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放送大学から国立の大学院へとすすむ道

 私事ですが、大学院に合格しました。入学金・授業料を用意するのはこれからなので、実際に通えるかどうかはまだわかりません(公開直前の追記:かなり危ういかも)。しかし、ひとまずお金さえ用意できれば来年度から大学院に通えるという状況を作ることができました。正直、来年度への期待や合格したことの嬉しさはほぼゼロです。ほとんど不安しかありません。イバラの道です。
 放送大学から国立の大学院を目指すという事例はまだ(ネット上で把握する限りですが)少ないように思います。そのため、私の後に続くであろう人のために、この文章を書いてみたいと思います。このブログ上の位置付けとしましては、下のふたつの記事の続編としておよびいただけます。内容を受け継いでいる部分もありますので、ご関心あればそちらもご一読いただければ幸いです。

内容ざっくり前半: 70万円で学士号、200万円で修士号/放送大学のテキストだけでは学問した気がしなかった/どうしても学問しちゃう人の資質の問題/資質の裏付けとしての大学院入試/もちろん学士号だけでもOK/後半:OUJから大学院を目指す人へ/OUJ卒が院試で不利になると心配しないでいい/専攻を決めよ/学部時代に済ませたいこと/自主ゼミの構想

(表紙画像は、UnsplashGood Free Photosが撮影した写真)

 なお、「いま大学やめようと思っている人へ」でも書きましたが、いちおう文系に限る記述として読んでいただきたいと思います。放送大学(以下、OUJとも記す)では、ラボで行われる自然科学の実験はどうしてもできません。そのため、「本や論文を読み、考え、書くことで成り立つ学問」に絞って述べることになります。仮に理系でも、この条件に当てはまる学問であれば、得るところはあるかもしれません。
 正直な話、こんな一個人のことをここで報告し、なおかつそれを具体的に記すなんてこと、しなくてもいいのではないかという思いもあります。しかし、私としてはオルタナティブを提示したいのです。少し内容を先ばしって言うことになりますが、学費の面からみても、「放送大学から国立の大学院へ」というのは、ひとつのオルタナティブになるとは思います。
 奨学金の返済が大変だという記事はたくさん出ていますが、そうした中で返済額が何百万円もすると述べられていることの事態が私にはよくわかりません。もちろん、私には奨学金を借りてまでちゃんと大学を卒業した彼らに何かしらの異議を挟む資格などありません(注:筆者は中退者です。詳しくは、「いま大学をやめようと思っている人へ」参照)し、これから奨学金を借りる可能性は大いにあります。しかし私としては、たびたび現れる奨学金返済に関する苦労を書き立てる記事の多くが、いままさに学生として奨学金を借りている/借りようとする学生に対して、暗澹たる事実としてのしかかることを危惧しています。将来的に奨学金返済に追われてしまうくらいであれば、いっそのこと大学を辞めてしまおうと考えてしまう学生も現れかねないからです。
 私としてはいまここで、放送大学の学費総計が約70万円で済むということに改めて目を向けてみたいのです。これは、ほとんど世間からは省みられていないながら、ひょっとしたら革命的なことですらありえます。一方で、学士号の安売りにも結びつきかねないという点では、諸刃の剣であるとも言えるので、一定の留保付きではありますが。

