『ガールズ・クライシス』【4】
うぎぁあ。
翌朝、私は洗面所の鏡を見て、そんな字面どおりの悲鳴を上げた。相当なブスに逆戻りしていた。定期的メンテナンスを怠った時の緩やかなものとは明らかに違った。一夜にしての大後退だった。昨日の幸せ一転、大ピンチだ。私は、一体、何をやらかしただろう。冷静に考えた。
頭ポンポンだ!
私はその場にしゃがみ込んだ。間違いない。それしか考えられない。ほぼ元の顔に戻ってしまった。こんな顔では、美島さんに会えない。あまりのショックに、しばらくは動くことができなかった。それでも、何とか這うようにリビングに戻ってきて、カレンダーを見た。春休みで遅く起きたため、ママはすでに出社して家にいなかった。コウちゃんは本日、午後から出勤となっている。私はコウちゃんの寝ている押し入れをノックした。
「えーん。コウちゃーん。助けてよぉ。一気に、ブスに戻っちゃった」
泣きつくしかなかった。襖が開き、コウちゃんがいたって冷静に顔を出した。
「何で?」
「えっ?……その……あの」
「定期的に俺が殴れば、可愛さは維持されるんじゃなかったのかぁ」
「実は逆のことも起こりえるわけで……」
「逆? そんなの聞いてないぞ」
「実は、以前、試しにママに殴ってもらったら、後退するということが判明いたしまして……」
「女の人はマイナスに作用するってこと?」
「はい」
「昨日、ママに殴られたのか?」
「殴られてないけど。いや、その……」
「何か隠してるなぁ」
私は観念し、コウちゃんを手招きした。
リビングに向かい合って座ると、一連の不思議現象の全容を正直に話した。コウちゃんだけでなく、若い男性に殴られると可愛くなるという効力があること。逆に女性に殴られると多少後退すること。そして、今回の新事実として、若い男性にやさしく触れられると、どうやら、かなりのマイナス作用があるらしいと。
「しっかし、俺に殴られると、きれいになるのかと思ったら、そんなややこしい法則があったとは」
「今まで内緒にしてて、ごめんなさい。謝るから、お願い。殴って」
「俺じゃなくても、若い男なら誰でもいいんだろう」
「そんなことを頼める人、コウちゃんしかいないもん」
「確かに。でも、まあ、元に戻ったのも神の思し召しのような気がする」
「時々、難しい言い回し使うよね」
「つまり、神様がもうやめなさいって言ってるんだよ。今回、元に戻ってしまったことに意味がある。いい機会じゃん。この一年半が嘘だったわけだから、これからは素で勝負すれば」
コウちゃんは、たまに、ものすごく説得力のあるいい事を言う。でも、感心している場合ではない。
「だめだよぉ。もう、ブスには戻りたくないの。せっかく、今、いい感じになのに……あっ……」
うっかり、美島さんのことを言いそうになって口をつぐんだ。しかし、普段は鈍感なコウちゃんが、今回は鋭く突っ込んできた。
「あっ! 若い男に触れられたって、カレシに抱きしめられたってことだ。へぇー……意外に、ジュリはませてるんだなぁ」
「カレシじゃないから。抱きしめられてないから! 頭をポンポンとされただけだから」
「ふーん、やっぱりそんな事だと思った。でもさ。これから、その彼と仲良くなればなるほど、スキンシップも多くなるわけじゃん。その度に、俺が殴って元に戻すというのを繰り返すわけ?」
「仕方ないし」
「それに、頭をポンポンとされる度に、またブスに戻っちゃうとか思って心配していたら、邪念が入って素直にときめかなくなるだろう」
「大丈夫だって。うまく折り合いつけるから」
「もう、今のままの顔でいけよ。そんなことくらいでジュリを嫌いになるなら、ろくな奴じゃない」
「コウちゃん、イケメンだからブサイクの気持ちがわからないんだって」
「また話をすり替えたな」
「ママだって、コウちゃんが、ここまでかっこよくなかったら、治療費払って、バイバイだったかもしれないよ」
「さらに話がシビアに逸れてるし」
「今度から、頭ポンポンされないように気をつけるから。お願い、殴って。お願い」
私は合掌し頭を下げた。「お願いします。お願いします」と、何度も繰り返し、しつこく食い下がった。いいと言ってくれるまで頭を上げなかった。
いつもは苦笑いで応じてくれるコウちゃんが、今回は明らかにじりじりしていた。不快感が空気から伝わってきた。
