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無事是名馬〜藤島泰輔「馬主の愉しみ」を読んだ。

無事是名馬の代名詞・ランニングフリー

藤島泰輔著「馬主の愉しみ ランニングフリーと私」を読んだ。

馬主の愉しみ(ランニングフリー)
1991年発行


ランニングフリー
は1985年(昭和60年)から1991年(平成3年)まで現役生活を送った馬で、通算成績は47戦7勝。福島記念、AJCC、日経賞と重賞を3勝、G1には手が届かなかったが、昭和63年の春の天皇賞で13番人気ながらタマモクロスの2着に激走した実績がある(記事トップ写真が天皇賞ゴール前。14番がランニングフリー。)

世代としてはダイナガリバー(ダービー、有馬記念)やメジロデュレン(菊花賞)が同期の1986年世代。ただ、ランニングフリーはいわゆる晩成型の馬で、福島記念こそ3歳秋に勝ったが、春の天皇賞2着は5歳でのもの。AJCCと日経賞連勝は明け6歳でのもの。

AJCCと日経賞を連勝したあと臨んだ平成元年の春の天皇賞では2番人気とG1における自身の最高人気を集めたが、イナリワンの5着に終わった。(後述するが、馬主の藤島氏は新天皇の学友で、平成初の天皇賞を学友の馬が勝つか、注目を集めたらしい。)

G1に挑戦すること12回、ついにG1馬とはなれなかったが、「平成三強」と言われたオグリキャップ、スーパークリーク、イナリワンと同時代に走り、名バイプレーヤーとして知られた。G1で人気が二桁になっても、着順が二桁になったことはなく、掲示板(5着以内)は7回を数えた。


オーナー・藤島泰輔氏

この本は、ランニングフリーを初めて所有する競走馬として購入した藤島泰輔氏が、馬を持つことにより翻弄される自分、馬を通じて知り合いが増え世界が広がった人生、日本と主にフランスを中心とした海外の半分ずつの生活を、ランニングフリーの現役期間に合わせて綴ったエッセイで、昭和から平成に年号が変わる頃の日本競馬の状況や、フランス・イギリスが主となるが、海外競馬の様子を知ることができる。

ランニングフリーと、藤島オーナー。

ランニングフリー・藤島氏

藤島氏の経歴が面白い。

1933年東京生まれ。
学習院大学時代に上皇(明仁さま)と学友となり、学生時代を題材にした小説「孤獨の人」を発表し作家デビューを果たしている。これが1955年のこと。

また、1970年の三浦雄一郎さんのエベレスト滑降挑戦に際し、エベレスト・スキー隊を編成し本部長を務めている。

そして夫人はメリー喜多川さん。つまり、ジャニーさん(ジャニー喜多川)が義弟となる。この本にも少しだけジャニーズの話が出てきて、光GENJIの諸星くんがランニングフリーの重賞勝利を祝したパーティーに顔を出してくれ・・というようなくだりもある。(藤島氏は「ヒカルゲンジ」と名付けた馬も所有し、この馬の話も本に出てくる。)

なんだか盛り沢山な経歴の方だが、競走馬オーナーとしての”ひき”もかなり強いと思う。G1勝ちこそなかったものの、重賞常連馬のランニングフリーの生涯獲得賞金は4億円を超えたという。

ランニングフリーという馬は地味な印象があるが、それはオグリキャップやスーパークリークなどのG1馬と比べたら、という話であり、これだけの競走馬を所有一頭目として引き当てるというのは万馬券を当てるよりはるかに難しいことだと思う。


競走馬にとっての幸せ。

本の中で、ランニングフリーの本郷一彦調教師がこう話している。

「明け八歳でまだ走らせるのかという声が出るかも知れませんが、競走馬は走るのが生命なのですよ。調子が下がらなければ走らせるのが馬のためでもあるのです。」

本郷師は、種牡馬にならない馬、繁殖に上がらない馬を大学の馬術部に出すのは残酷です、とも話す。理由は、体重の軽い騎手を乗せ、調教量も毎日決まっている競馬より、体格が人によりかなり異なる大学の馬術部の部員が入れ替わり立ち替わり乗る馬術競技の方が、馬にとってはたまったものではない、という。

なるほど、と思うが、馬はどう思っているのだろうか。

他の本で、人と生活することで生きているサラブレッドは、大切にしてくれる人と長くいたいと思っているはず、というような一文を読んだこともある。

その意味で言うと、ランニングフリーは馬主の藤島氏は馬に合わせて生活のスケジュールを組むほど思い入れを持ってくれ、信念を持った調教師に管理され、そして日々の生活でもっとも身近な厩務員にも大事にされた。(本郷調教師は、ランニングフリーは、バイクの音で厩務員が来たことに気づく、とも語っている。それほどなついている、ということだと思う。)

ここでランニングフリーが幸せだったのかを論じても仕方ないと思うが、少なくともこの本を通じて、馬主、厩舎の関係者がどのような思いで一頭のサラブレッドをレースに送り出しているか、垣間見ることができた。


マカヒキの復活

ところで最後に少し触れておきたかったのが、先日の京都大賞典で見事に5年ぶりの勝利を上げた、2016年のダービー馬・マカヒキのこと。

京都大賞典での、最後の一瞬の切れ味で差し切る勝ち方は、ダービーを彷彿とさせた。

(マカヒキの馬券は買っていなかったくせに)久々に、ゴール前「うおー!」と小さい雄叫びをあげてしまった。

マカヒキは今年で八歳。

ランニングフリーは明け八歳のAJCCを最後に引退したので、マカヒキはさらに長く競走生活を送っていることになる。

ダービー馬でこの年齢まで走っているのは異例のことだと思う。なぜこの歳まで走っているのか、いち競馬ファンの推測としては、父・ディープインパクトの後継種牡馬は数多くいるので、ダービーに加え、”もうひとつ勲章を”という陣営の思いがあるのではないか、と月並みなことを思う。

マカヒキは、ダービーのあと3歳秋シーズンはフランスに遠征し、凱旋門賞の前哨戦のニエル賞には勝ったものの、その後17連敗していた。その17戦中、実に13戦までもがG1。ダービー馬の矜持とも言えるし、陣営の何としても”あとひとつ勲章を”の思いを感じる。

マカヒキは次走ジャパンカップ出走を予定しているという。ジャパンカップの東京芝2400mは、ダービーを勝った舞台。強敵は四歳年下のダービー馬、コントレイルか。ひょっとしたら、五歳年下(!)のシャフリヤールも出てくるかもしれない。

これだけ年代がまたがった異世代ダービー馬対決はそう見るチャンスはない。マカヒキのレースぶりにも注目、楽しみにしたい。

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