 放送大学の学士号で終わらせず、国立の大学院へ行くということとセットで考えるのには、私が学問をしたい人間だからで、OUJの教養課程だけでは満足できなかったからです。お前は放送大学を誉めたいのかおとしめたいのかと言われるかもしれませんが、率直に申し上げて、放送大学の授業とテキストをただこなしているだけでは、大卒レベルの学力はつきません(ゼミに参加し、卒論を書く場合は異なると思います。また、ここでいう「大卒レベル」という用語も極めて曖昧ですがとりあえず進めます)。その理由としては、これはいつか述べますが、放送大学のテキストおよび授業というのは、良くも悪くもまとまりが良すぎるからです。科目にかかわらず、どのテキストも同じ厚みで全15回分の授業内容が収まっているというのは、尋常でない編集努力の賜物によるもので、この編集過程で削ぎ落ちたであろうものが、多々あるはずなのです。放送大学のテキストは素晴らしいのですが、それを読んだだけでは学問になりません。学問の対象に直に取り組み、地道に自分なりにその学問分野の全体観を作り上げていく過程こそが学問だと思うからです。
 私の場合、「いま大学をやめようと思っている人へ」でも書いたように、放送大学の勉強は、学士号取得のための資格勉強と割り切り、学問はOUJの学びとは独立してやっていました。しかし、ひょっとしたらこれは学問をした気になっているだけかもしれないという疑念が常にありました。学問とはやってしまうときにはどうしてもやってしまうものではありますが、かといってそれが「知」に関わる以上、しかるべき客観性が求められます。この客観性には、「知」そのものについての客観性の他に、学問をする人間としての資質に関わる客観性があります。特に文系の場合には、「知」に関わることは、頭の中で完結させることもできますから、なんとなく学問した気になっている自分でしかない状態のまま居続ける可能性というのもあるわけで、こうなれば永遠のワナビーあるいはトンデモ学説の垂れ流しまであと一歩と言っても過言ではないでしょう。
 そこで、大学院に行かねばならないと思いました。しかも可能なら、国立の、それなりに試験が難しい大学の、倍率もそこそこあるようなところを受けたいと思いました(これがOUJの大学院を受けなかった理由のひとつです)。大学院に行くとなれば、まず試験に通らなければなりません。その上、大学入試と違い、論文と面接考査を含みますから、ある程度、学問に対する資質を見られることにもなるのです。とはいえ、これは自戒として述べますが、少子化の時代かつSTEM全盛時代における文系の大学院入試となれば、志願者数が少なくなっているため合格すること自体の難易度は下がっていることは承知しておかなければなりません。実際に私が学問的に貢献できるかどうかは、入学後にゼミでしごかれながら励む勉学によるところが大きいので、合格とはいえほんのスタート地点に着いただけくらいの気持ちで、引き続き勉学に励みたいとは思います。

 学費の話に戻ります。放送大学で学士号を取得し、国立の大学院を出る場合、学費の合計はいくらになるでしょうか。国立の大学院の学費の総計(2022年度)が約1,350,000円(入学費+授業料)ですので、放送大学の学費に足し算すれば、約200万円です。学士号までの激安70万円の約3倍になるわけですが、何かしらの奨学金を受けられるとすれば、確実に200万円以下に抑えることができます。慶応SFCの初年度にかかる学費の合計が約160万円ですから、院を出るまでの6年間で200万円弱というのがどれほど安く済むかがおわかりになると思います。繰り返します。放送大学から国立大学院へ進んで修士を取る場合、6年通っても学費の合計は200万円を切るのです。いま、経済的に厳しい学生が多いなかで、これは大きな意味を持つと思います。この事実が、いままでどうしてあまり語られずに来ているのかが、私にはわかりません。ひとつには、ロールモデルの不在ということが挙げられるでしょう。つまり、そのような人の例を挙げよと言われても、具体的な人名を挙げることができない。そこに大きな理由がある気がします。私自身が「ロールモデルになる」と言ってしまうのはあまりにも陳腐なので、言いたくありませんが、なんとか修士号を取ってオルタナティブを示したいとは考えています。

