変わらぬ笑顔に会えたから、今日のこの日は酒場記念日
世界各国の物書き仲間が順繰りにリレーエッセイをしていく「日本にいないエッセイストクラブ」。早くも2巡目の最終回である。テーマは「忘れられない人」。スイス在住ライターのアリサさんよりバトンを受け取り、われわれベルリン酒場探検隊はアンカーとしてゴールを目指す。本記事の最後にはアリサさんと3巡目のトップバッターをご紹介しよう。
「日本にいないエッセイストクラブ」過去のラインナップはマガジンをご覧いただきたい。
では、走り出すぞ。
「ベルリン酒場探検隊レポート」
それは、われわれベルリン酒場探検隊にとって記念すべき日だった。一足先に営業解禁になった酒場的雰囲気のレストランに続いて、料理を出さないガチな酒場もようやく営業再開許可が下りたのだ。また探検の日々がやって来る。
レポート提出者:久保田由希
家で存続を願いながら
酒場に営業停止の通達があった2020年3月14日から約2ヵ月半。ようやくまた酒場でビールを飲める日がやってきた。昭和な感じのレースのカーテン、ラジオをそのまま流したBGM……あぁ、すべてが既に懐かしい。
家にこもっていた間は酒場募金HPから募金をしたり、個別に商品券を購入して酒場の存続を願った。ようやく実際に酒場で飲んで、応援できるのだ。
営業停止期間中に、気になっていた店はいくつかあった。そのひとつは、期せずして停止直前に訪れた老夫婦の酒場である。ちょうどこの「日本にいないエッセイストクラブ」リレーエッセイの1巡目でそのことを書いた。
あれからずっと、ご夫妻のことを気にかけていた。様子をうかがいたかったが、ご夫妻の店は隊員久保田の家から歩いていくには遠すぎる。感染が広がる状況下で、公共交通機関を使うのもためらわれた。インターネット上での情報もなく、状況がわからなかった。
お元気でいるだろうか。どうかお元気でいてほしい。
酒場が営業可能になったら、すぐに会いに行きたかった。
2ヵ月半ぶりの、いつものやり取り
そして、ついに営業解禁になった。今まで閉ざされていた近所の酒場も開いている。
必要最低限しか乗らない電車で最寄り駅へ行き、降りる。いつもの道。周辺の小売店やレストランは、そこそこの人で賑わっている。そうした業種に比べて酒場はなかなか再開できなかったのだが、じきに同じような光景が見られるのだろうか。
ふと、目の前に花屋があった。シャクヤクの丸い蕾が桶に並んでいる。6月はシャクヤクの季節。開くと大輪で、とても華やかな花だ。そうだ、これを持っていこう。だって今日は記念日じゃないか。
(写真:大輪のシャクヤク。店に贈ったのは淡いピンク色)
じつのところ、店の前に行くまでは一抹の不安があった。もしシャッターが下りていたらどうしよう、もし万一のことが起きていたら……。そうでなくても、長い閉鎖で店を続ける気がなくなってしまうかもしれない……。そんな不安を、花を買うことで吹き飛ばしたい思いもあった。
しかし、それは杞憂だった。店の前にはパラソルが立ち、テラス席で人々がビールを飲んでいた。
よかった……。
(写真:窓には、人同士の距離を最低1.5m開けるように、との張り紙)
奥から店のご主人が顔を出した。
「また始めたんだよ」と、ご主人。
「また来られてうれしいです。これ」と、シャクヤクを差し出す。
「ありがとう」
ご主人は花を受け取ると、店の奥へと消えた。するとしばらくして奥さんが現れた。
「きれいな花をありがとう」と、花瓶に活けてくれている。
あぁ、これだ、これ。こういうやり取り、変わっていない。こうした日々が戻ってくるのを、どれほど願っていたことか。お二人の笑顔をまた見ることができた。今日は酒場記念日だ。
春は来た
いくつか並んでいたテラス席のひとつに腰かけた。席の数はいつもより少なめのようだ。人同士の距離を規定の距離だけ開けなくてはいけないので、そうなるのだろう。
いつものビールが運ばれてきた。これこれ、このロゴの入った丸いグラスで飲みたかったと、いちいち感慨にひたってしまう。
営業停止になる直前のやり取りを思い出した。
「春は来るさ」とご主人は言っていた。
そうだ、春は来たのだ。いまはもうすっかり初夏の日差しで、春に咲くマロニエやライラックの時期は過ぎ、花屋にシャクヤクが並んでいる。でも、これが酒場探検隊にとっての春だ。
グラスのビールを喉に流し込む。苦み走った味もそのままだ。
この日を、この味を、きっとずっと忘れない。
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前回走者、スイス在住のアリサさんの記事はこちらである。
少し甘酸っぱいような経験は、おそらく誰しもが多少なりとも持っているのではないだろうか。大したことないと忘れそうな出来事だが、どこか心に引っかかっている……。酒場に集う人々も、そんな小さな引っかかりを重ねながら生きているのかもしれない。われわれ酒場探検隊は、探検に専念しているためかそうした出来事には無縁であるが……。
世界各国の物書きによる「日本にいないエッセイストクラブ」のリレーエッセイ第2巡目は、これにてめでたくゴールとなった。第3巡目は「思い出の一品」をテーマに、6月29日頃から走り出す予定だ。トップバッターはネルソン水嶋さん。乞うご期待!
ベルリンのさらなる秘境酒場の開拓と報告のために、ベルリン酒場探検隊への支援を心よりお待ち申し上げる。