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お互いにとって心地よいコミュニケーションのために


去年の今頃、こういう記事を書いていた。
去年の11月〜12月にかけて、仕事で忙殺されていて、文字通り「心を亡くして」おり、入ったばかりのオンラインサロンがあるにも関わらず、全てのSNSをアンインストールしていた。生徒同士のトラブルの仲介に、心を悩ませていたのだった。


前任校(中堅校)で勤務していた時、生徒同士のトラブルは「お互いが言いたいことを言わず、察してほしいもの同士が憶測で状況を判断し、結果溝が深まっている」というのがほとんどだった。
「言いたいことを言わない」から起こるトラブルだ。
顧問をしていた軽音部内でのバンド内トラブルのほとんどが、コミュニケーション不足で、言いたいことを我慢していたり、嫌だなと思うことを注意できなかったりすることがほとんどだった。



しかし、現任校(困難校)に来てから、現状は大きく変わった。
現任校の生徒の多くは、「言わないでいる、黙っている」ということができない。
思ったことは100%、すぐに口にしてしまう。情報を隠し持つことも、黙っておくこともできない。
結果、感情的になって言い過ぎてしまい、「×組の○○○○に『死ね!』って言われました!!!これって特別指導になりますよね?」と職員室に乗り込んでくる生徒も少なくない…


わたしはこの「人を傷つけてしまうほど、言いたいことを全て口にする」子どもたちから、見習うべきことと指導しなければいけないこと、両方あると思っている。


見習うべきことは、「言いたいことを臆することなく言える」部分だ。(言わずにはいられない、だけなのかもしれないけれど)
わたしは言いたいことはそれなりに言える方なのだけれど、それでも相手に踏み込むのが得意ではない。
「相手を傷つけたくない」という感情以上に、「相手に嫌われたくない、変に思われたくない」という感情が働いてしまうからだ。
文章を書き始める時も「炎上したらどうしよう…」「浅い人間だと思われたらどうしよう…」などという起こってもいないことばかり考えて、不安になっていた。
(そもそも、無数の文章がある中で「自分に注目されている」と思うことが自意識過剰なのだった。自分のことを、他人はそんなに気にしていない。)
子どもたちの様子を見ていると、大人相手でも友人相手でも臆することなく意見していて、自意識やちっぽけなプライドを捨てて素直に意見できるところは見習わなくちゃな、といつも思っている。


指導しなくちゃいけないところは、「相手のことを想像する」ことだ。
言い方やタイミングを工夫しなければ相手を傷つけてしまう。やっぱり暴言は良くないし、場面に応じてコントロールできるようになってほしい。
また、想像するのは相手のことだけではない。この行動を取ったらどういうことが起こるのか、それも想像できるようになってほしいと思う。その想像力が足りずに犯罪に巻き込まれてしまう生徒も少なくないからだ。


自分の言いたいことは相手に伝えて、そこから相手の反応を見て、想像力を働かせて、相手の様子を汲み取って、また自分の意見を伝えて。
この繰り返しで、心地よいコミュニケーションは成り立つのだなあと思う。


学校はそのための実践の場であり、合わない他者とどうコミュニケーションするか、あるいは合う友人と関係性を深める場所として機能しているのだな、と改めて実感したのだった。

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