 ここで何点かこれまで述べたことについて補足します。まず、言うまでもないことかもしれないですが、放送大学で大卒だけとって、就職してしまうのでも全く問題ありません。そもそも全員が修士課程を目指す大学などありませんし、誰もが学問したいと思うわけでもないからです。あるOUJの学生のツイートでは、放送大学卒業見込みでも普通に新卒就活できた事例が述べられていました。新卒就活戦線に乗るために放送大学を使うというのもありです。
 次に、これはディスクレイマーとして述べますが、「働きながら放送大学を卒業する」をお読みいただいてもわかるように、放送大学の学費は自分の安い給料から捻出していました。一方で、一浪で入った最初の大学に関わる学費は、2年終了時のものまでのすべてを両親が出してくれました。つまり、私自身、70万円で大卒が取れるといいつつ、実際に大卒を取るのにそれを遥かに上回る金額を費やしてしまっています。これは、反面教師として見てください。なので、約200万円で修士まで取ることができるとうのは、理論値に過ぎないという批判があるかもしれません。それについては、その通りであると思います。ですが、理論値としてでも述べるのであれ、オルタナティブとして提示することには意義があると思っています。また、学費は、大学に納めるもののほかに、書籍やレポート用のPCもろもろも含めたものまで入れて学費だという立場があると思います。そうした関連的な費用について触れられていないことは、認めざるを得ません。あくまで大学に納める金額の観点から、金額を述べています。

 ここからは在学生、および入学ないし編入学を検討している学生で、大学院受験が気になっている人向けに書きます。現在OUJに在学中で、就職活動をせず、そのまま大学院に進もうかなと思っている人が、果たしてどれだけいるものなのか、私にはわかりません。いない可能性すらありますが、5人はいるんじゃないかと願望込みで思うので、その5人の人たちに向けて役立つことを書きたいと思います。
 まず、あなたたちが懸念していることは、OUJでの成績が果たして院試でちゃんと評価されるのか、あるいはOUJ卒ということが何らかの不利として働くのではないか、ということではないかと思います。確かに、OUJは一条校とはいえ偏差値で序列化される大学システムの「外部」ですし、英語の基礎科目のテストは、そこらへんの難関高校の入試問題の方が難しいくらいですので、そうしたことで不安になるのもわかります。ですが、その心配は無用です。とはいっても、現状では「私が証明です」(©︎中島香里)と言うことしかできないのですが。結局のところ、肝心なのは、あなた自身の学力(放送大学における成績、院試での成績、研究計画書の出来、及び口頭面接でのパフォーマンス)ということになります。OUJだからマイナスと言うことは無いと思って、院試の勉強を進めて問題ないです。

