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「みんなと生きよう」と思ったら自己肯定感が爆上がりした

自己肯定感が低いという悩みを最近解決できました。そのきっかけを書き残したいと思います。

「一人で生きよう」と思っていた

自分の自己肯定感が低かったのは「一人で生きよう」と思っていたからです。

「みんなと生きよう」と思えるようになったら、自分に自信がつき、悩みが吹き飛びました。今は自分のことが好きです。

僕は中学生の頃に友達がほとんどおらず、常に独りぼっちでした。「僕はこれから、一人で生きていくんだな」と思っていました。

幸運なことに高校以降は友達がたくさんできましたが、中学時代に背負ってしまった「一人で生きるメンタル」はなぜかずっと持っていました。

「一人で生きるメンタル」を持つと、いつの間にか完璧主義者になってしまいます。一人で生きていく上では誰にも頼れないからです。

「身の回りに起きる課題を全て自分で解決しなくちゃ😨」
「なんでもできる完璧な人間にならなきゃ😨」
家事・仕事は当然として、大嫌いなハチとどう戦おうとか、孤独な老後生活どうしようとか......。

僕は「一人で生きるメンタル」のせいで完璧主義者を併発し、不完全な自分を常に責めていました。常に自分の短所が気になり、自分に自信を持つことができませんでした。

それが僕にとって「当たり前」でした。長い間、それ以外の生き方を考えることはありませんでした。

「みんなと生きるメンタル」を持つ友達と話した

ある友達とご飯を食べていたときのことです。彼は社会人、僕は学生でした。ふと、彼にこんな質問をしました。「社会人になったら友達どうやって作るの?」すると

「友達に友達を紹介し合ってると増えていくよ」

と教えてくれました。「一人で生きるメンタル」の僕にとってはとても衝撃的でした。彼にとって、自発的に人との繋がりを作るのは当たり前のことなのでしょう。

話題は変わり、僕は「最近この映画見ようかなと思ってるんだよね」と言いました。すると彼は

「絶対に見た方が良いよ。この映画見といたら、この映画のファンとめっちゃ会話盛り上がるよ」

と言いました。

ここで僕は違和感を感じました。

「え?映画のファンと話すためにみるの?」

僕の価値観では、自分の自由時間は自分だけのものです。見ず知らずの映画のファンのために使うという発想はありませんでした。

彼は違いました。楽しい会話のために自分の自由時間を投資していました。

彼と別れた後、僕と彼の価値観を比較してみました。僕は「一人で生きるメンタル」、彼は「みんなと生きるメンタル」を持っていると思いました。

「一人で生きるメンタル」を持つと、全てを自分でやる完璧主義者になります。「みんなと生きるメンタル」を持つと、みんなと助け合う人になります。

冷静に考えて、助け合って生きる方が効率的なことが多く、モチベーションも出るし、楽しいです。しかも自分が不完全な人間でも大丈夫…。

「一人で生きるメンタル」を捨てた

中学生の頃、僕は人間関係で傷ついたりしていました。でも大学からはクラスメイトのことを気にする必要もなくなり、人間関係はかなり気楽になりました。友達もたくさんできました。

なら、何でまだ僕は一人で生きようとしているんだろう......。

そんなことを考えながら、最近あまり話してない友達に「電話できる?」とLINEを送ってみました。そしてこの一週間で友達と3回話しました。

急に連絡したのに、僕と話してくれる人がいて嬉しかったです。僕も「みんなと生きたい」と気持ちが変わっていきました。

僕は以前から友達が大好きで、尊敬していました。だからこそ自分みたいな不完全な人間が、素晴らしい彼らの時間を奪うべきではないと考えていました。

電話して気づいたのは、意外とみんな、「みんなと生きるメンタル」を持っているということです。だから気兼ねなく連絡とって、友達たちと協力して、楽しく生きていきたいなと思っています。


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