「あーあ。もうっ」
コウちゃんはそう言うなり、びんたで、いつも以上に強く殴った。初めて殴られた時以来の、負の感情が入ったものだった。相当に痛かった。きっと、コウちゃんは忠告を聞かない私に、少し腹が立ったのだと思う。安易に暴力を求める姿勢にカツを入れたのだ。私がこんなインチキをやめたくなるようにと、わざと痛く殴った。温厚なコウちゃんにそこまでさせて、私はかなりの自己嫌悪に陥った。でも、やめられない。もう、引き返せない。
コウちゃんがふくれっ面で出勤してからも、私は、一日中、部屋に閉じこもって過ごした。また可愛くなれるのかと心配で食欲もない。ちょうど、塾も休みだったので助かった。しかし、随分と贅沢になったものだ。生まれてから十二年間は、この顔だったというのに、もはや愛着どころか、嫌悪感しかなかった。美島さんは、可愛くなってからの私しか知らない。だから、早く戻りたかった。いや、逆だ。今が戻っているのだから、早く化けたいと言うべきだ。まあ、どちらでもいい。明日の朝が待ち遠しかった。その夜は、ママが帰ってくるのを待たずにベッドに入った。きっと眠りから覚めると可愛い顔に化ける。そう祈り続けた。
そして翌朝、また私は可愛くなっていた。コウちゃんの強烈なびんたがきいたらしい。私はほっと胸を撫で下ろした。
*
春だから、ちょっと浮かれて恋話をしたい。雪と氷点下から解放された北海道女の高揚感は相当にやばい。凍てついていた反動なのか、そのバイタリティーは通常の倍はあると勝手に目算する。
春休みの最終日、ゆうこちゃんと近くのショッビングセンターで待ち合わせをした。まだ風は冷たいが、日差しがぽかぽかと温かい。街の雪はほぼ解けて、沿道の土壌部分には若緑色のふきのとうが顔を出していた。ようやく重いスノーブーツから解放され、足取りは踊るように軽くかった。アスファルトは寒さでひび割れを起こし、毎年恒例のでこぼこになっている。雪の冷たさに痛み隆起した埃っぽい道路を歩きながら、私はこの街の春しか知らないのだ、と人生経験の乏しさと器の小ささを感じる。
今日は、いよいよゆうこちゃんに、美島さんへの想いを聞いてもらうつもりだった。彼の家にまで行ったと聞いたら、ゆうこちゃんは驚くだろう。私は今まで恋話をしたことがない。少し前までの私は、自分のブスな顔が嫌いで、道化にしかなり得ない恋などするものかと頑なに思っていた。片想いのままどうせ失恋し傷つく。そうとわかっているならば、しないに越したことはないという自己防衛だ。しかし、自然と恋愛に気持ちが向いた。これは少しだけコンプレックスから解放されたということだ。やはり、コウちゃんに殴られて顔が可愛くなったことが、きっかけだと言っていいだろう。
人間はどうして恋をするのだろう。
いつの間にかそちらへと導かれる。種の保存のための本能といってしまえばそれまでだが、それ以上に精神的な根源を感じる。だからこそ、明らかに生きる活力となり得る。しかし、逆もまた然り。勉強が手につかなかったり、仕事で単純なミスをしたり。集中力を欠き、上の空でぽわんとしてしまう。スポーツの強豪校が部活で恋愛禁止を課しているのはまさにそれだ。恋とは幸福と不幸が背中合わせのようなスリルだ。うまくいけば天国、だめなら地獄。天使にも、悪魔にもなれる。裏切ったり、欺いたり。果てには『こころ』の先生のように罪悪として心を支配し、やがて死へと追い込まれる。
恋についての定義を悶々と考えていると、ゆうこちゃんが少し遅れてやってきた。いや、私がかなり早く待ち合わせ場所に着いていたのだ。それだけ気持ちがはやっていた。落ち着こう。
私たちは一階にあるハンバーガー店に入った。奥まった席に座ったとたん、向かい合っていたゆうこちゃんの視線が、私の背後に逸れた。
「あっ、美島さんだ」
「えっ?」
とたんに、動悸がばくばくと聞こえそうなくらい激しくなった。いつも何というタイミングで美島さんは現れるのだろう。運命を感じる。もっと、おしゃれをしてくればよかった。そう思って、髪をを少し整えた瞬間、次の言葉によって、その思いは一気に打ち砕かれた。
「一緒にいるのって、生徒会長だよぉ」
