マイノリティには生きる権利がないのか?「ナディアの誓い」
原題はOn her shoulders。
23歳の女性ナディア。彼女の華奢な肩にかかる、たくさんのヤジディ教の人々の思い。
重すぎるよね……。
ヤジディ教徒の虐殺事件を伝えるナディア
Will2Liveの映画2本目に見たのは、「ナディアの誓い」。
ナディアたちの信じるヤジディ教は、複数の宗教が混ざり合う宗教で、イスラムの世界では邪教とされている。
2014年、ナディアの住んでいたヤジディ教の村がISISに襲われ、男性たちは殺され、女性たちは性的奴隷として連れ去られた。
そこから逃げ出したナディアは、ISISの非道を世界に訴えるために、自分の身に起きたことを伝え続ける。
家族が殺され、自分は売られてレイプされ、その時の体験を根掘り葉掘り聞かれて、メディアで話す。それがどんなに辛いことか……。(伊藤詩織さんをはじめとしたレイプ被害者の辛さを思う。)
そのたびに忌まわしい記憶が蘇って、悲しみが癒えることはきっとないんだろう。そんな思いを抱えながら生きる意味とは……と考えてしまう。
手に入れることができなかったささやかな幸せ
国連親善大使に就任し、ノーベル平和賞を受賞したけれど、美容師になりたいというささやかな夢は叶わなかった。
ナディアにとっては、こんなふうに注目されることは望んでいることではなくて、ただ家族と一緒に農業をしたり、美容師として女性をうれしい気持ちにさせてあげられたら、それで十分だったのに。
難民支援の仕事をしていると、本当に”ささやかな幸せ”というものが、どれほど有り難いものなのかということを思い知らされる。
皆さんは一体いつ動くのでしょうか?
最後の、国連でのスピーチの言葉。
お願いです。人を第一に考えてください。人生は皆さんだけのものではないはず。私達にも生きる権利があります。
生きる権利。
誰もがもっているはずなのに、たまたま生まれた国や信じる宗教や性別や人種によって、なんでこんなに差別や非人道的な扱いを受けなくてはならないんだろう。
自分と違うことが暴力を正当化する理由になってしまう恐ろしさ。
多様性を認めない不寛容の世界は、こういう悲劇をもたらすことにつながるのかもしれないと思う。
斬首やレイプで数百人が故郷を追われても動かないなら、皆さんは一体いつ動くのでしょうか?
涙をこらえながら語りかけるナディアのメッセージは、世界に向けて発せられたものだと思う。
一番印象に残ったのは、虐殺後、初めて故郷を訪れたナディアを映したショット。
それまでは深い悲しみをたたえつつも大きく変わることのなかったナディアの表情が、大きく歪んで、泣き叫ぶ。
そこまで抑えてきたものが弾け飛んでしまったみたいに。
どれだけの深い悲しみや怒りを抑え込んできたんだろう。それを思うと、胸が痛い。
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