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いつか再び酒場に行けるその日まで

『日本にいないエッセイストクラブ』第6回を迎えました。

世界各国に住む物書きのみなさんでリレーエッセイを書いています。その名も『日本にいないエッセイストクラブ』。第一回のテーマは「はじめての」。6人目はわれわれベルリン酒場探検隊から、7人目は記事の最後に紹介。告知記事はこちら、随時エッセイをまとめているマガジンはこちらです。

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「ベルリン酒場探検隊レポート」

われわれベルリン酒場探検隊は、いま打ちひしがれている。本当のところは、少し涙している。ほんの1週間前は想像だにしなかった。ベルリンの酒場が、すべて強制的に営業停止になる日が来るなんて。こんな「はじめて」は望んでいない。しかしこれは現実なのだ。

レポート提出者:久保田由希


あまりにも速い展開に

2020年3月13日金曜日の午後。パソコンでベルリンのニュースを読んで、時が止まった。

来週火曜日からベルリンのすべてのバーと酒場は閉店

画面にはそう表示されていた。

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(ベルリーナー・モルゲンポスト紙のサイトより)

日本でコロナウイルスが広がっていたとき、ドイツはまだのんきに構えていたように見えた。それがここ4〜5日で国内感染者が爆発的に増えた。ベルリーナー・モルゲンポスト紙によれば、3月15日19時現在ドイツ全国で5800人を超えている。

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(ベルリーナー・モルゲンポスト紙のサイトより)

事態が急転したのは3月12日ぐらいからだったと思う。1000人以上のイベントの中止、学校・保育園の休校・休園、劇場や博物館の休館と次々に通達が届き、EU内の数ヵ国は国境を閉鎖しはじめた。

ベルリンの酒場とバーは3月17日の火曜日から営業停止、というニュースを知ったのは13日金曜日の夜だった。最近の他国の動きを見れば、予想できなかったわけではない。しかし、現実の展開はあまりにも速かった

リスクを考慮した上で

火曜から休みに入るのなら土、日、月と3日間はチャンスがある。せめて閉まる前に、大好きな酒場にあいさつに行こう。でないと今度はいつ会えるかわからない。そう思いたち、土曜日の明るいうちに家を出た。

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実際のところ、酒場を訪れることに葛藤はあった。営業停止にするのは、不要不急の外出を控え、人との接触を減らすため。つまりは、感染を防ぐのが目的だ。

家を出てから酒場に着くまでの行程を思い描いてみる。

ドアノブを触る。
不特定多数の人がいる駅に行く。
電車に一定時間乗る。
酒場にも人がいるに違いない。

どの過程においても感染リスクはある。家でじっとしているのがいちばんだと理解しつつ、しかし実際にまったく外出しないことは不可能だ。食料品の買い物には行くし、何かと用事はある。重要なのは、外出しても気をつけて行動することではないか。それに、おそらくいまはまだ序章だ。今後事態が悪化することはあれ、収まることはしばらくはないだろう。ならば、いま行くのがいいのではないか。

いつもどおりの酒場、変わりゆく現実

酒場の扉を開けると、店の奥さんがテーブルで作業をしていた。ほかには誰もいない。

いまは握手もハグもしちゃいけないから、これでね」と、こちらを見て手を振ってきた。

「コロナウイルスで来週から閉めることになったのよ」と話す奥さんに、だから来たんです、閉まる前に飲みたくてね、と席に腰かけビールを頼む。

営業停止についてはニュースを聞いて知ったそうだ。直接店に連絡が入ったわけではないという。

奥からご主人も現れた。

「なんだかみんな、スーパーでやたらと買いだめしているみたいだけど、どうかしているよ」とご主人。「商品はあるんだ。物流がいっぺんに運べないだけなんだから、買い占めることなんてないんだ」

そうなのだ。日本がトイレットペーパー売り切れの話題でもちきりだった頃、ドイツでは「なぜそんなことを」と思っていた人も多かったのではないか。
ところが、いざドイツでも感染が広がると、各地で保存食品やトイレットペーパー、消毒液や石けんなどが品薄になった。補充されてもすぐにまた売れてしまう。どうやら人間は、どこにいてもやることは変わらないようだ。万一のために余裕をもって家に備えておくことは必要だが、ムダに買い占めても仕方あるまいに。

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ビールはいつものEngelhardt(エンゲルハルト)。まだ午後だったので、そこに清涼飲料水をミックスしてもらう。ほんのりした甘みは、心を少しだけ穏やかにしてくれた。窓辺のカーテンも、ご夫妻の様子もいつもどおりだ。

BGM代わりに流れていたラジオが、懐メロからニュースになった。

”……コロナウイルスの検査で陽性が出て自宅隔離になった人に、自覚症状はなかったそうです……”

ビールを飲んでいても、現実が変わることはない。いや、ビールを飲んでいる間も、現実は刻々と変化している

「でも春は来るさ」

ご夫妻は、相変わらず適度に話しかけてくれる。このふれあいが、いまは特にありがたい。ひとりで部屋にいてニュースばかりを追いかけていたら、体よりも先に精神をやられてしまう。

「営業停止期間は、いつまで続くかわからないんでしょう?」とご主人に聞いたあとで、不安に追い打ちをかけるようなことを言うべきではなかったと後悔した。聞いてどうするというんだ、先のことなど誰もわからないのに。

「わからない。でも春は来るさ

ご主人の言葉に涙があふれそうになる。
早く春が来てほしい。早くまた、みんなでビールを飲めるように。

「またすぐにね」
「あぁ、またすぐに」

家に戻ると、ニュースが「酒場とバーは、いまからただちに営業停止」と新たな知らせを伝えていた。
ついさっきまで過ごした時間が、停止前の最後だったのだ……。

先のことはわからない。いまはこらえるとき。
でも、いつか再び酒場探検ができるときが来る。春は来るのだ。

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次のバトンはカタールのフクシマタケシさんです。

リレーエッセイの共通のお題「はじめての」。希望にあふれた響きなのに、なんだか悲しい内容になってしまって心苦しいです。でも春は来るから。小鳥もさえずっているし。早くも桜が咲きはじめたし。

『日本にいないエッセイストクラブ』、次回のバトンはカタールのフクシマタケシさんにお渡しします! 公開は3/23あたりを予定。どんな「はじめて」が飛び出すか、お楽しみに!

前回走者、イスラエルのがぅちゃんさんの記事はこちら。


イスラエル料理、じつは4〜5年前からベルリンでかなり人気です。マッツァー・ボールのスープやシャクシュカなどを、ベルリンのイスラエル料理カフェで初めて口にしました。これまでイスラエル料理=コーシャ料理という呼び名だと単純に考えていましたが、じゃあコーシャとはなんぞや? という謎が、がぅちゃんさんの記事を読んで解けました。なるほど、ピザもコーシャ料理になりうるわけです。

ベルリンのさらなる秘境酒場の開拓と報告のために、ベルリン酒場探検隊への支援を心よりお待ち申し上げる。