生徒会長?……一瞬にして恋への赤い脈動が吹き飛んだ。大雪が降った翌朝、屋根から雪の固まりが雪崩のように、目の前へどどーっと落ちた感覚だ。驚きで足がすくみ全身が白くなる。空も街も自身も真っ白。とたんにもの悲しい吹雪の音が幻聴となって響き出した。ひゅるるーっ。私は通り抜ける寒風の感覚に身震いし、後ろを振り返ることができなかった。やっと春がきたというのに、私の季節は冬へと逆行していった。恥ずかしいほどに動揺し、声が見事に裏返った。
「せ、生徒会長って、山内美花子様?」
「うん。本当に美人だよねぇ」
もう白を通り越して完全に凍てついていた。まったりとしているゆうこちゃんは、私の変化に気づいていないようだった。その鈍感さが何ともありがたい。私はゆうこちゃんに友愛を感じてやまない。ショックという氷がコップの中にカランと入って、やさしくマドラーでくるくるとかき混ぜられていく感じだ。何となく解けて薄まっていく。
マドラーゆうこは続けた。
「美男美女で、すごくお似合い」
言わずもがな。まさに美女とは彼女のためにある言葉だ。山内美花子様はひとつ年上で、名前の通り、美しい花のように清楚で凛とした素敵女子だ。私の中学で女性初の生徒会長に就任した。成績も学年トップクラスで、両親そろって医者。当然のようにお金持ちで、大きな庭を擁する豪邸に住んでいる。そこまで完璧な設定に置かれたら、私なら間違いなく勘違いするだろう。しかし、美花子様は違う。高飛車なところが全くない。いつも柔らかな笑顔で、皆にやさしく、とてつもなく性格がいい、らしい。人望も厚い。だから、下級生の女子は皆、嫌みではなく、本当に憧れで様づけで呼んでしまうのだった。ここまで、個人情報が噂で蔓延するのも、彼女の存在のすごさゆえだ。そんなスーパー才女、プリンセス、美花子様のお眼鏡にかなう男など果たしているのか。いるとしたらどんな奴なのか。問うまでもなかった。あのヒーロー美島さんという結論だ。もはや、ショックを通り越して、なるほどと納得してしまった。うんうん。
それでも、美島さんのデレデレとした顔は見たくなかった。せめて、あのクールでかっこいいイメージを壊したくない。多少なりの好奇心をぐっとこらえて、二人が立ち去るまで、そちらを見ないことにした。私は、ゆうこちゃんに勘ぐられないように大袈裟に言った。
「わーっ、見たいけど、あからさますぎて振り返れないよぉ」
「何か映画のワンシーンみたいだよ」
その後もゆうこちゃんは、ゆったりと二人のアツアツぶりを実況した。それを聞かされるのもよし。いっそ諦めがつくというものだ。何とも呆気なく初恋が終わった。確かに、世の中、そんなにうまくいくわけがない。心の中で、乱暴に言ってみた。
よりによって、美花子様だよ。
ゆうこちゃんに打ち明ける前でよかった。席もベストポジションだった。ゆうこちゃん側に座っていたら、ずっとイチャイチャ、デレデレを見せつけられた。場合によっては目が合い、気まずく会釈などしていたかもしれない。その後、ゆうこちゃんには悪いが話は上の空で、何を話したのかあまり覚えていない。
*
失恋。
家に帰ってからは、自然とどんよりとした暗闇を欲した。数々の芸術的名詩を生み出した失恋とはこういうものなのだ。脱力、落胆、絶望。それなのに、なぜか涙は出なかった。最初は悲しみが深すぎて、涙腺が麻痺しているのかと思った。しかし、それは恋に破れた悲哀を肯定するような罪悪感が、体の中に蔓延しているからだと次第にわかってきた。
失恋はインモラルの報復だ。
私は美を手に入れたくて、本来憎み排除すべき暴力を自ら望んだ。暴力によって得た偽物の顔で美島さんと接していた。そんな卑怯な女に、そもそも幸せが来るわけがない。恋が成就するわけがない。「そうだ、そうだ」と世間の賛同の声が響く。私も納得して頷いた。その一方で、もうひとりの私が「ちょっと待って下さい」と手を上げて異議を唱えた。ある日突然、そのような特異体質を勝手に与えられた挙げ句に、罰が下されたのだとしたら、やっていられない。誰だって、いとも簡単に美が手に入るとわかれば、その誘惑に負ける。その手段を使う。
まさか、私は女としての弱さを、天に試されたのというのだろうか。
そうだとしたら、どうして、その被験者が中学生の私なのだ。ひどいではないか。失恋以上に、そちらの感情が心を支配し始めていた。私は反論しようと上げていた手を渋々引っ込め、天に向かって思い切りふくれた。
ブスのままでいればいいんでしょう!
