6.「FCでもいいんじゃない?」

 ここまで読んできた方の中には次のように思った方もいるかもしれません。「FCで何がいけないの?」「ウソでもインチキでも、自閉症者の言葉を代弁してるならいいんじゃない?」

 もしそう思っていたら、少し考え直してみてください。

 まずFCは、自閉症者の言葉の代弁ではありません。介助者(ファシリテーターと言います)が勝手に作り出してしまった言葉です。

 自閉症の人ならこう思うだろう、という推測に基づいてはいるかもしれませんが、他人なのですから相手の考えていることなど自動的には分かりませんよね。あまり話さないタイプの自閉症者が相手ならなおさらです。意見を聞いて確かめてみることも難しいはずです。

 ですから、自閉症者は勝手に言葉を作られることになります。

 仮に「これで合ってる?」と聞かれて「ノー!」と答えたとしても、「あら、自閉症のせいで本心とは違う言葉が出てしまうのね」と片付けられてしまうのです。

 映画『僕が跳びはねる理由』にも「口から出る言葉と本心は違う」という内容のナレーションがありました。イギリスのジョスさんが出てくるパートです。

 なんて危険なことを言うんだろう、と私は思いました。

 確かに人間、「心にもないこと」を言ってしまうというときはあります。でも、それは口から出る言葉が常に信用できないという意味ではありません。

 あまり会話することのできない自閉症者が口に出した言葉を、「それは本心と違うね」と周りの人に決めつけられてしまう。それは本当に恐ろしいことではないでしょうか。

 アメリカ編のエマさんはどうしてFCをするときだけ辛そうな顔をするのでしょう。それは声にならない「言葉」です。

 ピザがやってこなくてパニックになるジョスさんはどうして暴れてしまうのでしょう。それは言葉にならない「会話」です。

 彼らはそうやって「言葉」を発しているのに、FCのファシリテーターたちは、なぜそれを無視してしまうのでしょう。自分がせっかく読み取ったFCとは矛盾してしまうから? 矛盾すると都合が悪くなってしまうから?

 そんなふうに人の「言葉」を無視して、どうして「会話」ができるでしょう。

 確かにFCは「分かりやすい」方法です。あまり話さない自閉症者の「言葉」がスラスラと文字になって出てきてくれる。「お母さん、ありがとう」「お父さん、ありがとう」「僕たちの人権を守ってください」 そんな『都合のいい』言葉を、いくらでも生み出すことができます。

 でも、だからこそ、私たちは慎重にならないといけません。

 あなたがつづっているのは『誰』の言葉ですか?

 ……続きはまた。