 OUJで学習を進めるにあたって難しいところは、教養学部というところにいながらにして、自分の専攻(major)を見出し、深めていくことです。なぜ 専攻を持つことが大事かといえば、基本的に専攻なくして修士課程での研究なしだからです。専攻がなければ、何の研究をしに大学院に行くの?となってしまいます。
 OUJには、6つのコースがあります。一見、これらはおおよそ一般的な大学の「学部」に相当するもののようではありますが、実際は放送大学の学部は「教養学部」のみです。また、コースはそのままあなたの専攻ではありません。私は「社会と産業」で入学して、「人間と文化」で卒業しましたが、「人間と文化」という名称がそのまま研究対象というのはありえません。これは単純な話で、漠然とし過ぎているからです。
 自分の専攻はこれだというものは自分で決めなければなりません。それが何かという問いは、あなたがこれまで取ってきた授業や、入学してまもないのであればシラバスをみて興味を引かれる科目が最大のヒントとなるはずです。3、4年生であれば、本棚にはこれまで受けた授業のテキストが並んでいるはずですから、オレンジや黄緑の蛍光色が並ぶ棚の前に立って、面白かった科目、同じ領域とみなせる科目を基準にして、自分なりの専攻を定義してください。
 私の場合の専門ですが、ざっくり言うと言語学です。このnoteで掲載している「仮定法とは何か」にも関わるのですが、言語と事実性の関わりに関心があります。この観点を切り口に、小説、応用言語学のいくつかの分野、あるいは文法についてでも考えてみることができるなと思ったのです。極めて単純な例をひとつ拾うなら、「雨が降った」と言えば、「雨が降る」という出来事について、実際にあったものとして述べたことになりますが、これに「ら」を付け加えて、「雨が降ったら、」として述べたら、たった1語加えただけなのに、条件節となり、過去の事実についての言及という意味がキャンセルされるのです。意外とすごいことじゃないことですかこれ。そんなことない? なら、いいんですけども……。(公開直前の追記:こう書いたものの、このあたりのことは大学院で研究する甲斐がないなと思い始めている。)
 ちなみに、OUJで関連する科目としては、『日本語概説』、『新しい言語学』、『日本語学入門』あたりです。放送大学の言語学関連の放送授業だと、だいたいこのぐらいです。『日本語概説』以外は、滝浦真人先生の講座です。ちなみに、面接のときにも、「滝浦先生の下で学ばれたんですね」というようなことを言われました(画面の中でしか見たことないんですけど……)。
 放送大学のテキストは、1冊あたり最大でも10時間で読み切れるでしょうから、あとはテスト対策の時間だけを確保して、関連文献を読みましょう。ここで「文献を読む」というのは、新書や文庫から初めて、並行してその分野のスタンダードとされるテキストや教科書を読み、さらには、その分野の古典とされる書物を読む、というようなことを意味します。この辺のところは、「アカデミック・スキル」として詳しく書こうと思えば結構長くなってしまうので、端折ります。ひとつだけ、参考文献をあげれば、千葉雅也さんの『勉強の哲学』(文春文庫)の第4章を読むと得るものが多いはずです(「アカデミック・スキル」や「研究作法」の本より先にこちらを読むことをおすすめします。『勉強の哲学』のあとは昨年に講談社現代新書から出た小熊英二さんの『基礎からわかる 論文の書き方』がおすすめです)。
 さて、残る問題は大学院でも必要とされるような学問的態度が放送大学だけで身につくのか、という点にあります。先にも申した通り、放送大学にもゼミがあり、ゼミに入っていれば身についてることとは思います。しかし、私はゼミにいたことがなく(申請期限が開講の1年以上前とは知らなかった……)、また、全てのOUJ学生がゼミに出られるとは限りません(主に地理的な問題でこう言っています)。
 私は2年で大学をやめたと書きましたが、実はその後も半年くらい、友人に誘われて、とある先生のゼミにモグっていました。その友人というのは、以前日記にも登場したロンドナーです(ちなみに、3年以上経っても絶交中です)。そのゼミで、院生の先輩にダメ出しを食らったり、1個上の先輩なのになんでそんなできるんですか、というような人たちのあいだで、短い期間ながらも揉まれる経験をしたことが大きいように思います。あなたがOUJから大学院にいきたいと思うのであれば、こうした経験は学部時代にしておく必要があります。
 しかし、OUJでどこまでそれが可能かは私にはわかりませんし、なかなか実現は困難なのではないかと思います。そこで、やや急な展開にはなりますが、ここまで読んでくれているだいたい5人の人たちが希望するのであれば、私はオンラインをメインとする自主ゼミを主催したいと思います。大学院進学を(検討中でもOK)目指している放送大学の学生のオンライン上のサークルなんかを作ったら、入りたいと思いますか? いまのところ、Discordとnoteのサークルを使うことを考えています。
 基本的には、読書会が活動の中心となります。対面式の大学でやるような文系のゼミを再現したいと考えています。レジメの作り方やゼミ発表の仕方、語学や文献に関する相談など、拙いながらも教えられればと思います。また、学生同士がお互い励まし合って学ぶための空間になればよいなと考えています。まだ正式にやるとは決まっていません。5人集まるなら前向きに検討しようと考えています(踏み切れない理由はお金です。やるとなればボランティアになるわけですが、来年度、私にボランティアをする余裕がある可能性は今のところ低いです。学費のためにバイトをしなければならないからです。そのため、今ここで実施すると断言できません)。
 さしあたって、勉強会を実施するかは別として、気軽に相談できる場所をLINEのオープンチャットに作りましたので、実施希望の方はチャットに入って、勉強会の実施を希望する旨を申し出てください。この記事に関する質問はこの記事に対するコメント、またはオープンチャットの方でも受け付けていますので、お気軽にお尋ねください。 2023/4/13 追記:応募者7名前後集まりました。一度これで締め切ります。新規でどうしてもという方は、この記事のコメント欄でお知らせください。

終わり

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