とたんに投げやりになった。女子力向上のために駆け上がっていた螺旋階段を、わざと踏み外した。見事なまでに、ごろんと転げ落ちた。もう止まらない。ごろんごろん。いちばん下まで落ちて、冷たいコンクリートの床に全身をバシンと強く打ちつけて我に返った。
バカみたい。女をがんばるの、やめた。
私は全てに対して無気力になってしまった。ママに言って惰性での塾通いもやめた。お金の無駄だ。翌日から新学期が始まったが、脳みそも、体も、心も、ふにゃふにゃで、当然のように力が入らなかった。唯一の救いは、ゆうこちゃんとまた同じクラスになったことと、ガムテープ野郎三人が違うクラスになったことだ。ちなみにノンちゃんとも同じクラスだが、ブスに戻る予定のため、関わりはないだろう。こんな腑抜け状態だから、もちろん勉強も頭に入ってこない。ゆうこちゃん以外の交友関係を広げようとも思わない。帰宅後は部屋にこもって、ひたすらぼーっとする。コウちゃんとも話さない。携帯もほとんど見ない。鏡も見ない。そんな日がずっと続いた。ゴールデンウィークも、窓から近くの公園に咲いた桜を眺めただけだった。花びらが強風にあおられ豪快に舞う。ぶわーっ、はらりはらり。まるで木っ端微塵の恋心みたいだ。きっと、美島さんはやさしいから、何でもないことでもメールをすれば返信をくれるだろう。助けを求めれば助けてくれるだろう。リンチされた可哀想な後輩に同情してくれるだろう。でも、図々しくはなれない。今頃きっと、美花子様と笑い合っている。嗚咽がこみ上げる。悲しい。虚しい。
恋が散る。はらりはらり。
美島さんを好きだったのは、偽物のジュリさん。少しだけ可愛くなって、勘違いして、浮かれてた。そして、助けに来てくれた王子様に恋をした。そもそもブスだった私には、王子様を求めるような乙女心はなかった。何も期待しないから恋もしなかった。理にかなっている。これからもそれでいい。
傷つきそうなことは避けよう。
私は、以前にも増して、かわいげのない女になっていた。しかし、もう悲しいとは思わなかった。これもまた生まれ持った顔、性格、生き抜く術、しいては運命なのだ。
ブスを嘆くことなかれ。
桜はすべて散り、私も葉桜状態。たぶん顔はメンテナンスをしていないので、化ける以前の顔に戻っていると思う。この頃、めっきりノンちゃんが寄ってこなくなった。しかし、きれいになりたいとか、おしゃれしたいとか、恋とか、もうどうでもよかった。ママは相変わらず、私の微妙な変化、テンションの低さに気がついていながら、知らん顔をしてくれていた。本当に懐が深い。そして、いつもと変わりのない態度でさらりと聞いてきた。
「来週の誕生日だけど、何か欲しいものある?」
誕生日が近づいていることは薄々感じていたが、格段楽しみに待っているわけでもなかった。女としてだけでなく、子供としても可愛げなしの末期症状だった。少し前の私だったら、無邪気に服がほしいと言うところだ。しかし、今の私は女を着飾ることに興味がなくなっていた。
「味付け数の子をいっぱい食べたい」
「数の子?」
ママがぷっと吹き出した。私はママを笑わせたことが少しうれしかった。ママの笑顔は最高に可愛い。
「高いからお正月に二、三本くらいしか食べないでしょう。あれを山盛り食べたい」
「六月に売っているかなぁ」
ママは真面目な顔で考えてから、もう一度ぷっと笑った。
そして翌週。私は十四歳になった。ほかほかのご飯に、ママが買ってきた味付け数の子を贅沢食いした。んんん? ママには悪いが、思ったほど感動しなかった。なぜだろう。ひょっとして、もっと食べたいというところでやめるからおいしいのかもしれない。手に入れてしまうと、さほど感動がない。美もそうだ。恋もきっとそうだ。所詮、そんなものだ。私は、恋と数の子を混同して考えるくらいに、女子力がゼロになっていた。
*
無気力状態、継続中。
「ジュリ、殴ってやろうか?」
コウちゃんが無理に拳を作って向かってきた。完全に覇気を失った私を見かねたのだ。相変わらず、コウちゃんはやさしい。私を救おうと自分の信念を曲げて、暴力をふるおうとしてくれていた。しかし、私はもう殴られたりはしない。私は、コウちゃんの手をするりとかわした。
「もう、いい」
「ジュリ、どうしちゃったんだよ。可愛いままでいたかったんだろう」
「元のままの私でいけって言ったの、コウちゃんだよ」
「確かにそう言ったけど、今のジュリは元のジュリとも違う」
「どこが? ブスで卑屈で、そのまま私だけど」
「ジュリはもっと明るかったし、面白かったし、無邪気で、なんていうか、こう……」
「無邪気とか、小学生だった時と比較されても困る。いつまでもガキじゃいられないし」
「ジュリが望むなら、俺、毎日殴ってもいいよ」
「本当に、コウちゃんて優柔不断」
「毎日、ため息ばかりついて、そんなつまらなそうな顔してるのを見たら、何とかしたくなるだろう」
「だって、本当につまらないんだもん、私の人生。顔はブスだし、成績も中くらいだし、これといった特技もないし、趣味もないし、お楽しみ会の最中にトイレにいっただけでクラスメートの男子たちにリンチされるし、この先、別にいい事もないし」
