行っていたーーつまり、藤澤氏は駆け出しの時期にすでに実質的に自分の責任下において”ダービー馬”を手がけていた、ということは、この本を読むまで知らなかった。
(その後、藤澤氏が調教師となり、レイデオロで初めてダービーを制すのが2017年(平成29年)と、なんと36年後のこと。)


他にも興味深いエピソードがたくさん。
競馬人気の盛り上がりと共に競馬新聞の売上が伸びた時代、専門誌「ダービー」社の社長・荒木由太郎氏が、輪転機からどんどん吐き出されてくる自社の『ダービー』紙を眺めながら、「まるで、札束を刷っているみたいだなあ」と言った話や、岡部騎手が長期休養明けに逃げ馬に騎乗し、絶妙なペースでレースを作るのを見て、田中勝春騎手が、「ああ、オヤジ。やっぱりペース配分が上手いなあ・・。」と感心しながら食い入るように見つめていた、という話も面白かった。


上記、この記事で紹介した内容は比較的新し目のエピソードであるが、本には著者が先輩記者から聞かされた戦前・戦後の数々の話や、大調教師・尾形藤吉については、一つの大きな章を割いて書かれている。

第三章は丸ごと、”「大尾形」とその時代”として約50ページが割かれている。


尾形藤吉といえば、最近以下の本を書店で見かけ、買おうかどうか悩み中・・。(たぶん買う)。


読みたい本がありすぎて、困る。。
明日のNHKマイルを当てたら買おうかな。笑。

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