「リンチされた?」
「出し物のギター演奏を見なかったからって、男三人に報復としてガムテープを髪の毛につけられるリンチをされたの!」
「まさか髪の毛をショートにしたのって」
「そうだよ。ガムテープがくっついて取れないから、切るしかなかったの。私はレベルの低い人間からまで腹いせされるような、そんなつまらない人生しか送れない女なの」
「だったら、元気になれるように殴るよ。前に可愛くなるとアクティブになれるって言ってたじゃん」
「もう、顔が可愛いとかに興味ないの。だから、殴られる必要もないの」
「頭ポンポンしてくれたカレシに失恋したのか」
「別にカレシじゃないもん。ちょっとした知り合いで、一、二回、喋っただけだもん」
本当にその通りだった。勝手に片想いして、恋愛を夢みて舞い上がった自分が恥ずかしい。
今こそ、立ち上がれ、フェミニストの卵。
私が女としての自覚をしっかり持たなければ、またコウちゃんに余計な心配をかけてしまう。暴力を誘発させてしまう。でも、頑張り方がわからない。ふてくされて、ため息をつくしかできない。歯がゆい。
次の瞬間、私はコウちゃんにグーで殴られていた。
グキッ。
「何するのよ。痛いじゃない」
私の瞳から瞬時に涙があふれた。涙腺崩壊。貯水量が満タンだったらしく、拭いても拭いても止まらない。「暴力男!」
バシ、バシ。
さらに二発、平手で殴られた。
「俺はジュリの幸せそうな顔を見られるんだったら、バカになれる。軽蔑されても、嫌われてもいい」
「父親みたいなことを言わないでよ。私、コウちゃんに、そんなものを求めてないし」
二年前、初めて殴られた時と同じだった。私はベッドを駆け上り、布団をかぶって大泣きした。コウちゃんの腕力は、手加減していても恐いほど男だった。しかし、暴力に対して泣いているのではない。きっと失恋して大泣きしたかったのだ。いつも涙を我慢する癖がついている。私はこんなふうにきっかけがなければ泣くことができない。だからこのまま、久しぶりに人間らしく泣き疲れて眠るのも悪くなかった。
翌朝、目覚めると、私はまた可愛く、いや、きれいになっていた。いっそのこと、ヨーゼフ・Kみたいに毒虫になっていた方がよかった。そう吐き捨ててみたが、また心がざわついていた。鏡を何度も見つめた。
まだ、きれいになることに未練あった。情けない。
学校へ行くと、また前のようにノンちゃんが寄ってきた。彼女は分かりやすい性格だ。私がブスになると離れていき、きれいになると近づいてくる。美のバロメーター女と命名しよう。
「ジュリちゃん。今日、うちに遊びに来ない? 見せたいマンガがあるんだけど」
「う、うん」
気のりしなかったが、断るための言い訳を絞り出す方が面倒だったため承諾した。放課後、ノンちゃんの家へ立ち寄った。すかさずノンちゃんが持ってきたのは、かなりリアルにエッチを描いたマンガで、童顔の少女が恍惚となり顔を歪め、喘いでいるような内容だった。誘いにのって、のこのこやってきた私も悪いが、つくづく余計なことを吹き込んでくれる女だった。
「私、こんなこと、しちゃったんだよね」
「えっ?」
どうやら、マンガは前フリだったようだった。
「エッチしちゃった」
「カ、カレシいたんだね」
「同じダンス教室に通ってる人。その日にはじめて話したばかりだったし、交際を申し込まれたわけじゃないから、カレシって言えないかも」
「カレシじゃない人とエッチするんだ」
「これから、カレシになるかもしれないし。私のこと色っぽいねって。十四歳には見えない。おとなっぼくて魅力的だって。それで何となくいい雰囲気になって。そのまま彼の部屋についていって……」
「相手の人、年いくつ?」
「二十一歳」
「犯罪じゃない。やりたい目的だけのヤツかもよ」
「やっぱり、そうかなぁ」
「やっぱりって、そんな気がしてたんだ」
「その後、連絡しても無視されてるから」
「ノンちゃん、その人のこと好きなの?」
「すっごいイケメンだし、初経験してみたかったし、やってしまえばカノジョになれるかなぁと思ったのは確か」
何だろう。私はものすごくイラついた。
「どうして私なんかに打ち明けたの?」
「えっ?」
「明らかに恋愛未経験の私に」
「ただ、聞いて欲しくて」
「聞くだけでいいんだよね」
「う、うん……」
「じゃあ、聞いたから、もう帰っていい? これから予定があるの」
「わ、わかった」
私が素っ気ない態度しかしなかったので、ノンちゃんはがっかりしているようだった。どんな言葉を期待して呼びつけたのだろう。
「もう初体験したなんてすごーい。どんな感じだった?」という羨望と好奇心。
「もて遊ばれただけだって。自分をもっと大切にしなよ」という心配と警告。
私はそのどちらでもなかった。
「こういうバカ女がいるから、女は低く見られるのだ!」という怒りだ。
単純に頭にきていた。軽すぎる。女は性の道具じゃない。
ママ。私はあまりに子供すぎますか?
その夜、ありもしないシチュエーションを想像しては、心が乱れて寝つけなかった。もしも、美島さんが甘い言葉で私を求めてきたら……。美島さんはそんな人じゃないから絶対にあり得ないけど、もし美島さんとそんな関係になったとしたら……。頭をポンポンされただけで、ブスに逆戻りする私はどうなるんだろう。ブスを通り越して化け物になってしまうかもしれない。
その時、隣のリビングから、ママとコウちゃんの声が聞こえてきた。
コウちゃんがママに向かって唐突に言った。
「この家を出て、アパートを借りようと思ってるんだ」
「そう」
「仕事も正社員になれたし、花が好きだから、これからも続けられそうだし」
「そう」
「いつまでも、甘えてちゃいけないし」
「そうね」
ママはコウちゃんにエールも送らなければ、引き止めもしなかった。これが大人の女なのだろうか。それにしても、コウちゃんはどうしてこの家を出ていく気になったのだろう。私とのぎくしゃく? 気になる。しかし、盗み聞きした以上、面と向かってその真意を聞くことはできない。
その週末の土曜日、遅い朝食を食べていると、コウちゃんが部屋から出てきた。殴られて以来、食事のタイミングをずらして、なるべく顔を合わせないようにしていた。同居していても、意図すれば、すれ違って生活していくことができる。たぶん、今話題の家庭内別居とはこんな感じだ。コウちゃんも私の態度を察していたと思う。数日ぶりに見たコウちゃんは、いつもよりどっしりとしていて、男らしい感じがした。見慣れない無精ひげが生えているせいかもしれない。昨日の出ていく宣言といい、大人アピールのヒゲといい、明らかに内面に何か大きな変化があったようだ。
「ジュリ、今日、仕事休みなんだ。一緒にランチにいこうよ」
「えっ?」
「好きなものを食べていいよ。おごるから」
「う、うん……」
とっさに、この家を出ていく前の「さよなら記念」かな、と思った。だから、つい首を縦にふってしまった。
「今まで、一緒に出かけたことってなかったもんな」
コウちゃんのやさしい笑顔に、私の方も素直に引っ張られた。
「コウちゃん、この間、ごめんね。暴力男とか言って」
「俺の方が悪いんだから、気にしてないよ。というか、その通りだし」
「そんなことない。コウちゃん、やさしいもん。だから、本当にごめんなさい」
「ジュリは偉いな。ごめんって、なかなか素直に口にできないよ」
「そうかなぁ」
私は、コウちゃんに誉められて、素直にうれしかった。「いつも心配してくれてありがとう」
「ああ」
「じゃあ、目一杯おしゃれしようっと」
「女の子は、そうじゃないと」
私はお気に入りのワンピースを着てコウちゃんと出かけた。よく考えると二人っきりで歩いたのは久しぶりだ。空が青い。快晴だ。陽光が背中にぽかぽかと温かい。風が光る。初夏の札幌は最高だ。私はずっとここに住みたいと思っている。いつの間にか私の背は伸びてコウちゃんの胸くらいになっていた。コウちゃんは素直にイケメンなので一緒に歩いていて少々自慢だ。
私たちは地下鉄に乗り、中心街の大通駅で降りた。案の定、若い人でごった返していた。
「さすがに活気があるね」
「ジュリも高校生になったら普通にここを歩くんじゃないか。カレシと」
「ないないない」
そんな話をしながら改札口から地下街ポールタウン方面へ歩いていると、何と美島さんとばったりと会った。
「あっ、美島さん……」
本当にばったりだった。心の準備ができていない。私はすぐに顔が赤くなった。諦めたはずなのに未練たっぷりだった。
「恵本さん。何か久しぶりだね」
「は、はい。ご無沙汰してます」
美島さんがコウちゃんの方をちらりと見て会釈した。
「これから近くの会場で道コンの模試があるんだ」
「中三になると大変ですね。がんばってください」
「うん。じゃあ」
「はい。失礼します」
美島さんは相変わらず素敵な背中を見せて遠ざかっていった。あの背中に目を閉じて頬を寄せたい。もたれ掛かりたい。私はコウちゃんの存在を忘れて、しばし美島さんを目で追っていた。
「ふーん」
コウちゃんがうなずきながらニヤリとした。「あれが頭ポンポンくんか」
「その言い方、やめてください」
「かなりのイケメンだな」
「はい」
「ジュリ、脈ありだよ」
「えっ?」
「美島くんていったよね。明らかに俺を意識してた。ジュリのカレシと思われたかも」
「まさか。コウちゃんは、自分で気がついていないかもしれないけど、中学生から見たら、かなりのオジサンだよ」
「オジサンって……俺は自慢じゃないけど、若く見られる方だからな」
「それにしたって、二十九歳と中学生って犯罪だよ」
「愛があれば年の差なんて、って昔からある定番のセリフ知らないのか?」
「ママとコウちゃんみたいに?」
「また話をすり替えたな」
「美島さんには、すごい美人の彼女がいるの。スタイルがよくて、頭もよくて、お金持ちのお嬢様。完璧でしょう」
「だから、落ち込んでいたのか」
図星だった。しかし、素直に認めないのは、可愛くない女の特権だ。
「違うよ。最初から期待してないもん。私なんかが相手にされるわけないもん」
「相変わらず、マイナス思考だな」
「コウちゃんに言われたくありません」
「わからないよ。男は完璧な女が好きとは限らない」
「確かに、ママもバツイチの子持ちだもんね」
「また、話をすり替えた……まあ、やってみる前から諦めるなってことだよ」
「わかりました」
私は、コウちゃんが大人に見えた時だけ、敬語になる。
「そうだ。この近くなんだけど、俺の職場を見てみるか」
「お花屋さんでしょう。行く行く」
狸小路商店街の一角にその可愛らしいフラワーショップがあった。まさに小さな女の子が絵に描く「お花屋さん」だ。
「コウちゃんが続いているのがわかる。すごく素敵。お花の香りって心が安らぐし、色彩もきれいだし」
「だろう」とコウちゃんは満足げに笑った。
店に入ると、奥からデニムのエプロンをした若くて綺麗な女性が近づいてきた。
「いらっしゃいませ。あら、早瀬さん」
ちなみにコウちゃんは早瀬広大という。
「ジュリ、ここの店長だよ」
「こんにちは。コウちゃんがお世話になってます」
「まあ、かわいい。一緒に暮らしている姪ごさんね」
コウちゃんが気まずそうに肯定した。
「はい……」
姪?
私は横目でじろりとコウちゃんを見た。コウちゃんは視線を左上に逸らした。何とも白々しい嘘をついていた。嘘を言う理由って何だろう。ただ単に男のプライドとして、ママの存在を隠したいのか。それとも、この美人店長に対して何らかの恋愛感情が芽生えているからなのか。それにしても、何と清楚で美しい女性だろう。ふんわり、ほんわか、淡いパステルカラーの花が似合いそうだ。年の頃、二十五歳くらいか。
「ジュリ、好きな花、買ってあげるよ」
「ほんと?」
私はぐるりと店内を見渡したが、実のところ、店に入った時から目の前の一角が気になっていた。いわゆる多肉植物たちだ。
「これがいい!」
私が数ある中から指差したのは、背丈二センチほどのプチサボテンだった。緑色の楕円形で、体全体にニキビのようなブツブツがストライプの配列で模様をなしている。その突起に二ミリ程度の金色をしたトゲがある。よくある平凡な姿のサボテンだ。だからこそ妙に心惹かれる。
「サボテンか。かなりシブいな」
「あら、可愛いですよねっ」
と、美人店長が私に微笑みかけた。「サボテンや多肉植物はテラリウムブームで、若い女性にとても人気があります。上手に育てればお花も咲きますよ」
「わーっ、楽しみ」
私はつられて微笑んでいた。私は、このように笑顔を伝染させることができる女性が好きだ。羨ましいと思う。
コウちゃんは、すぐに太っ腹の男気を発動した。
「その普通なやつをひとつといわず、いろいろな種類をいくつか買って育ててみれば? このおしゃれなやつとか」
コウちゃんが手に取ったのは、頭に造花を飾った、可愛い陶器ポットに入ったサボテンだった。
「コウちゃんは、女心がわかってないなぁ」
「女心?」
「そう。愛情を注ぐのはひとつでいいの。いくつかあるとどうしても、比べながら育てちゃうでしょう? 優劣つけるの嫌だもん。それに、この頭に造花をつけてるのとかルール違反だから。自分で花を咲かせないと」
「そんなものか……」
美人店長は私の意見に肯定も否定もせず、やんわりと笑っていた。
「じゃあ、このサボテンで決まりですね。今、お包みします」
「お願いしまーす。プレゼントをありがとう、広大お・じ・さ・ん!」
「おお……」
コウちゃんの顔が明らかに引きつっていた。ひひひ、いい気味だ。嘘をついた罰だ。でも、責める気は毛頭ない。誰だって、ヒモみたいな生活をしていることを言いたくはない。
美人店長はおしゃれにラッピングをして、その素朴なサボテンを渡してくれた。
「お待たせ致しました。どうぞ」
「可愛い。大切に育てます」
「ありがとうございます。また、遊びに来てくださいね」
「はい。これからも、コウちゃんをよろしくお願いします。ビシビシ鍛えてやってください」
「はい。大切に育てます」
美人店長は、ふふと笑った。カブセで返してくるあたり、しっかり者なのに、お茶目でかわいい。年的にもコウちゃんとすごくお似合いだ。
私は店を出ると、すぐに彼女の話題を持ち出した。
「きれいな店長さんだね」
「彼女、社長令嬢で跡継ぎ。大学卒業してからあの支店を任されてるんだって。老舗だし、時代の流れもあるから、結構、プレッシャーだと思うよ」
「ふーん」
その父親である社長に気に入られて正社員になったコウちゃん。そして、美人令嬢。家を出ていくのって、彼女のせいなのかもしれないと勘ぐってしまう。ママよりも好きになってしまったのか。若い、美人、器量よし、性格よし、お金持ちのお嬢様。さすがのママも若さと金持ちという点ではかなわない。
ママがすくっと明るい黄色いひまわりならば、店長はふんわりピンクのスイートピーだ。そして、美花子様は華美な赤いバラ、私は、ぽてっとした緑のプチサボテンか……。
私は、買ってもらったサボテンにその場で「サボタン」という名前をつけた。そのままの愛称でセンスはないが、らしさは出ている。サボタンはそのトゲっとした感じが私と重なり、健気で愛おしい。これからは、日当たりのいい出窓のスペースに置いて毎日話しかけよう。
ねえ、サボタン。コウちゃん、出ていくんだって。
その後、コウちゃんのおごりで辛味噌ラーメンを食べた。カウンターに並んで、無言で赤いラーメンをすすると、なぜか別れを想像してうっすらと涙が浮かんだ。それを辛いせいだと見せかけて、さりげなくティッシュで拭いた。コウちゃんが我が家に来てくれて楽しかった。いつの間にか、いないと寂しい存在になっていた。それって、家族じゃんと思い、また涙が浮かんだ。ごまかすためにラーメンをすする。ずるずるずる。やっぱり、美島さん、かっこよかったなぁ。ずるずるずる。
その日を境に、私は、またコウちゃんに殴ってもらいたいと思うようになっていた。
一旦は女の意地と尊厳とプライドにかけて、暴力を排除しようとした。美を手に入れることができるという誘惑を拒絶した。それなのに、微妙なタイミングで美島さんに会ってしまったからなのか、やはり、今のまま程度の可愛さを維持したいという欲求が高まっていた。もう、自分という人間がわからなくなっていた。迷って当然だ。右往左往するのは仕方ない。
私はまだ十四歳だ。
またまた、懲りずにフェミニズム本を借りて読むことにした。今回はその方面で活動する女性たちのインタビュー集だった。しかし、読み始めると、意に反してがっかりしている自分がいた。想像と大きく違っていた。私が思うフェミニストは、女として性の対象ではないと常にブライドを持ち、決して男に迎合しないというものだった。しかし、本を読み進めると、登場人物の女性が、男性と大胆に関係しては、そこそこに性を快楽とし、略奪あり不倫あり、気の向くままに恋愛遍歴を重ねているというような印象を持ってしまった。男性と対等な振る舞いや奔放さが女性の自立なのだろうか。男性への反発が、同化や模倣になってしまうのは嫌だった。恋愛の結晶である子供を、出生の複雑さで傷つけないための我慢や自制は女としての美学のような気がした。私がこの類の思想を理解するのには、早すぎたのだろう。フェミニストたちに潔癖みたいなものを求めていた私は意気消沈してしまい、途中で読むのをやめてしまった。私が反感を持ったノンちゃんが女として正しいみたいだった。自分が相手を好きならいい。その時に感情が高まれば、妊娠のリスクも厭わない。
いや、それは違うでしょう!
私は、まだ好きで好きで仕方なくて、心から尊敬できる男性と結婚して、その人しか知らないというのが当然だと思っていた。私は相当なガキ、夢見る少女なのだろうか。二十歳くらいで現実の壁にぶち当たり、男の肉欲に失望して、いつしか処女の重たさに妥協するのだろうか。
あー、いやだ。矛先を変えよう。
私はフェミニズムという正論をやめて、反対から攻めてみることにした。男性作家が描く恋愛小説を読んだ。そして、その女性像をあれこれと模索した。
夏休みに入った。一学期の成績が散々だったので、さすがに勉強しないとまずいと思った。塾通い復活。ママには金銭的負担をかけて本当に申し訳ないと思う。だから、今度こそちゃんと勉強をしようと思った。
久しぶりに塾へ行くと、またまた美島さんが目の前に現れた。あまりに要所要所で会うので、運命的だと勘違いをしていた時期もあった。しかし、ここまでくると実は疫病神なのかもしれない。
そう、疫病神。やる気をそがれる。
「やあ、また会ったね」
「こんにちは」
「夏期講習だけ、ここに通うことにしたんだ」
「そうでしたか」
「美花子にも負けていられないからさ」
美花子だって。あー、はいはい。おのろけ、カノジョ自慢ですか。
「デキのいい従姉を持つとつらいよ」
「……えっ? いとこ?」
「そう。母同士が姉妹なんだ」
「えーっ、そうなんですかぁ」
「そんなに驚く? 確かに美花子とは差がありすぎるからなぁ」
いやいや、美男と美女。美島さんと美花子様に差などありません。それにしても、何ということだ。私の今までの悩みは何だったのだろう。勘違いで落ち込んだこの四ヶ月間を返して下さい。
疫病神説、撤回。
ところで、美島さんは成績アップなどと謙遜していたが、壁に張り出された模試の成績上位者に、彼の名前はちゃんとあった。志望も最上位のM高校らしい。もしも、いや奇跡に近いけれど、絶対にあり得ないけれど、同じ高校に行けたら、また二年間は彼の姿を追うことができる。私はストーカーか。でも、美島さんにふさわしい賢い女になりたい。
美島さん、がぜん勉強に対してやる気が出てきました。
たぶん、この時に私の中の未使用だった頭脳回路にはじめて伝達物質が流れた。ようやく開通した感があった。
【5】につづく